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ブルガール民族戦線

 ヘルト帝国首都ヴォロフスク。世界一広大な国土を有し、世界一豪華な宮殿が聳え立ち、世界一金持ちの皇帝が玉座に着き、そして、世界一美しい王妃の生まれ故郷である。すなわちここヴォロフスクはアナスタシアの生まれ故郷であり、俺たちは今、彼女の父親へ挨拶に伺う為、宮殿へと向かっているのであった。


 「皇帝アレクサンデル二世。まさか君のお父さんと、直接対面することになるとは……」


 「気にしなくていいわ。只のおじさんよ」


 「君にとっちゃそうかも知れないけどなあ……」


 アナスタシアに望まぬ結婚を強い、ユトダイン王室に嫁がせたのは他でもない、君の父親じゃないか。ましてやヘルト帝国政府の一部はアナスタシア暗殺計画に加担していたのだ。まさかそのニュースを実の父が知らぬ筈はない。にも関わらず、ヘルト皇帝は一切の声明を出さなかったのである。


 それだけではない。ヘルト拡張主義を推し進め、我がユトダイン王国に圧力を掛け続けたのもヘルト皇帝その人だ。


 「にしてもすげえ歓声だな、こりゃ……」


 フットの呟きに、俺たちは車窓の景色に目を向けた。道路の両脇は溢れんばかりの群衆に埋め尽くされていた。彼らヘルト帝国民は両手に自国旗とユトダイン国旗の小旗を振りながら、尋常ならざる熱量をもって我々を迎え入れるのであった。ビルの屋上より掛けられた垂れ幕には「アナスタシア大公女の帰還に祝福を」「同盟国ユトダインに神のご加護を」といった標語が踊っている。まだ同盟締結にも及んでいないというのに。ヘルト国民の期待は、俺たちの予想を遥かに超えるものであることを思い知らされた。同時に、彼らを裏切ることになるという事実に恐怖と罪悪感を覚えるのである。


 「いずれこいつらと戦争するんだぜ……」


 「フット、そういう発言は控えなさい。どこで聞かれてるか分からない」


 リリアンが窘めるように、運転席のフットを睨みつけた。確かに彼女に言う通りだ。俺たちが迎賓館に荷物を降ろしている間、この車に盗聴器を仕掛けられていたとしても不思議ではない。


 「ダレンとシャーリーが見張ってくれてたじゃねえか? 流石にこの車は安全だろう。その為にわざわざランカスターの野郎が、ヘルト側の提案した送迎を断ってんだからな」


 当初ヘルト帝国内での移動は、ヘルト側が用意した送迎用の車を使用する手筈になっていた。しかしランカスターはこれを拒否したのである。帝国の用意した車も運転手も、また帝国軍による護衛も信用できないと彼は判断したのだ。


 ランカスターは俺と盟約を交わしていた。彼はアナスタシアの命を必ず守ると誓い、もしその誓約を果たせなければ、彼自身も命を落とすことになる。アナスタシアのヘルト訪問は、ランカスター自身にとっても命がけのミッションなのだ。


 「本計画に動員された王室衛兵はおよそ100名。見てみろ、横を走るバイクも前後を固める自動車も、ぜーんぶ王室衛兵で構成されている。何があったって安全だよ」


 助手席に座るアナスタシアも小さく頷いた。しかしその身体は小刻みに震えている。


 「それもそうだな。第一俺たちが任務に失敗したことなんて、これまで一度も……」



 一度も、無かったか……。俺はこれまで83回もの過去戻りを経験している。その内実は不明だが、俺は、何度も、彼女を救うことに失敗したのでは……。


 「ニック? 大丈夫?」


 アナスタシアが不安げな表情で振り返る。俺は慌てて笑顔を取り繕い、彼女へ向けてこう述べるのであった。


 「これまで一度も、君を守れなかったことなんて無いだろう? 何があっても大丈夫だ。絶対に……」


 「信じてるわ。でも、無茶はしないでね」


 俺は当然だと答えて、再び車窓の景色に目を向けた。沿道に詰め寄せる群衆の中には、横断幕を広げる熱烈なヘルト国民の姿も見える。


 ヘルト語とユトダイン語はその殆どに於いて共通し、両国の間に言語的な壁はほぼ存在しない。発音や表記に多少の違いはあれど、それは方言程度の差異である。


 しかしヘルト帝国は多くの周辺国を合併しているが故、多数の民族からなる多言語国家としての側面も有していた。その為か分からないが、王宮に近付くにつれ、所々に見知らぬ言語で書かれた横断幕が目に入る。


 「不思議な文字だなあ。ありゃ何て書いてあるんだ?」


 何となしにそう呟いて、ミラー越しに移るアナスタシアの顔が青ざめていることに気が付いた。体調不良とも異なる、何か恐怖に苛まれるかのような表情に顔をゆがめているのである。


 「アナスタシア、どうした?」


 「……あれは、ブルガール語」


 「ブルガール語だと?」


 ブルガールと言えば、7年前ヘルト帝国に併合された小さな民族国家である。前時代的な首長制からなる非文明国であり、当時はヘルト皇帝とブルガール首長の合意により、極めて平和的に、そして素早くかの地の併合が決定されたのであった。


 一般的にはブルガールなどという、小さな異民族の支配地域を併合するメリットなど無いと見られており、あの併合はヘルト拡張主義の宣伝材料に過ぎないと考えられていた。しかし各国の政府中枢は、ヘルトのブルガール併合を厳しく非難したという。果たしてそれは何故か。


 国際経済史を少しでも学んだものであれば、ヘルトのブルガール併合がいかに巧みな戦略であったか理解しているだろう。実はブルガール族は中世以来商売に長けた民族であり、広大な大陸ネットワークを有している経済国家だったのである。ヘルト帝国はその、ブルガール族の国際貿易ネットワークを我が物にしようと画策し、多くの譲歩を重ねながらブルガールの抱き込みに成功したのであった。実はヘルト帝国の現大蔵大臣もブルガール族の血を引いており、またヘルト中央銀行幹部もその多くがブルガール人で構成されていた。いわばブルガール人は、ヘルト帝国内では珍しく特権階級に位置する民族であり、帝国より多くの恩恵を受けてきた特別な民族なのである。


 「なんて書いてあるんだろう。確かブルガール語って、今やほとんど話せる人がいないんじゃなかったっけ」


 するとアナスタシアは神妙な面持ちでこう告げるのであった。


 「……我々は皇女の帰還を認めない。国賊の売女に怒りの鉄槌を。……ブルガール民族戦線」


 「は? なんだそれ? ブルガール民族戦線?」


 「私も、聞いたことないよ……」


 俺とリリアンはすぐさま周囲に警戒を張り巡らせた。フットは右手をハンドルに添えたまま、左手で無線機を手に取る。


 『異国語の横断幕に注意しろ、ブルガール族の集団が王妃殿下を狙ってる。各自警戒態勢に入れ』


 左右を走るバイク乗りが手信号を発すると、俺たちの周囲を囲うように多数のバイク部隊が集まってきた。沿道を埋め尽くすヘルト帝国民の群衆はそんな事情もつゆ知らず、何かのパフォーマンスかと勘違いしたのか、更なる盛大な歓声を上げている。


 宮殿までわずか数百メートル地点まで接近したところでも、ブルガール語らしき横断幕は各所に見受けられた。それらは全て同じ文言が書かれているらしく、アナスタシアは身を縮こまらせて怯えている。


 「ヘルトの警察は何やってんだ! まさか気付いてないってのか!?」


 するとアナスタシアが、震える声でこう答える。


 「ほとんどのヘルト国民はブルガール語が分からないの……。年配のブルガール人か、よほど詳しく研究してる人じゃない限り……」


 それなら何故アナスタシアがあの横断幕の文字を読めるのか。気にかかるところではあるが、今はそんな追及をしている場合じゃない。


 「心当たりはあるか? なぜブルガール語で、君を非難するような横断幕が掲げられているのか」


 「……分からない、全く分からないわ。ブルガール族は私たち皇族とも仲がいいはず。私が離れている間に、何かあったのかしら」


 俺は次の手段に打って出た。心の中で、シャーリーに指令を飛ばす。シャーリーは他人の心を読むことができるテレパスであり、本計画の要となる存在であった。王室衛兵に紛れて、彼女は非公式にアナスタシアの護衛を務めているのである。


 (横断幕を掲げてる人はブルガール人じゃない。みんな雇われ、文字の意味すら分かってないね。雇い主の顔も知らないみたい……)


 彼女のテレパシーが脳内に響く。俺はすかさず次の質問を繰り出した。


 (そいつらは誰に命令されてる?)


 (バット・ウギルって人。たぶんこの人はブルガール人だと思う。何やってる人かは、今のところわからない)


 バット・ウギル。聞いたことのない名である。名前の雰囲気からシャーリーの言う通り、ブルガール人であることは予測できる。しかし一体何のために、アナスタシアを非難するような真似を……。


 「アナスタシア! バット・ウギルという名に心当たりは無いか?」


 「私は聞いたことないけど、ブルガールの名前よ。もしかしたらお父様なら……」


 厳戒態勢を敷いたまま、俺たちを乗せた車は宮殿の門を潜り抜けた。特にこれといった異音も、一部群衆の暴走も起きることなく、俺たちはヘルト皇帝の住まう宮殿内へと到着することができたのである。拍子抜けしたような、しかし気の抜けない異様な空間が俺たちを支配していた。世界一豪奢な宮殿を目の前に、俺は覚悟を決めて車を降りるのであった。

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