執事とメイド
リトラス紛争の動向は当初の予測に反して、約一年半もの長期にわたる泥沼の戦いへともつれ込んでいた。しかしこの紛争もじき終わる。既にリトラス義勇軍の抵抗は風前の灯火であり、戦の軍配はヘルト帝国に上がろうとしているのであった。ゲリラ部隊は各個撃破され、ルネスタン共和国も物資の援助を打ち切る方針に傾いていると聞く。
ふと新聞から目線を離すと、すぐ傍にリリアンが立っていることに気が付いた。新聞に夢中で気配すら感じていなかった……。
「……ビックリした」
「もー、やっと気付いた」
彼女は笑いながらチョコレートを差し出してくれた。俺はそいつを受け取って、特に口にするでもなく、銀紙の包装を何となしに眺めるのであった。
俺たちが王宮付職員に任命されてから既に一年もの月日が経過していた。俺とリリアン、そして非公式ながらダレンとシャーリーも含めた四人組で、俺たちは日々アナスタシアの世話役を務めているのだ。つまるところ俺たち四人は今、王妃殿下の執事とメイドを務めているのである。
「ニック、こっち来てお茶しない?」
アナスタシアの声に振り替えると、ティーカップを掲げたダレンとシャーリーが同時に手を振ってくる。アナスタシアも満面の笑みを見せながら、俺たちへ手招きするのであった。
当初は疲れ気味であったアナスタシアの顔色も、ここ最近は何だか明るくなってきたように見える。リリアンとシャーリーはしょっちゅういがみ合ってるし、ダレンは相変わらず不思議な奴だし、俺は空気読めないし、メイドとしても執事としても全く役に立たない俺たちであるが、そんな俺たちを見て、アナスタシアはいつでも楽しそうに笑っている。
他に何もいらないだろう。俺は、彼女の笑顔が見れるだけで幸せなのだ。まあ欲を言うならば、もっと二人きりの時間が欲しいところではあるのだが……。
「そういえば、ロイドは元気にしてるのかい?」
アナスタシアの執事であったロイドは、現在イザベル元王妃の執事としてウィンザー公爵宮殿に務めているらしい。イザベルは御年五十五歳。ランカスター第二王子の国王就任と同時に王妃の座を退き、現在は公爵夫人として余生を過ごしている。王妃時代に悪化していた持病も多少持ち直したようであり、元国王のウィンザー公爵と共に街中を歩く様子もたびたび目撃されているのであった。
「ロイドは元々イザベル様の執事だったんでしょ? まー、良く知らないけどさ」
どうにもリリアンはこの話題に乗り気でないようだ。というより、彼女は基本的にユトダイン王族を敵視しているのであろう。俺も何となく、彼女の気持ちが理解できる。
リリアンは元々アナスタシアの側近衛兵として、いや友達として、長い間彼女を支えてきた過去がある。それに伴い、見たくないものも沢山目にしてきたのだろう。アナスタシアをめぐる薄汚い政争の数々。上辺だけ取り繕って、心の底ではアナスタシアを腫物のように扱っているユトダイン王族の姿を、一体どれほど見てきたのであろうか。
「てか、ロイドなんてどうでもいいのよ! それより問題はジェームス! あの男、一体何を考えてるのかしら!?」
「おいおい、流石に失礼じゃないか? 仮にも国王陛下なんだし、アナスタシアの夫でもあるんだから」
「そこよ! 結婚から三年が経とうとしてるってのに、あの男はアナスタシアに指一本触れようとしないのよ」
「……いや、どうなんだ。俺は知らないけど」
そう言ってアナスタシアの顔を覗き見ると、彼女は顔を赤くして俯くのであった。
「え、ええ……。私もね、どうしたらいいか分からなくて……」
「まあ、もしあの男が強引に手を出そうものなら、それこそ容赦しないけどね」
フンと鼻を鳴らして意気込むリリアン。こいつは一体どの立場からものを言ってるんだか……。
だがしかし、アナスタシアに惚れている俺からすれば、国王夫妻のドライな関係は……少しばかり嬉しい現状でもある。だからと言って俺が、彼女と付き合えるわけもないのだが。
でも彼女がもし、もし本当はジェームスにぞっこんで、とっくの昔に体の関係まで築いていたとしたら……。
……馬鹿な妄想はやめよう、何にもならない。この件はアナスタシアだって深く悩んでいるはずなのだ。彼女は今やユトダインの王妃である。彼女の役割は全ユトダイン国民の母であり、そして次期国王を出産し、立派な王太子に育て上げることなのだ。
勿論それが悲しいことだとは思わない。ランカスターのおかげで、国民が王室に親しみを持つようになったことも事実である。
しかしマスメディアの無節操は少し目に余る。今まで国王へカメラを向けることさえ憚っていた新聞記者たちが、今やプライベートの隠し撮りに躍起になっているのである。出版界では「王室ゴシップ」などというジャンルまで確立されており、記者どもは死肉を漁るハイエナのごとく、特ダネ情報を嗅ぎまわっているのだ。
「ジェームスはきっと、マーガレットさんのことが好きなのよ」
アナスタシアの言うマーガレットとは、恐らくあのダンバース家の娘のことであろう。彼女はかつてジェームス国王と恋愛関係にあった、という噂だ。もちろんジェームス国王から直接聞いたわけでも無いし、本当のところは分からない。
かつてはユトダイン王国筆頭貴族として権勢を誇ったダンバース公爵家であるが、彼らは一昨年のクーデター事件により全てを失っていた。当主のチャーリー・ダンバースは、アナスタシア暗殺計画への関与を理由に処刑されたのであった。
彼らは爵位も剥奪され、その親族はあらゆる名誉職から解任された。そして彼らは広大な領地を売り払い、今はどことも知れぬ地方でひっそりと暮らしているらしい。
「凋落したダンバース家に対して、ジェームスが資金援助を行ってるという噂もある。まあこれもあくまで噂レベルの話だね」
するとリリアンが、間髪入れずに鋭い視線をこちらへ仕向けてきた。
「チャンスがあると思わないことねニック、ダレンもよ?」
急に流れ弾を食らったダレンが、煙草の煙にむせこみながら立ち上がった。
「ゴホッ、うええ、変なとこはいっちゃったじゃないか」
「あらごめんなさいね。そういえばダレン、煙草変えた?」
「え? ああ、よく気付いたねリリアン。王宮職員の女の子がくれたんだ。サルデーニャ旅行のお土産だってね」
……王宮職員の女の子がくれただと? 何だそれ。そんなことあるのか? 俺も王宮に来てからまる一年経つが、職員の女性からプレゼントなど貰った記憶も無い。
「最近気付いたんだけど、僕って案外モテるみたいなんだ」
「あんたねえ……」
すると、ここまで無言で紅茶を口にしていたシャーリーが、ダレンの頭を思い切り引っ叩く。
「顔だけだからね。勘違いしないの」
「シャーリー、なんか最近あたり強くない? 反抗期?」
シャーリーも今年で14の年になる。確か、女の子は一番多感な時期であると聞いたことがあるが……。
「そーゆーのいいから、ほんとうざい。てか煙草やめてくれない? 煙いのよ」
「……あ、ああ。ごめんよ」
いそいそと火を消すダレンの哀愁溢れる姿に、俺は思わず吹き出しそうになってしまった。するとシャーリーがこちらへ目線を向け、つかつかと歩み寄ってくる。
「ニックは煙草吸わないから好きー」
相変わらずこの子はスキンシップが激しいのだ。俺の右腕に胸が押し当てられ、心拍数が跳ね上がる。そんな俺をからかうような目つきで見つめるシャーリー。
「……いや、アハハ。俺もそのうち吸い出すかもしれないぜ?」
「うん、ニックならいいよ」
俺は助けを求めるべくダレンの方に目を向けた。しかし彼は肩を落とし、うなだれた様子でこちらに気付かない。
「おいダレン、何とかしてくれよ。リリアンも」
そうは言ってみたものの、最近リリアンはこの手のシャーリーの行動に反応を示さないのである。以前なら不機嫌そうな調子で、道徳だ何だと説教をかましていたのだが……。ちなみにアナスタシアは相変わらず、いつものように微笑みながら俺たちの様子を眺めている。
「なーんか最近余裕ぶってるじゃん。リリアンお嬢様?」
ようやく離れてくれたかと思えば、今度はリリアンへと噛みつくシャーリー。しかしリリアンは微妙な表情を浮かべながら、言葉に詰まっている様子である。
「いや、ね。うーん……」
こんな彼女の姿も珍しい。どこか歯切れの悪い、それでいてシャーリーを気遣っているかのような、何ともハッキリしない態度を見せるのである。
「ねえちょっと! 違うからね!」
リリアンへそう言い放つと、シャーリーは駆け足で二階の部屋へと戻ってしまった。
「……一体何だったんだ?」
するとリリアンは、とぼけたような笑みを浮かべながら首をかしげるのであった。隣に座るアナスタシアも、なぜか意味深な微笑みを見せている。
「え、なに? 何なの?」
「……まー、ねー」
はぐらかすような態度を見せるリリアン。アナスタシアに至っては席を立ち、項垂れるダレンを励まそうとしているのである。
「ダレンさん、そんなに落ち込まないで大丈夫よ。シャーリーちゃんはちょっと複雑なお年頃なの」
「……いやあ、僕が悪いんですよ。僕変わってるんで。彼女も成長して、色々気に障るようになったんでしょうね」
まあ、ダレンは大分変った人間ではあるのだが……。それは別として、確かに彼はシャーリーを家族のように大事にしていたし、あんなに邪険にされてしまっては、そりゃあ落ち込むのも無理はない。
「そういうダレンさんの優しいところ、シャーリーちゃんは絶対分かってくれてるから」
「……アナスタシアさん……ほんとに、天使みたいな人ですね」
「え? あー、あの……そのですね……」
恐らくこう言うところなのだ。何というか、上手く言い表せないが、やはりダレンは少しズレている。そこが彼の良いところでもあるのだが……。
「こりゃー、ニックより重症かもねー」
ため息交じりに呟くリリアン。俺より重症とは……?
「え、それって……?」
「うーん。ま、どっちもいい男ってこと!」
「いやいや、絶対違うよな……」




