最上級のホテル
「あー、お腹いっぱい。先にシャワー浴びてくるわね」
そう言ってリリアンは席を立ち、浴室の方へ去っていった。いつもは彼女に噛みつくシャーリーも、今回ばかりは何も言わずに頷くのであった。
「わたしは、さいしょから親なんていなかったから、失うつらさは分からない……。ずっとダレンが一緒にいてくれたし、今も一緒にいるから……」
「俺もだ。家族を失う苦しみなんて、味わったことないよ……」
それどころか、ここ最近俺は両親のことなど全く考えてすらいなかった。数か月前に両親から手紙が届いてはいたのだが、その時は大した感銘を受けることも無く、二人の手紙を読み流してしまっていた。母からは俺の身を案ずる手紙が、父からは激励の手紙が送られていた。
俺は一応、表向きには国の英雄として祭り上げられている。クーデターへの関与は隠蔽され、俺は王室を守りながら国を改革せし英雄となった。俺にとって都合の良い報道だけが、ランカスターの巧みな工作によって世間へ報じられたのである。
その情報を、特に俺の父は真に受けたのであろう。父は熱心な活動家であったし、ユトダイン王国への忠誠が人一倍高い男であった。だが実際には、田舎町で先生と呼ばれることに酔いしれているだけなのであろうが、どちらにせよ父は、俺に関する報道を見て、きっと感銘を受けたこに違いない。「俺の息子は全てを投げ打って、王国の為に行動した」と、今頃村中に触れ回っている姿が容易に想像できる。
かといって父からの愛情を感じないでもないし、実家に戻れば嬉しそうな表情を見せてくれる。多少思うところはあれど、両親が生きているというだけで、俺は幸せ者なのかもしれない。
「また色々考えちまうな……。まあいい、折角だし、このホテルを思う存分楽しんでやろうぜ?」
「うん、そうだね! リリアンを元気づけよう!」
俺たちは冷蔵庫中の飲料水を取り出した。瓶入りのコークにミルクセーキ、その他ビールやワインなどの醸造酒も揃っている。それらを卓上に並べ立て、備え付けのグラスを三つ用意する。
「つまめるものが欲しいな」
「わたし甘いのがいい!」
「オーケー、リリアンにも聞いてみるわ。まだ風呂入ってるのかな」
俺は浴室の方へと向かい、洗面化粧室であろう部屋の扉を開いてみた。サリムの失態を教訓に、今度はシャワーの音を確認してから入室する。今彼女はシャワーを浴びている最中だ。着替えの途中に鉢合わせる心配もあるまい。
「なあリリアン。つまみでも頼もうと思うんだけど……」
しかし扉を開いた俺は、再び同様の過ちを犯したことを痛感したのであった。眼前に現れたのは、ありふれた洗面台……だけでは無かった。流石はナブール最高級ホテルのスイートルーム。洗面所と浴室を仕切る壁は全面ガラス張りであり、シャワーヘッドを手にするリリアンが、顔を真っ赤にしてうずくまるのであった……。
「は!? ちょっと!! ほんとに!!」
言葉にならない叫びを上げるリリアン。俺は慌てて洗面所の扉を閉め、逃げるようにリビングへと退散する。
「どうしたの?」
脂汗を流す俺の顔を見て、シャーリーが不思議そうに首を傾げる。
「……いや、なんでもないさ。フロントへの連絡は、リリアンが出てからにしよう」
「もしかして、覗いた?」
「いや、覗いたというか」
「……サイテー」
引いた様子で俺を見るシャーリー。しかし弁解しようにも、先ほど見た光景が頭から離れない……。
「いまニックの思考覗いてるから。なんか、今回がはじめてじゃないらしいね?」
「わざとじゃないんだって! つーか浴室がガラス張りとか知らんし!」
シャーリーは顔を顰めながらふんと鼻を鳴らす。必死の訴えも及ばず、彼女はまるで取り合ってくれない様子である。いや、そもそも俺は何も悪くない筈なのだが。
「まー、ニックは見たかったわけじゃないもんねー」
そう言ってシャーリーは視線を脇にずらす。つられて振り返ると、髪を濡らし、ローブを身に纏うリリアンの姿がそこにあった。
「あんた、狙ってやってるでしょ……」
「ほんとすみません。マジでわざとじゃないんです」
「それもそれで……まあいいわ……」
風呂上がりだからであろうか、上気したように頬を染めているリリアン。彼女は首回りに掛けたタオルで顔を覆い、そのままソファーに倒れ込む。
「あーもー! ほんとに! とっとと次行って!」
ジタバタと足を動かすリリアンの様子を見て、シャーリーが意味深な笑みを浮かべながら俺に抱き着いた。
「じゃあ一緒に入ろっか? リリアンは一人にしてほしいみたいだし?」
「いや、先一人で入ってこいって!」
「はいはい、わーかりましたよー」
浴室へと立ち去るシャーリー、ソファに突っ伏すリリアン。俺はいよいよリリアンに掛ける言葉を失い、高鳴る鼓動を抑えながら彼女の様子を盗み見た。彼女も俺の視線に気づいたのだろうか、こんな疑問をぶつけてくるのである。
「……見たよね?」
「あ、ああ……ごめん……」
「謝るんじゃなくてさ、事故だし……その……」
「忘れるよ! 今忘れる!」
「……あのね、そうじゃないんだって。まあいいけどさあ」
歯切れの悪い調子で応答するリリアン。そして彼女は、ソファに顔を埋めたままこう呟くのであった。
「ああ……二人きりならよかったのに……」
「それって、どういう……?」
「もう! どうもこうもないのよ!」
彼女はテーブルに置かれたカクテル瓶を手に取り、その中身を一気にあおってみせる。
「ちょっと、危ないって」
「知らないわよ」
あっという間に容量の半分を飲み込んでしまったリリアン。そして彼女は、浮ついた足取りでこちらへ歩み寄る。
「ニックはさ、あたしのことどう思ってるの?」
「え? どうって……」
ぐいと顔を近付けてくるリリアン。俺の精神状態はまさに崩壊寸前であった。心臓が張り裂けそうなほど高鳴り、全身の血が頭に上る。彼女の白い肌が、そして小さな口元が、今にも俺の口に触れそうなほど近くに寄って来る。湿ったブラウンの縮毛が頬をくすぐり、甘ったるい吐息が鼻をつく。加えてシャンプーの香りも相まって、俺の鼻腔を刺激するのである。
「アハハ、何赤くなってんのよ」
「い、いやあ……」
今となっては、彼女もこうして当たり前のように笑顔を見せてくれるようになった。初対面の頃からは考えられない程明るくなったように思う。その分緊張させられる機会も格段に増えたのではあるが。
やがて夜も更け、俺たちは各々ベッドに潜り込んだ。しかし俺は妙な胸の高ぶりに悩まされ、いつまでも眠りにつくことが出来ないのであった。




