遺書
『この手紙は読了次第速やかに破棄するよう。
君がこの手紙を読んでいるということは、すでに私は君の手によって殺されているのだろう。もしそうでなければ、私の目論見は挫かれたことになるのだろうが。そうなっていないことを願う』
こう書きだされたホールデンの手紙の内容は、恐ろしく巨大な陰謀の全容を明かすものであり、それでいて極めて単純な結末を示唆するものであった。よく事実は小説よりも奇なりと語る人があるが、実際にはそうとも限らないのである。事実は小説よりも平凡で、しかし複雑である。
結論から言ってしまえば、全てはランカスター第二王子の思惑通りに進んでいたのである。彼は中央の革新官僚及び若手議員連中に影響力を広め、その結果、王統派なる派閥が自然発生的に誕生した。また中央とは別に、陸軍の若手将校たちが国家改造を目指し、ランカスターを盟主とする王国新体制の確立を志すようになった。彼はそのカリスマ性を最大限に発揮して、自らの手を動かさずして派閥を作り、反乱を誘導し、そして遂に国王の座に就こうとしていたのである。
『私の真意は、王国政体の現状維持を貫くところにあった。すなわち改革は漸次的なものに留め、同盟派による国家運営を支持するという方針である。そこで現れたのが一部同盟派のアナスタシア暗殺計画だった。リットンはじめ同盟派四名の王太子妃暗殺計画関与が世に出れば、他の同盟派メンバーも一挙に求心力を失ってしまう。私は出来るだけ彼らの動きを牽制し、かつ彼らの立場を守ることに奔走した。何としてでも、王統派の台頭を許すわけにはいかなかったのだ
私と君で唯一共通していた思惑は、アナスタシアを死なせないことであった。だから私は君を利用し続けた。彼女の死は国を崩壊へと導くからである。しかし王統派の台頭は、それよりもっと危険なことであると私は考えていた。だからアナスタシア暗殺計画に関与する、一部同盟派のことも守らなければならなかったのだ』
しかしそこで、王統革新党のクーデター計画が持ち上がったのだ。もはやホールデンに打つ手は無かった。計画を事前にキャッチしていた中央の王統派メンバーは静観の方針を取り、同盟派の閣僚たちに情報を流さなかった。ただホールデンだけが、反乱阻止の決意を固めたのであった。
『君はこう思うだろう。反乱を阻止したいなら、暗殺対象の首相や各要人を避難させるべきだったのではないかと。無論その通りである。しかし私は結果的に、マルコム首相はじめ多くの官僚を見殺しにした。それは何故か? 答えは簡単だ。彼らの命を救ったところで、同盟派の信用失墜は目に見えていたからである。クーデターが発生した時点で、一部同盟派の悪行が世に告発されることは確実であった。たとえ暗殺が未遂に終わったとしても、ひとたび反乱が発生してしまえば、新聞各社は全力で事件の調査を始めただろう。一部同盟派は裏社会の人脈を用いて、王太子妃の暗殺を目論んでいた。世間が注目すれば当然リークもあり得る。彼らが殺されようと殺されまいと、同盟派の命運は既に尽きていたのだ』
ホールデンは要人の保護を行わなかった。それよりも彼は反乱軍の鎮圧に全力を注ぐことにしたのである。警視庁及び諜報局が落ちなければ、反乱軍の勢いは削がれるかもしれない。警察隊が命を賭して反乱軍と戦えば、王統派重臣も陸軍も黙ってはいられないだろう。中央王統派の政治家たちは、本当は反乱軍に肩入れしたくてたまらない。だが警察部隊が奮戦すれば、王統派筆頭のランプリング内務大臣とて、容易に全ての要求を飲むことは出来なくなる。
『私が第一に阻止したかったのは、国王親政の実施であった。内閣や議会の権限を弱め、国王の権力を高めることは断じて避けたかったのだ。独裁は国家を崩壊させる。たとえランカスターが国王に就任したとしても、議院内閣制が正常に働いていれば暴走は避けられる。とにかく一人の人間に権力を集中させてはならない。私はそう考えていたが、これから後の動向は君が確認してくれたまえ』
それでは何故ホールデンは、自らの命を俺に奪わせたのだろうか。彼は俺に情報を与え、行動の自由を許しながらも、全てを伝えようとはしなかった。そして、最後まで意味深な台詞ばかり残して死んでいった。
『君は、私が思いのままに動かせない唯一の人間だった。だから私は君に期待した。君を上手く利用するのではなく、お互いに駆け引きを行いながら、事態の解決に向けて共闘する。君に全てを明かしてしまえば、君はどんな行動を取るか分からない。馬鹿げた行動でも起こされたら堪ったものじゃないからな。しかし君を力でねじ伏せて、私の操り人形として君を動かせば、君の良さは失われてしまう。私は君をある程度対等な存在として認識していた。そして、君に全てを託すことにした。
私の真意は伝えないことにする。もし馬鹿げた行動でも起こされたら堪らないからな。その代わり、私の収集してきた全ての情報を君に与えよう。
地図を同封しておいた。印の場所に全ての資料を埋めてある。別に掘り起こさなくてもいい、これから役立つ情報など殆ど無いだろう。重要なのは、君が私の集めた情報を全て握っているという事実だ。「君だけが情報を握っている」という事実が、君を助けることになる。私の集めた情報を、欲しがる人間は山ほどいるのだよ。ランカスターとて例外ではない。地図の場所を覚えたら速やかに燃やせ。
私が隠した情報は、どうせ今の君には役立たぬものばかりだ。いつか必要な時が来たら掘り起こしてみるがいい。例えばもし、君が過去に戻れるなら……。全ての歴史を書き換えようと考えた時、その前に目を通しておくがいい』
彼は、俺の能力について真相に近い答えを出していた。俺が過去に戻れることに勘付いていたのだ。それでも俺を利用しなかったのは、手紙に書いてある通りの理由なのだろうか……。
『最後に。君は戦時の政治家には向かないが、平時の政治家には向いている。己の特質をよく見極め、何をすべきか考えて行動しろ。ジェームス王太子は良き師となるだろう。お前の恋敵だろうが、学べるものは学んでおけ。……あとアナスタシアは諦めろ、お前とは釣り合わん。彼女はあまりに性質が良すぎる。私の妻も聖人のような女だったが、こちらが夢中になり過ぎると相手を不幸にするぞ。愛するより愛されろ。お前は面倒な男だろうから、尻に敷かれるぐらいが丁度良い。だが浮気女には注意しろよ。何でもかんでも主導権を握らせれば良いという訳では無いからな』
手紙を読み終えた俺は、マッチ棒に火を付けた。最後に何を言うのかと思えば恋愛指南である。思い返せば、ここ最近の彼はやたら世間話をしたがっていた。少しぐらいは乗ってやっても良かったかもしれない。
やがて手紙が燃え尽きるのを確認し、俺は諜報局内の倉庫を後にした。10月28日未明、決起から二日目にして、既に反乱軍は全ての襲撃目標を制圧していたのであった。臨時政府は俺たちの処置に関して、今なお協議を進めているのであろう。クーデターの結末がいよいよ訪れようとしている。どんな結果になろうとも、俺はただ進み続けるのみである……。




