ダンバース家の娘
「ジェームス! お父様の無実を証明して! どうして私達がこんな目に……」
王太子の執務室前を通りすがった時、中から若い女性の悲痛な叫び声が聞こえてきた。ランカスターはその声に足を止め、こちらを振り返って次のように言った。
「揉め事かな。どうやら兄さんが巻き込まれてるみたいだね」
彼は躊躇なく執務室のドアノブを引き、厄介ごとの渦中へと足を踏み入れるのであった。
「やあ兄さん、それにマーガレットも。二人して痴話喧嘩かな?」
「……ランカスター。何の用だ?」
「怖い顔しないでよ。マーガレットの声が聞こえたから、心配になって様子を見に来たのさ」
王太子の執務室には、ジェームス王太子の他に一人の女性が佇んでいた。年齢は俺より多少上であろうか。いかにも名家の娘らしい、旧時代風の優雅なドレスを身に纏った美しい女性である。
「ランカスター! 貴方からも言ってよ、お父様は何も悪いことをしていないって!」
「マーガレット……。残念ながらこればっかりは、どうにもできないよ。君のお父様はアナスタシア王太子妃の暗殺を企んだ。容態が回復すれば大審院の裁きを受ける。恐らく、死刑は免れられないだろう」
俺はランカスターの言葉を聞いて、このマーガレットという女性が何者であるかを悟ってしまった。彼女は恐らくユトダイン筆頭貴族、チャーリー・ダンバースの娘なのであろう。それならば何故王太子の執務室にいるのかも理解できる。彼女はかつてジェームス王太子と恋仲であったのだ。リリアンから聞いた噂話だから、真偽の程は分からない。だが予想するに彼女は、昔の恋人ジェームスへ父親の助命を訴えに来たのであろう。
「貴方はお父様と仲が良かったでしょう? ジェームスがアナスタシアと結婚した後も、貴方だけは私達ダンバース家と仲良くしてくれていた……。お願いだから、お父様の為に証言して!」
マーガレットの必死の嘆願を聞いて、ランカスターの表情が変化した。まるで彼女を侮蔑するかのような、冷めた表情を彼女に向けるランカスター。
「……どうにも君は事実を受け入れられていないようだね、マーガレット。君の父親は、今君の目の前にいるジェームスの妻を殺そうと企んだ。それはつまり、私の兄嫁を殺そうとしたということにもなる。君は一体、誰に向かって父親の助命を嘆願しているんだ?」
すると彼女は目に涙を浮かべ、ランカスターへ迫りながら次のように言い放つ。
「だったら貴方はどうなの? アナスタシアを嫌っていたのは貴方も同様。よくお父様と、彼女の悪口で盛り上がっていたのも知ってるわ」
「今度は脅迫か。確かにその通り、私も義姉さんのことは快く思っていなかった。でもだからといって、暗殺しようなんて考えたことは無かったな……。君の父親はよほど彼女が憎かったらしい。それもそうか、何しろ娘の将来の結婚相手を奪われたんだからね……。まさか無いとは思うけど、君も父親と一緒にアナスタシア暗殺計画に加担していた、なんてことはあるまいね?」
ランカスターの冷徹な目付きに、マーガレットの顔色がみるみる内に青ざめていった。
「君にとってアナスタシアは泥棒猫、愛するジェームスを奪った恋敵だ。ヘルト帝国の汚い回し者が、将来の旦那をかっさらっていった。アナスタシアどころか、王室そのものすら憎かったんじゃないか? 」
容赦なくマーガレットを追い詰めようとするランカスター。その様子を見かねたのか、ジェームス王太子が二人の間に割って入る。
「いい加減にしろランカスター。彼女は御父上の助命を願っているに過ぎない。家族を助けたいと願うことは罪か? 人間ならば当然の感情だろう?」
「兄さん。昔の女に肩入れするのは止めた方がいい、あらぬ疑いを掛けられるよ。実際噂になってるんだから。ジェームス王太子はダンバース家の娘に未練タラタラだってね」
「お前も、私とマーガレットの仲を疑っているのか?」
「いやいや、噂になってると忠告したまでさ。兄さんが実直な男だってことぐらい理解してる。でもね、兄さんは誰にでも優しすぎるんだよ。現にその女は勘違いして、無節操にも兄さんへ縋りついてるじゃないか 」
ランカスターの批判に耐え切れず、マーガレットは涙を流しながらその場に崩れ落ちた。
「……私たち一家を敵に回して……ただで済むと思わないことよ」
息を詰まらせながらも、涙声で反抗するマーガレット。しかしランカスターは動じることなく、次のように言葉を吐くのであった。
「ダンバース家はもうお終いだよ。いや君たちだけじゃない、全ての貴族に斜陽の時代が訪れる。それは我々王室とて例外では無いだろう。今のうちに商売の方法でも考えておくんだね」
そう言い残して、ランカスターは執務室を後にした。俺は慌てて彼の後に続こうとしたが、ジェームスが次のように俺を呼び止めた。
「ニック、待ってくれ。君に伝えたいことがある」
俺は足を止め、ジェームスの方を振り返った。しかしランカスターは歩みを止めることなく、そのまま廊下へと出て行ってしまう。
「弟を、ランカスターを止めてくれ」
「止めるとは……一体……」
「彼は戦争をするつもりだ。ヘルト帝国との、全面戦争を……。この際王室の行方などどうでもいい。ただ、この国を地獄に陥れる選択だけは、何としてでも回避したい」
「……戦争。しかしジェームス殿下、どうして私にそれを。私は……」
もし本当にランカスターが戦争を企んでいたとして、何故ジェームスは俺を頼るのか。俺とジェームス王太子は、これまで確かに近い立場にあった。俺はジェームス王太子の妻である、アナスタシア王太子妃の側近衛兵であった。しかし実際ジェームスと顔を合わせたのは一度きり。重臣会議の際に少しの会話を交わしたのみである。彼は俺がどんな人間か、殆ど何も分かっていないのではないだろうか。
「ホールデンが君を評価していた。君ならランカスターと上手くやり合えるかもしれないと。彼は全てを話さなかったが、後は君に託すと語っていた。そして、君に協力しろとも……」
またもホールデンの名が挙がる。一体彼は何を考えていたのだ。ランカスターに俺の能力をバラしておいて、一方でジェームスに、俺への協力を要請していたのである。
「ホールデンは一体、私に何を期待しているのでしょうか……」
俺の素直な疑問であった。彼の目的は何なのだ。ランカスターが企んでいるという、ヘルト帝国との全面戦争を回避して欲しいのか。しかし俺とランカスターのパイプを繋いだのもホールデンである。彼のお陰で、俺はランカスターと繋がりを持つことができたのだ。
「ホールデンはこう語っていた。このまま行けば戦争は避けられない。しかしニックなら、何かしらやってくれるかもしれないと」
「彼は私に、戦争を回避させて欲しいと考えていたのでしょうか……」
「いや、それがどうも。あと彼はこうも語っていた。君がどのような選択肢を選ぼうとも、君を全力で支えてやって欲しいと」
「……そうですか」
俺はホールデンの手紙を思い出した。『ジェームス王太子は良き師となるだろう』。世間では日和見主義者と揶揄される王太子であるが、意外にもホールデンは、ジェームスを高く評価していたのだ。
「王太子殿下。恐らく今後私は、度々殿下に助けを求めることがあるでしょう。その時はどうか、殿下のお力をお貸しいただきたい」
「私に出来ることがあれば何でもしよう。君はこれまでも我が妻を守ってきてくれた。私は心から、君を信用している」
……そうだ。アナスタシアは今どこにいるのだろうか。リリアンとサマンサが王都へ来ているということは、彼女の側にはロイドしか残っていないのではないか。果たして身の安全は確保されているのだろうか。
「あの……。アナスタシア殿下は今、無事でいらっしゃるのでしょうか?」
「既に宮殿へ戻っているよ。昨日王都に到着したらしい。要件が片付いたら、会いに戻ってやってくれ」
ジェームスは複雑な表情でこう答えた。そして彼は、自らの足元に座り込むマーガレット・ダンバースの姿を盗み見た。恐らく彼女のことを気に掛けているのだろう。マーガレットは呆然と、虚ろな眼でどこか一点を見詰めているのであった。
「ランカスターの言うことを鵜呑みにしないで欲しい。この子は本当に、自分の家族を助けたい一心でここに来た」
ランカスターの言う通り、確かにジェームスはあまりにも人が良すぎるように思われる。若しくは昔の恋に未練でもあるのだろうか。彼の様子を見る限り前者だと思われるが、ことマーガレットの件に関しては、ランカスターの主張に同意してしまいそうな自分がいた。アナスタシアを殺そうとした人間の娘に対して、俺はここまで同情の念を抱くことはできない。彼女が無関係であったとしても、心情的に受け入れられないのである。
「……分かりました。恐らくランカスターが待っているでしょうから、そろそろ行きます」
俺は二人を残し執務室を後にした。廊下の先で、ランカスターがこちらを向きながら佇んでいるのが見える。そして彼は手招きをしながら、自身の隣にある部屋の扉を開いて見せた。国王の執務室であろうか。俺は不安を胸に抱きながら、急ぎ足で彼の下へと向かうのであった。




