最後の駆け引き
「君は、人を殺した経験があるか?」
ホールデンは静かにそう問いかけた。俺には彼の質問の意図するところが分かりかね、素直に事実を答える他無かった。
「……ない」
「軍人たるもの、いつかはその時が訪れるだろう。最初は吐き気を催すほどの嫌悪感に襲われるが、次第に慣れる」
「何の話だ。いいから早く本題に入れ。お前の手口には飽き飽きしてんだよ」
するとホールデンは小さく息を吐き、含みのある笑みを見せながらこう言い放った。
「今ここで、君に経験させてあげよう」
ホールデンとサムが同時にピストルを構え、こちらへ銃口を向けた。俺はすかさずホルスターに手を掛ける。
「動くな! 隣を見てみろ!」
サムの怒声に視線をずらすと、右隣のダレンが目を見開いたまま固まっていた。その隣に立つシャーリーも、瞬き一つ見せずに運動を停止させていたのである。
「……てめえら」
「インターバルの話は嘘だ。ちなみに私の銃口はお前の頭部を捉えている。サムも同様だ。そのままピストルを引き抜いてみろ、お前の命は無いぞ」
ホールデンとサム。俺は二人から銃口を向けられ、ダレンとシャーリーの動きは停止させられている。テレポートで逃げようにも逃げられず、シャーリーのテレパシーで相手の思考を覗くこともできない。
「最初から、騙していやがったのか!」
五分間のインターバル。少なくともサムは、ここから五分間、いや効果時間を含めて二十分間は能力を使えない。そう信じ込んでしまった……。全てはホールデンの罠だった。奴は有利な交渉を進めるために、シャーリーを人質に取ったのである。俺たちをすぐに殺すつもりは無いのだろう。二人は銃口をこちらへむけたまま、発砲せずに俺の様子を伺っている。
するとホールデンは不意に、懐から一通の封筒を取り出した。その封筒をデスクの上へ置き、彼は次のように語りかける。
「アナスタシア王太子妃の暗殺計画。お前はもう知っているだろうが、あれには同盟派が関わっていた。それと今君が加担している、ピリアス騎士会及び王統革新党の連中もだ」
「……だったら何だよ」
「それら全てを裏で操っていたのは、私だよ」
「……やっぱりてめえが、全ての元凶だったって訳だ」
俺にアナスタシアの身辺を探らせたのも、ランカスターを諜報局の監視下に置いたのも、彼女を狙った容疑者を全て引き取り、情報を一切明示しなかったのも、全てアナスタシアを殺す為だったというわけだ。俺はずっと、こいつの手のひらの上で踊らされていたのだ……。
「同盟派と王統派、それに王統革新党の青年将校メンバー。全ての派閥にアナスタシアを嫌う人間は一定数存在した。あの女を殺したい人間は山ほどいる。それぞれ理由は異なれど、共通して、あの女は邪魔な存在であった。私もそう考えていたよ。あの女はヘルト帝国から送り込まれたスパイであり、平然と敵国の王太子に股を開く売春婦であり、我が国を地獄に陥れようとする悪魔だ。死してもその罪を償えまい」
薄ら笑いを浮かべながら、アナスタシアに対する侮蔑の言葉を並べ立てるホールデン。
「てめえに何が分かる。あいつの何が!」
俺は激昂していた。ホルスターからピストルを引き抜き、ホールデンへ銃口を向ける。こいつが全ての元凶だった。彼女の優しさも、苦悩も分からずに、好き勝手に彼女の命を弄んでいた。彼女を愚弄した。彼女をスパイ呼ばわりした。悪魔呼ばわりした。こいつを生かしておいてはならない。あのニヤけ面を、奴の死をもって俺の視界から消し去るのだ。
「動くなと言ったはずだ」
一発の銃声が響き渡った。ホールデンの発砲である。それはシャーリーに向けられたものであり、彼女の左肩から大量の血が溢れ出す。彼女は身動き一つせず、じっと佇んだまま血液を流し続けている。
「ああ、外しちまったな。まあ女の悲鳴を聞くのもまた一興か。こいつには長く苦しんだ末、死んでもらおう」
再び発砲するホールデン。銃弾はシャーリーの左足に命中し、またも鮮血が流れ出す。
俺は怒りに身を任せ、奴の頭部を狙ってピストルの引き金を引いていた。弾が命中したかどうかも分からない。とにかく俺は引き金を引き続けた。
体を仰け反らせ、椅子にもたれかかったまま、ホールデンは絶命していた。額から血を流す彼の姿を見て、俺はようやく我に返ったのであった。そしてサムの存在を思い出し、慌てて彼に向け銃口を移動させた。
「動くな!」
サムは俺の牽制に応じなかった。そして彼はゆっくりとピストルを持ち上げ、自らのこめかみに銃口を突き付けた。
「……デスクの封筒を回収して下さい。室長からのメッセージが入っています。内容は、なるべく人に明かさぬよう」
「おい! 何するつもりだ!」
「ゲームの引継ぎです。我々は役目を終えました。次は、貴方がプレイヤーとなる番です」
銃声と共に、サムの体が崩れ落ちた。同時にシャーリーが床へ倒れ込み、痛みのあまり声を上げる。
「……いたい、いたい」
サムの能力が解けたのだ。俺は急ぎシャーリーの介抱に向かおうとして、ふとサムの言葉を思い出した。
(デスクの封筒……)
ホールデンの亡骸を横目に、俺は素早くデスク上の封筒を手に取った。すぐさま中身を確認したいところであるが、今はそうも言っていられない。封筒を懐に隠し、俺はシャーリーの下へと駆け付けた。
「シャーリー! 今止血するから!」
「いたいよ……助けて……」
俺は自らの衣服で、患部の左肩を押さえ付けた。ダレンも同じように、彼女の左足の止血に取り掛かる。しかし彼も腹部に銃撃を食らっているのだ。俺もアレックスの突風攻撃の傷を引きずっている。このままでは、三人とも力尽きてしまうかもしれない……。
すると程なくして、反乱軍の一員が扉を蹴破って侵入してきた。だが驚くべきは、反乱部隊と共に現れたサマンサの姿であった。彼女は王国随一の医療系契約者であり、大抵の傷は彼女の手で回復させることが出来てしまう。俺も何度彼女に助けられたか分からない。しかし彼女はアナスタシアと共に、サリムの別荘にいた筈ではなかったか。
「サマンサ! どうしてここに!?」
「ホールデンの命令です。リリアンと共に戻ってきたのですが……。とにかく治療に移ります。優先はそこの少女ですね」
「頼む! そのあとダレンの治療もしてやってくれ!」
「お二人とも命に直結する傷ではないようです。任せてください」
サマンサが治療に取り掛かる。俺はひとまず、仲間を失わずに済んだことに胸を撫で下ろした。ところが直後に全身に激痛が走り、俺はそのまま床に倒れ込んでしまった。緊張状態が解け、アレックスに食らわされた突風攻撃の傷が痛み始めたのだろう。
「ニックさんの治療も後ほど行います。申し訳ありませんが、少々待ってください。他にも負傷者が多すぎて……」
「……ああ、俺は後回しでいい」
諜報局襲撃は、こうして反乱軍の勝利に終わった。やがて駆け付けたプロクター中尉が、ホールデンの死体を確認した。そしてゆっくりと、俺のもとへと歩み寄る。
「君がホールデンを殺したのか」
「……はい」
「ありがとう……。君は英雄だ。目標制圧のために、命を賭して戦ってくれた」
プロクターは涙を流し、俺に握手を求めてきた。俺は複雑な心境で彼の右手を握り返す。ホールデンは死んだ。俺が殺したのだ。その実感も湧かぬまま、俺は静かに懐へ手を差し込んだ。そして俺は、彼の残した封筒の手触りを確認するのであった。




