皇帝一家
「アナスタシア、よくぞ帰ってきてくれたな」
初めて目にするヘルト皇帝アレクサンデル二世の姿に、俺は意外な感じを覚えていた。写真で見る威厳に満ち溢れた皇帝の姿はそこには無く、小洒落たスーツを身に纏いアナスタシアを抱きしめる彼の姿は、どう見ても一人の父親の姿にしか見えなかったのである。
「お父様も、お変わりはありませんか?」
「元気だよ。それよりつい先週、エレナに結婚の申し入れがあってね。手紙で伝えようと思ったんだが、どうせこちらへ来るなら直接伝えようと」
「まあ、エレナお姉さまに? お相手は?」
「サルデーニャの王太子だ、何でもエレナに一目ぼれしたのだと。……そうだアナスタシア、ジェームス国王とは仲良くやっているかね?」
「……え、ええ。とても良くしてもらってるわ」
「そうか、それなら良かった。彼は誠実な男だ。お前も妻としての役目を忘れぬようにな」
「……もちろんですわ。それで、お姉さま達は?」
「ああ、今呼ばせるよ」
アレクサンデルは使用人に言いつけて、他の皇女たちを呼びに向かわせたようである。ほどなくして応接間の扉が開き、見るも華やかな4人の皇女と1人の皇太子が姿を現した。
「アナスタシア! 久しぶり!」
そのうち一人の皇女がアナスタシアのもとへと駆け寄り、二人はお互い抱擁して再開を喜んだ。
「聞いたわよエレナ。サルデーニャの王子様にプロポーズされたんですって?」
「まあ! お父様ったら、もうアナスタシアに話したのね!? まだ決まってないって言ったでしょ!?」
エレナが厳しい目線を皇帝へと投げかける。すると皇帝アレクサンデルは弱った表情を見せながら、エレナに対してこう返すのであった。
「いや、お前も乗り気だったろう?」
「まだ考えさせて欲しいって言ったじゃない! アナスタシアの時も、そうやって強引に決めたんだから!」
「……いやあ、それに関してはすまないと思ってるよ。しかしジェームス国王は確かな男じゃないか? あんなに誠実な男は滅多にいないだろう?」
「あの時アナスタシアはまだ16歳だったのよ? もう、今まで大変だったでしょう。しばらくゆっくり休みなさい」
エレナはアナスタシアの頭を優しく撫でながら、瞳に涙を浮かべていた。
「エレナばっかりずるい!」
これまた後ろから駆けてきたのは、どうやらアナスタシアの妹であるらしい。ヘルト皇室は5人の皇女と1人の皇子で構成されている為、彼女は第5皇女のリディア大公女と思われる。またリディアと共にアナスタシアのもとへ歩み寄るのは、ヘルト皇帝の一人息子ウラジーミルだろうか。二人はアナスタシアにしがみつき、彼女を引っ張るようにして部屋の外に連れ出そうとする。
「ちょっとリディア、ウラジーミル。どこに行くの?」
「僕たちの部屋だよ! 最近チェスにはまってるんだ、」
「チェスはダメ! いじわるするんだから! それより恋愛の話を聞かせてちょうだい?」
「恋愛のがつまんないよ。それよりさあ……」
半ば強引に弟妹2人に連れられながら、アナスタシアは応接間を後にした。続いて姉である3人の皇女もその後を追いかける。皇女たちは皆可憐なドレスを身に纏い、ほのかに甘い香水の香りを振りまきながら俺たちの前を横切るのであった。俺は何故か緊張しながら彼女らの姿を見詰めていたのだが、ふとその時、一人の皇女と目が合った。
彼女の名は……。思い出そうとしたが名前が出てこない。俺がぎこちない笑みを浮かべて会釈すると、彼女は悪戯っぽくウインクで答えるのであった。アナスタシアと同様の、線の細く滑らかな金髪をなびかせる彼女であったが、その目元は姉妹ながら異なっている。どちらかと言えば今通りすがった彼女は垂れ目がちであり、年上ということもあってどこか大人びて、妖艶な印象を感じるのであった。
「……すまないね、うるさい娘たちで。少々甘やかしすぎたもので」
皇帝アレクサンデルはため息を吐き、ワインの並べられたテーブルへ俺たちを案内した。
何もかもが、俺の想像と異なっていた。仲の良い姉弟姉妹に人の好い父親。それらを微笑みながら眺める皇后からも、いかにも優しげな母の印象が伝わってくる。特に皇后からは、まさにアナスタシアと同じような雰囲気を感じるのであった。
「交渉は我が帝国の外務大臣と、そちらの外交担当で進めていることだろう。我々はゆっくり楽しもうじゃないか」
アレクサンデルはそう言って、ワイングラスを宙に掲げた。俺たちも同様にグラスを持ち上げ、乾杯の合図を取って見せる。
「皇帝陛下。少し、伺いたいことがあるのですが……」
俺はワインを一口飲みこむと、早速会話を切り出すのであった。ブルガール民族戦線なるものの存在も気になるし、何よりも、アナスタシア暗殺計画と皇室の関係について、皇帝自身の口から証言を得たかったのである。




