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バトンの行く先

 『私には今、好きな人がいます。人生で初めての恋。もちろん彼とは出会って半年も経っていませんし、それにここ数か月、とうとう彼との面会は叶いませんでした。それでも私は、毎晩のように彼の笑顔を思い出すのです。ひとたび彼のことを思うと夜も眠れないのです。これを恋と呼ばずして何と呼びましょう。私は存外、惚れっぽい性格だったのでしょうね。だって彼と過ごした時間はひと月にも満たないのに、私の心はこんなにも、彼の虜になってしまったのですから……』


 誰に送るわけでもない手紙をしたためて、私は深いため息をつくのでした。傍に目をやると、暖炉の火がぼんやりと揺らめいています。手元の便箋をクシャクシャに丸めて、私はその紙くずを火の中に放り投げました。すると青白い炎がパッときらめいて、便箋は瞬く間に燃え尽きてしまうのでした。


 新年を迎え、私はひと時の静寂を楽しんでいます。ジェームスはランカスター国王との打ち合わせがあると言って、もう一か月も宮殿に戻っていません。……いいえ。戻ったとて、生活はさほど変わらないのでしょう。彼はいつもの心配そうな表情を浮かべて、「アナスタシア、変わりはないか? 辛いことがあったらいつでも相談してくれ」と、優しい声でそう語るのです。そして私はいつものように、「ありがとう、私は大丈夫よ。それよりジェームス、あなたも無理をしすぎないで下さいね」と答えるのです

 彼のいる夜は少しばかり緊張します。今夜こそ、彼は私を求めに寝室へとやってくるかもしれません。その時私はどうすれば良いのでしょうか。恋愛など許されないのです。でも、例えば私が彼を拒んだとして、きっと彼は困ったような表情を浮かべながら、どうにか私の気持ちを尊重するために動くでしょう。彼はあまりにも優しい人だから。私は今この瞬間も、彼を困らせているのです。彼は私に気持ちが無いことを知っていて、私を求めに来ないのです。きっと今夜も、明日の晩も、明後日の晩も……。


 ランカスターはいずれ王室を無くすつもりだと言ってました。私は愚かにも、その言葉にわずかな希望を感じてしまったのです。私は一般市民になれるんだと……。当然のように離婚は許されざる行為かもしれませんが、私はニックと一緒になりたい。でもニックはリリアンのことが好きなのかな。リリアンもニックのことが好き。だから私の恋は叶わない。きっと、叶わないんだろうな……。


 サリムの別荘の屋上で手を繋いだとき、私は本当に彼のことを好きになってしまったのです。彼は私を守るために、いつだって私のことを一番に考えてくれていた。私のために彼が苦しんでいることも、もちろん気付いてた。全部気付いていたの。彼の苦しそうな顔を見るたびに、私は罪悪感で胸がいっぱいになるのに、本当に申し訳ないと感じているのに、どこかで、喜んでいる自分がいた。そんな自分が気持ち悪くて、もっと自分を責めなきゃ、だって私のせいで、彼はこんなにも苦しんでいるのだから。でも嬉しくて、泣きそうで、彼がリリアンや他の女性と楽しげに笑っていると、胸が押しつぶされそうなほど思い詰めて、これが恋なんだって気付いた直後には、彼は私の前から姿を消していたのです……。


 こんな自分に気付きたくなかった。親友に対して嫉妬の感情を抱いたり、好きな人の苦痛に喜んだり、こんなの、私じゃない。身勝手な感情で友達を妬んだり、好きな人を苦しめたり。ジェームスには気を使わせて、自分の役割を放棄したいと願い、どこまでも自己中心的な、自分勝手な願望に胸を躍らせるなんて。やっぱり私はニックから離れたほうがいいんだよ。ジェームスはいい人よ? 一生私を大切にしてくれる。でも彼は私を愛していない。彼にあるのは途方もない慈悲の心。……でもニックはたぶん、不器用に、まっすぐに、私を愛してくれている。


 それこそ身勝手な妄想ね。本当に身勝手な……。あの人も、同じ気持ちだったのかしら……。

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