世界平和
「国王陛下はその計画に賛成なのですか? アナスタシア王妃と共にヘルト帝国を訪問するなんて、危険極まりない計画に……」
俺は声を震わせて、思わずジェームスへそう問いかけていた。ヘルト帝国政府の中にはアナスタシアの死を望んでいた人間が数多く存在するのだ。奴らはユトダインの一部同盟派と通じて、アナスタシアの暗殺を目論んでいた。彼女の死を口実に、ユトダインへ軍事侵攻を仕掛けようという計画である。結果として、俺たちが引き起こしたクーデターにより一部同盟派は検挙され、計画は破綻したのだが……。
しかしヘルト帝国政府はこの件への一切の関与を否定し、アナスタシア暗殺を指示した政治家の詳細を明かさなかったのだ。彼女を殺そうと目論んでいたヘルトの政治家共は罪に問われることなく、今ものうのうとヘルト政権の中枢に居座っているのである。
「もちろん賛成ではないよ。しかし選挙の動向は民友党の圧倒的優勢であり、このまま行けばランカスターが次期首相となるだろう。彼が政権を握ればいよいよ、ヘルト帝国との戦争に向けて本格的に動き出す。そうなったら誰にも止められない。彼がよっぽどのスキャンダルを起こさない限りね。ここは大人しく彼の方針に従って、取り敢えずヘルトとの友好関係を築くほかないのだよ……」
「随分と弱腰じゃないですか。仮にもランカスターは陛下の弟でしょう? 対話して、他の方法を考えさせることぐらい出来ないんですか? それに陛下は以前、ランカスターを止めてくれと私に頼みましたよね? あれは一体何だったんですか?」
言葉に詰まるジェームス。代わりにアレックスが、俺を窘めるように手をかざした。
「ニック、相手は国王陛下だ。最低限の敬意は払ってもらわないと困る」
「これでも払っているつもりだ。そもそも陛下は、本当にアナスタシアを大事に思っているんですか? 色々噂は聞きますけど……。とにかく、ヘルト訪問などという危険な行為、俺は受け入れられませんね。何なら直接ランカスターと話したいぐらいだ。今すぐ彼を呼んで来れないのか?」
「……そう言うと思って、呼んである」
ジェームスは部屋に備え付けられた電話機の下へと向かい、二言三言会話を交わしたようであった。そして間もなく部屋の扉が開き、ランカスターが姿を現したのである。
「兄さんと義姉さんの言う通りだったね。来ておいて良かったよ。やっぱり、ニックは反対か」
不敵な笑みを浮かべながら、こちらへと歩み寄るランカスター。俺は彼を睨み付け、同時にアナスタシアへも疑問の言葉を投げかけた。
「アナスタシア、まさか君もこの計画に納得しているのか?」
「ニック……。あなたを巻き込みたくないから、本当は伝えずにいようと思ってたの……。こんな話を聞いたら、あなたは絶対に私を守ろうとするから……」
暗く沈んだ表情を見せるアナスタシアを横目に、ランカスターは俺の目の前で立ち止まった。
「そうもいきませんよ義姉さん。貴方を護衛するにはニックの力が必要です。勿論リリアン・フレッチャーと、残り二人のお仲間もね」
残り二人とは、ダレンとシャーリーの事を指しているのだろう。確かに俺の能力があれば大抵の事は何とかなる。加えてリリアンとダレン、シャーリーが居れば護衛も容易にこなせるはずだ。しかし俺は、先ほど精霊に能力の使い方を見直せと言われたばかりなのである。それに俺の能力は万能ではない。そもそも俺が死んでしまえばそれまでだし、ここまでアナスタシアを守ってこれたのも奇跡に近い出来事なのだ。
「お前……俺との盟約を忘れたか……」
「忘れるわけがないだろう。義姉さんの命は何があっても守り切る、本計画もその覚悟あってのものだ。だから君たちに護衛を頼みたいのだよ。当然、王室衛兵の三分の一を随伴させるつもりさ。百名の王室衛兵と、君たち最強の契約者。もはや命を落とす方が難しいと言えるんじゃないか?」
ランカスターの言い分は最もであるが、結局俺任せの計画ではないか。アナスタシアを守り切るなどと体の良いことを言いながら、俺がアナスタシアの護衛に就くことを前提としているのである。上手く利用されている感が否めないが、まあその点については目を瞑ることにしよう。
問題はそこではない。本計画はアナスタシアにとって、あまりにも残酷な内容なのである。彼女は自分の生まれ故郷を裏切る為にヘルト帝国へ赴くのだ。
ランカスターはヘルトとの戦争を目論んでいる。そして、戦争開始までの準備期間を確保する為、彼はアナスタシアを利用しようとしているのである。現ヘルト皇帝はアナスタシアの父親だ。そして皇后は母親である。ヘルト皇室の人間は皆アナスタシアの家族なのである。彼女は自らの父を騙し、母を騙し、兄弟姉妹を騙し、そしてヘルト国民を騙し、仮初めの友好関係を築くためにヘルトを訪問するのだ。全てはユトダインの軍備増強の為である。生まれ故郷を敗戦へと導く為に、祖国の全国民を欺くことを強いられるのだ。そんなことがあって良いわけがない。そんな汚れ役を、心優しく純真な彼女が担って良いわけがないだろう。
「お前は、その結果アナスタシアに降り注ぐ怨嗟の声を理解できているか? 彼女がどんな気持ちで、家族を、故郷を裏切らなければならないか……。理解した上で言ってるのか?」
「ニック、何をバカげたことを……。義姉さんはユトダイン王室の一員だ。アナスタシア王妃は国民の母であり、全ユトダイン王国民の精神的支柱となられるお方である。それに、戦争に勝てば全て関係ないだろう? そうだな、戦勝の暁に、まずは義姉さんの暗殺を企んでいたヘルト政府の連中を炙り出し、見せしめに処刑すればいい。そうなれば一体、ヘルト国民の誰が義姉さんを恨むだろうか? 悪いのは義姉さんをユトダインへ送っておきながら、義姉さんを殺して戦争の口実を作ろうとした政府の連中、それを支持していたヘルト国民一人一人だろう。許されないのは誰だ? 帝国を欺いた一人の元皇女か? いいや違う。義姉さんを欺いたのは帝国の方だ。外交カードとして娘を利用したヘルト皇帝、畏れ多くもユトダイン王太子妃の暗殺を企んだヘルト帝国政府、そして戦争が始まれば、義姉さんを国賊と非難するであろうヘルト帝国民の方だろう」
次第に熱を帯びるランカスターの口調に、俺は不本意ながらも圧倒されてしまっていた。彼は声を荒げ始め、雄大な演説を披露するかの様に、次から次へと言葉を捲し立てる。
「奴らは敗戦を目の当たりにしてどう考えるだろうか。勿論最初は受け入れられないだろう。しかし我々は徹底して奴らを教育する。非は全てヘルト帝国側にあるのだ。ヘルト政府の悪行を世に公表し、ヘルト皇帝の専制を批判する。世界で最も進んだ民主主義国家である我がユトダイン王国が、前近代的な専制君主国家のヘルト帝国に改革を施すのだよ。国民は大いに喜ぶだろう。同時にかつての独裁的な、封建的な帝国のありとあらゆる遺産を恨むだろう。そして国民は我々に感謝する。……私は名誉を求めない。全てはユトダイン王妃、アナスタシア殿下の慈悲による恩恵であると、そう宣伝しても良い。私は全ての悪を葬り去り、健全で正常な、恒久的世界平和を実現したいのだ」
世界平和だと? まさかこいつは、世界平和の為に戦争を行うとでも言いたいのか。実に矛盾に満ちた文言だが、しかし彼の構想も少しは理解できるような気がする。彼の思い描く構想が、少しずつ見えてくるような気がするのだ。
「例えば私がヘルト帝国の皇太子に生まれたならば、間違いなく戦争など考えないだろう。何故ならヘルトは持てる国であり、現状維持国家であるからだ。もし私がヘルト皇帝であるならば、他国への侵略を止め、国際社会に広く訴えかける。今すぐ植民地主義を放棄し、自由経済による相互発展を目指そうと。しかし私はユトダイン王室の第二王子として生まれた。その立場を利用して、最も合理的に世界平和を実現するためには、王国の全てを巻き込む必要があったのだ。ヘルト帝国の拡張主義、いいや、それはルネスタンも同様だろう。大国の利己的な政策を是正するには戦争に訴える他ない。恐らく今後訪れる戦争は世界中を巻き込む大戦争となる。そこで我が国が覇権を握らなければならない。この混沌とした世界を終わらせる。そして全てを清算し、新たなる恒久的平和秩序を確立するのだ。……それは同時に、アナスタシア王妃を幸せにする、最善にして絶対的な策なのだ。どうか君にも理解して欲しい……」
ランカスターの演説めいた発言の全てを理解できたわけでは無い。しかし彼は絶対に引き下がらないであろうこと。そして、どうあがいても彼の首相就任が避けられない以上、ヘルト帝国との一時的な友好関係構築は必要であることは理解できた。だが戦争は避けたい。ランカスターの主張はやや理想主義に偏りすぎているように思える。戦争の結果がどうあろうとも、それがアナスタシアの為になるとは到底考えられないのだ。
「分かった、護衛の任は引き受ける。ただしお前の考える世界平和とやらには共感しかねるな。……もしアナスタシアの身に危険が及びそうなら、俺は容赦なくお前の暴走を止めてやる」
「それでいい、早速計画の打ち合わせに入ろうか。少し先の話にはなるがね……。次期首相は確定したも同然だから、早すぎることもあるまいよ……」
一体この男はどこまで大局を見据えているのか。俺は果たして、この男を止めるべきなのであろうか。ランカスターの計り知れない構想を目の前にして、俺は漠然とした危機感と、僅に生じる期待を胸に、計画の打ち合わせへと入るのであった。




