国際政治
俺たちは久しぶりの再会を喜んだ。アナスタシアは王妃に就任して以降、毎日忙しい生活を送っているらしい。そんな彼女の話を聞きながら、リリアンは安心したように笑っていた。しかし俺はそんな二人を眺めながらも、呆然と、先ほどの精霊の言葉を思い返しているのであった。
『私が認知できるのは、キミが能力を使った回数だけなのよ。あとはペナルティの回数とか、対価の支払い状況についてぐらい。私たち精霊は人間界の様子を見ることが出来ないの。君が何を思って、どんなふうに能力を使ったかなんて分からないのよ』
彼女は以上の様に語っていた。加えてどうやら、精霊は人間と同じ時を過ごしているらしい。彼女の体感でも、俺の能力使用回数は六回程度であるというのだ。しかし彼女は正確な能力使用回数を把握できる。俺が過去に戻るたび、彼女の中でカウントが刻まれるのである。
結局詳しいことは何一つ分からなかった。ただ分かったのは、俺が八十三回もの過去戻りを経験していること。そのうち二回はペナルティを食らっているということ。ペナルティは対価に関係しているかもしれないということ。そして、恐らく制約を解除して過去へ戻れば、これまで支払ってきた対価はチャラになる可能性が高いということである。
「とにかく元気そうで良かった。王妃の仕事も慣れてきたみたいね」
「そんな、まだまだ全然よ。でも就任当初よりは落ち着いて来たわ。ジェームスといる時間も増えて、彼の事も分かるようになってきたし」
「……ちょっと聞きにくいんだけど、ジェームスとはどうなの? まだ彼は……」
そうリリアンが尋ねようとした瞬間、部屋の扉が音を立てて開かれた。驚いて振り返ると、申し訳なさそうに入室する男の姿が見て取れる。
「二人とも、よく来てくれたね」
「……国王陛下、再びお目に掛かれて光栄です」
部屋に入ってきたのはジェームス国王であった。俺たちは慌てて直立の姿勢を取り、そのまま深々と頭を下げた。しかしジェームスは困ったような表情を見せながら、手を横に振って見せるのであった。
「はは、国王だなんて……。今やお飾りに過ぎないよ」
弱々しい笑顔を浮かべながら謙遜するジェームス。国王になっても彼の控えめな人間性は変わらないらしい。俺は少し安心したような、それでいて緊張の解けない、ぎこちない感情を抱きながら彼と対峙した。
しかし後方に立つ男の姿に気付いた俺はすぐさま表情を一変させた。男は衛兵の制服を身に纏い、ジェームス国王の背後から俺たちの姿を凝視している。
それは良く見知った顔であった。半年前に会った時、彼は王太子の側近衛兵だったことを覚えている。やがて王太子は国王となった。同時に彼は国王の守護という、王室衛兵で最も栄誉ある任務に就く男となったのである。
「アレックス・ミットフォード……」
10月26日のクーデター時。俺たちは諜報局付近のビル四階で激しい戦闘を繰り広げていた。アレックスはジェームスの側近衛兵であり、あの時王宮周辺の異常を探っていたのである。
今思い返しても身震いを覚える。彼の能力は実に強大であった。突風を巻き起こす攻撃の前に、俺は為す術なく殺されかけたのである。
「ニック、それにリリアンも……。久しぶりだね……」
含みのある表情を浮かべるアレックス。その姿を見て、リリアンが不満げに眉を顰める。
「なにその態度。言っとくけど、あたしは謝らないわよ。あんたはニックを殺そうとした……」
ビルまで俺を助けにやってきたリリアンは、その後不意打ちでアレックスを戦闘不能に追い込んだ。彼が恨みを抱いていたとしても何ら不思議ではない。
しかし彼は慌てて両手を突き出して、焦ったように弁解を始めるのであった。
「怒らないでくれリリアン、私は謝罪なんて求めていないよ。……まさかニックが君の思い人だったなんて、あの時は知らなかったんだ」
「は? はあ!?」
顔を真っ赤にして怒り出すリリアン。俺は唖然として彼の顔を凝視した。するとアレックスは続けてこう語るのである。
「あれ、違うの? 王都では噂になってるけど。王国の英雄ニック・ロビンソンと元衛兵のリリアン・フレッチャー夫妻。二人の経営する占い屋が大反響を呼んでるって」
アナスタシアの方を振り向くと、彼女も頬を染め、顔を両手で覆いながら俯いている。
「あの……知らないフリをしようと思ってたんだけど……。その……結婚おめでとう……」
「いやおかしいって! 誰だそんなデマ流した奴は!?」
俺が詰め寄ると、アレックスも困惑した様子でこう答える。
「いやあ、一部雑誌では記事になってるんだけどなあ……」
選挙をめぐる動向に気が行きすぎて、ゴシップ記事など目もくれていなかった。何より近頃は出版社の数も急増しており、世間は情報で溢れかえっているのだ。もちろん堅実な政治・経済雑誌などもあることにはあるが、多くは大衆をターゲットにした猥雑な三流雑誌であり、あることないこと記事に書き立てては購読者の好奇心を煽り続けている。
まさか自分が記事に載るとは思わなかったが、考えてみれば俺も王都の有名人なのだ。良くも悪くも世間の注目を集めやすい存在であることを、俺は全く自覚していなかった。
「クソほど下らないわね、こんな男と夫婦になるわけないでしょ」
リリアンは憤慨しているようだが、こうきっぱりと言い放たれると、それはそれで傷つくというものである……。
「まあ、一緒に住んでるのは本当だけど……」
王都を離れなかったのは、アナスタシアをめぐる情勢を出来るだけ把握するためであった。リリアンも同様の考えであったから、俺たちは同居を始めたのである。そもそも俺たちは二人で暮らしている訳じゃない。ダレンとシャーリーだって同じ屋根の下で生活しているのだ。
しかし近頃の出版業界はあまりに道徳を欠いているように思う。売上が全てといった考えなのだろうが、事の真相は二の次で、大衆に受ければ何でもありといった始末である。政治家や芸能人、著名人のゴシップやスキャンダル。朝刊では大富豪の盛大な結婚式が一面を飾り、その日の夕刊では有名映画監督の愛人騒動が大々的に報じられる。あれだけ世間を騒がせたリトラス紛争の動向も、今や誰一人として興味を示さない。ここ最近の政治関係で注目を集めた出来事と言えば、それこそランカスターの選挙出馬ぐらいのものだろう。
「まあいいわ。で、あたしたちを呼び出した理由は何かしら?」
落ち着きを取り戻したリリアンが問いかけると、アレックスも表情を変えて向き直った。
表向きはアナスタシアとの面会と聞かされていた。しかし、これまで王宮の出入りを禁じられていた俺たちが再び立ち入ることを許されたのだ。恐らく何か裏があるに違いないと、俺もリリアンも内心疑っていたのである。
「……君たちに頼みたいことがある」
やはり、思った通りの反応だ。俺は思わず息を呑み、次の言葉を待ち受けた。アレックスは続けて次のように語り始める。
「まずは背景から説明しよう。今月行われる庶民院総選挙。君たちは、ランカスター率いる民友党のマニュフェストを把握しているか?」
「経済の更なる発展。あとは軍制改革と、独自外交路線の確立……だよな」
民衆の関心は経済の発展に向いている。しかし真に懸念するべきは軍制改革、そして外交路線の変更についてであろう。間違いなくランカスターはヘルト帝国との戦争を視野に入れている。恐らくそれはアレックスも、そしてジェームスも同様に見抜いているはずだ。
「その通り。中でも独自外交の確立は、ルネスタン共和国との同盟が目標とされている」
「……なるほど。対ヘルト包囲網を強化させようという魂胆だな」
「ああ。しかし問題はヘルト皇帝の反応だ。ルネスタンとヘルトは今や敵対関係にあるからな」
現在ヘルト帝国とルネスタン共和国は、リトラスの地を舞台とした代理戦争の渦中にある。所謂リトラス紛争は、勃発から半年以上を経た今現在でも解決の兆しが見えていない。リトラス義勇軍の抵抗は予想以上に激しいもので、ヘルト帝国軍は完全に泥沼へと引きずり込まれてしまったのである。
小規模な戦力しか持たないリトラス義勇軍がここまで戦えているのは、ルネスタン共和国による援助のお陰であった。ルネスタンはヘルトの領土拡大政策を認めず、リトラス義勇軍へ莫大な物資を送り続けているのである。
ヘルト皇帝及び外相はルネスタンの介入に反発し、ルネスタン側もヘルトの行動を侵略行為と糾弾する。両国外相は互いに激しい非難の応酬を繰り広げ、今や両大国の緊張関係は国際社会全体に波及しているのであった。
「確かに、我が国がルネスタン共和国に接近すればヘルト皇帝も黙っていないだろう。ランカスターは戦争準備を整えたいんだから、下手にヘルトを刺激したくはない筈だ。ルネスタンとの同盟なんて、それこそ自殺行為じゃないか?」
「ああ。そこでランカスターはニ方面外交を考えているらしい。ルネスタン共和国とヘルト帝国、どちらの国とも仲良くしようって魂胆だ。もちろん本命はルネスタン。ヘルト帝国との協調は表向きに過ぎない」
二方面というより、二枚舌外交といったところだろう。ランカスターらしい、実に狡猾な作戦である。
「それで、ランカスターの外交構想と俺たちに何の関係があるんだ?」
「そう慌てるな、ここからが本題だ。ランカスターはアナスタシア王妃の立場を利用して、ヘルト帝国との友好関係を維持しようと考えている。そこで持ち上がったのが、国王陛下と王妃殿下のヘルト訪問計画だ」
アナスタシアはもともとヘルト帝国の皇女であり、政略結婚の形でユトダイン王室へと嫁いできた。いわば彼女はユトダインとヘルトを繋ぐ架け橋であり、対ヘルト外交において最も重要なカードなのである。
「……なるほど。その護衛に、俺たちを使いたいってことか」
「君たちには実績がある。それにランカスターは随分と、ニックを気に入ってるようだからね」
アレックスが俺の右手に目を向けた。同様にジェームスも視線を移す。恐らく二人とも、俺の手の甲に刻まれた紋章を見ているのだろう。
「やはり、君が盟約相手だったんだね……」
静かに呟くジェームス。その表情はどこか悲しげで、遠いどこかを見詰めているような目をしているのであった。




