人体実験
翌日、俺は一人寝室に籠っていた。
久しぶりの雨天であった。景色も音も天候も、その時の心境次第で如何様にも作用するものである。例えば恋人と過ごす休日に、窓を叩く雨音に耳を傾けながら熱いコーヒーを一杯。取り留めのない会話にのめり込み、お互いの愛を確かめ合う。もちろん俺にはそんな経験も無いが、いつの日か鑑賞したロマンス映画にそんな場面が現れて、柄にもなく胸をときめかせたりしたことぐらいはある。
しかし、焦りに支配された今の心境では、空一面に広がる灰色の景色を楽しむことも出来やしない。石畳を打つ雨の音が精神のざわめきとなって、俺の胸中奥深くに迫り来る。一体どうして何もしないでいられようか。休養を取ろうにも、果てしない焦燥感に追い立てられるのだ。事態は一刻を争う。俺はまだ、暗いトンネルの中を彷徨い続けているというのに……。
一体俺はなぜ……?
どうして彼女の為にここまでしなければならないのだろう。俺は元来、人情深い男でも忠義に厚い男でもなかった筈である。どうしてだろうか。こんなにも彼女を思い、彼女を愛してしまったのは……。
もう良いんじゃないか? 俺は十分戦った。
所詮は出会って一月も経たぬ間柄である。彼女のことなど何も分かっちゃいない。だが諦めるという選択肢を取ることは、どうしても出来ない。内なる何かが俺を突き動かす。恋とも愛とも分からぬ、得体の知れない使命感である。
「ニック」
気付くと戸口にシャーリーの姿が見えた。何故か、酷く悲し気な顔をしている。
「どうした? 何か用か?」
彼女は無言で俺に抱き着いてきた。困惑しながらも、彼女の小さな頭に手を乗せる。さらさらと、細やかな髪の質感が手に触れて、そのままか細い体躯を抱きとめようとしたものの、何となく躊躇われて、彼女の背に回しかけた両腕が、だらりと左右に垂れ下がる。
「何かあったのか?」
彼女は何も答えなかった。俺は椅子に腰かけたまま、ほんのり熱い彼女の体温を感じていた。何故だか少し、気分が落ち着くような気がした。
「わたしは大丈夫だから、調査に行こうよ。ダレンも回復してるから」
「……俺の思考を読んだのか?」
小さく頷くシャーリー。俺の焦りを読み取って、色々気を回してくれたのだろう。憂鬱だった俺の心境は、すぐさま罪悪感で埋め尽くされた。
「心で思ってることが全てじゃない。二人には感謝しているし、あまり無理もさせたくないんだ。今日は休もう」
「でも、はやく動かないと……」
「それはこっちの都合だから。気にしなくていいんだよ」
すると彼女は、俺の身体から手を離した。そして困ったような表情を見せながら、消え入りそうな声でこう呟いた。
「……わたしのこと、要らなくなっちゃわない?」
「……え?」
何か不味い発言でもしただろうか。思い詰めたような彼女の様子に、俺は少し動揺させられた。要らないだなんて、共に行動してから一度たりとも、彼女に対して抱いたことは無い。
「どうしてそうなるんだ? 君が協力してくれたから、ここまでの情報が集まった。君が居なければ俺は何もできなかったよ」
「……ごめんなさい」
「何で謝るんだよ」
「わたしが疲れてるように見えたから、ニックは休もうと言った。でもほんとうに大丈夫だから。わたし、今日も働けるよ?」
何か縋るような切実さを感じた俺は、そんな彼女の様子に一種の不安を覚えてしまった。俺の思考が彼女を追い立てていたのだろうか。俺が焦ることで、彼女に罪悪感を抱かせていたのかもしれない。
「シャーリー。気持ちは嬉しいが、君もダレンも働き詰めだ。確かに俺は焦ってるが、同時に君たちの体も心配してる。これは俺の本心だよ」
「……分からないよ。もっと命令してくれないと」
「命令?」
「ちゃんと働けないわたしに、価値はないから……。何だってするよ? どんな命令も聞く。嫌なことだってする。わたし何でもするのに……なんで……」
価値……。自身の利用価値についての話をしているのだろうか。
確かにシャーリーの能力は強大なものである。一度視認した人間の行動を監視し、その思考まで読み取ることができる。そんな彼女の能力を利用せんとする人間は山ほどいた筈だ。ダレンと共に裏社会を生きてきた彼女は、そんな汚い大人の思考を見せられ続きてきたのだろう。
しかし俺には返す言葉が見つからなかった。俺もその汚い大人たち同様に、彼女の力を利用しようと考えているのだから。
「シャーリー、あんまりニックを困らせないでな」
「……ダレン」
いつの間にか部屋の入口にダレンが立っていた。彼女は振り返ると、そのままダレンの脇を抜けて、部屋を後にしてしまった。
「ごめんねー。彼女、色々大変でしょ?」
「ああ、いや……。そう言えばダレンは、シャーリーと長い付き合いなんだよな?」
サリムの別荘で、捕縛された実行犯の一人がそう語っていた。シャーリーの助命を嘆願するダレンに対し、男がついた悪態からその事実は推察できた。またこれまで二人と行動を共にして、度々そういった節の発言を耳にしてきたが、彼らの過去について詳しく聞いたことは無かったように思う。
「うん。施設で知り合ってから、ずっと一緒にいる」
「施設? 孤児院か?」
「いや、研究施設さ。僕たちはまあ、いわゆる実験体だったんだよ」
割と衝撃的な発言をさらっとしてのけるダレン。これまた闇の深そうな話が出てきたものである。
「……それは、国の施設か?」
「どうだろうね。運営元なんて興味なかったからなー。とにかく、施設には身寄りのない孤児が集められていた。勿論みんな契約者だったよ。外出は禁止されていたし、行動も厳しく制限されてたね」
事実として、契約者に関する研究施設はユトダイン各地に設置されていた。陸軍の研究施設も勿論あるし、国から支援を受けた半官半民の研究所も存在する。民間企業の研究所も合わせれば、契約者関係の研究施設は相当数存在すると言っていいだろう。
人体実験の存在については、噂程度の話なら聞いたことがあった。しかし当然そんなものは明らかな違法行為であるし、もし事実であれば官営の施設とて厳罰は免れないだろう。勿論そうした実験に関する噂話はいくらでもあったが、俺はありふれたゴシップの一つとしてしか考えていなかった。
「僕が14の時、シャーリーは施設に連れてこられた。彼女はまだ8歳だった。無邪気で人懐っこい性格だったけど、中でもとりわけ僕になついてくれてたね。施設には娯楽が無かったし、外出もできなかったから、僕はよく彼女に物語を聞かせてたんだ」
ダレンは遠い目で昔話を語ってくれた。だがそれはユトダイン王国の暗部ともいうべき、おぞましい内容の物語であった。
「施設で行われていたのは、対価に関する実験だった。君も知っているだろうが、契約者は能力を得る代わりに対価を支払う。その対価の内容を解き明かそうという実験だったんだ」
対価の内容。俺も一応契約者であるため、どうやら対価は支払わされているらしい。しかし自分の対価についてすら俺は何一つ分かっていない。契約相手の精霊は、決まりがあるから話せないと言っていた。
そういえば前回の接触で彼女は、俺の対価の支払いが悪くなっていると告げてきた。結局対価の内容が分からない以上どうしようもないが、出来るだけ能力の使用は控えたほうがいいのかもしれない。
「その実験はどんな風に行われていたんだ? 対価の内容なんて、実験で分かるものなのか?」
「さあ、詳しいことは聞かされてなかったから。でも主な実験として、能力の発動限界を確かめるものがあった。一人ずつ実験室に隔離されて、そこで延々と能力を発動させ続けるんだ。僕はテレポートだったから、特別に屋外での実験が許可されていたけど。もちろん厳重な監視の下でね」
「……その実験で、何か分かったのか?」
「職員がどんなデータを取っていたのかは知らない。でも他の収容者の子たちに聞いた限りだと、発動限界には個人差があるらしいね。たとえば僕はすぐにバテちゃうというか、一定の限界を超えると呼吸困難に陥るんだ。一度生死の境をさまよったこともある。僕は生きてるだけまだマシだけどね。ある日の実験以来姿を見せなかった子もいたり。恐らく死んじゃったんだろう」
そんな実験が行われていたなんて、にわかに信じがたい話であった。だがこれが事実なのだろう。ユトダイン王国が他国に対して持つ優越性、その一つが先進的な契約者研究なのである。契約者に関する研究論文の数は他国の数倍にも及び、世界中の精霊研究者、契約者研究者がユトダインの研究施設を訪れるのだ。しかしその実態がダレンの話の通りなら、とても胸を張って誇れる実績ではない。
「ただ面白いことに、中にはどんなに能力を使い続けても平気な子がいたんだ。体力が続く限り、永遠に能力を使える契約者がね。あと面白いのは、発動限界を超えた際の症状も契約者ごとに異なるらしいんだ。僕は必ず呼吸困難に陥ってたんだけど、他の子は頭痛だったり嘔吐だったり、心臓機能の低下なんてのも聞いたかな。運動機能だけが停止するって子もいたね。痛みも疲れも無く意識もしっかりしてるのに、何故か身体が動かなくなるんだと。不思議だよねえ」
「ああ。本当に不思議だ……。こんなこと聞いていいのか分からないが、シャーリーは……」
「うーん、それがね。実はシャーリーは、あんまり実験を受けていなかったんだ」
「……え?」
「彼女は特別だった。何せ他人の思考が読めるんだ。だから彼女は、施設内で色んな役割を与えられていた。主な任務は収容者の監視だね。彼女は常に、施設の仲間たちの思考を覗き見て、その内容を報告させられていたんだよ。僕だけには打ち明けてくれてたけど、他の収容者は彼女のテレパスを知らなかった」
一体8歳の少女に、どれほどの報告が出来たのだろうか。いやそもそも、仲間の告発など誰でも避けたい任務であるというのに。幼い少女に負わせるにはあまりに酷な役割である。
「実はね、彼女のテレパシー能力については、収容者だけじゃなく職員にも知らされていなかった。施設の人間で知っていたのは所長と数名の重役のみ。所長は度々彼女を呼び出して、職員の思考も監視させていたんだ」
「施設内の実権を握る為か……」
どうにもやり口が官僚じみている。二人のいた施設とは、やはり官営か、若しくは軍・政府出資の研究所だったのではないだろうか。民間がそこまでのリスクを冒してまで、契約者の研究に取り組むとは思えない。民間企業が追い求めているのは基本的に利益のみである。実際のところ、契約者研究は金にならない。新たな発見があったとしても、それが商品開発や経済活動に繋がらないからである。民間企業が文学研究所を運営するだろうか? いや、だったら科学研究所の設立に金を回すだろう。それと同様の話である。
精霊・契約者研究を行うほとんどの民間研究所は、政府の助成金が目当てなのだ。看板を掲げたいだけで、そこまで契約者研究に力を入れるメリットがない。ましてや孤児を収容して、更に違法行為にまで手を染める理由など、とてもじゃないが考えられない。
「僕とシャーリーが施設を離れたのはつい昨年のことだ。彼女は3年もの間、所長の駒として利用され続けてきた。そして彼女が11歳になる頃、僕たちは施設を抜け出したんだ」
「脱走したのか?」
「うん。所長はシャーリーに、単なる手駒以上の関心を抱くようになっていた。詳しくは話したくないから察して欲しいけど……。ある日彼女が泣きながらやってきてね。これから死ぬつもりだから、最後に挨拶しに来たって言うんだ。で、所長室から隠し持ってきたピストルを取り出したんだよ……」
「……それで?」
「僕は咄嗟に彼女からピストルを取り上げて、自分の右腕にはめられた腕輪へ突き付けた。僕たち収容者は実験中以外、能力を使えないよう能力封じの腕輪をはめられていたんだ。それで、引き金を引いた。僕はあの時頭が真っ白になっていた。下手したら利き腕が使えなくなる所だったけど、銃弾は上手く腕輪の留め金を弾き飛ばしてくれたね。ほら、ここの傷」
ダレンが右手首を掲げる。そこには生々しい、火傷のような傷跡が見て取れた。
「それで、所長以下重役連中を皆殺しにした。僕がやった初めての殺人さ。それから僕はシャーリーを連れて無我夢中で逃げ出した。自分がどこにいるのかすら分からなかった。とにかく能力の発動限界が訪れるまで、テレポートを乱発しまくったんだ。我に返った時、僕たちはある廃工場の中に立っていたよ。君を連れてサリムを脱したとき、最初に泊まったケープタウンの隠れ家さ」
「……それから、暗殺家業に身を投じたのか」
「うん。それで、ほどなくしてとある裏社会の人物から話を持ち掛けられた。依頼内容はアナスタシア王太子妃の暗殺。依頼元は枢密院議長、カール・リットン伯爵。成功者にはそれぞれ、彼の資産の十五分の一が支払われるという条件だった」
こうして、二人はアナスタシア暗殺計画の実行役となったのだ。しかし二人はリットンの思惑を看破した。アナスタシアの暗殺が成功したら、実行犯である二人は処分される。その事実を知った二人は、俺達護衛を執拗に狙い続けた。俺やリリアン、ロイドやフットら護衛を殺せば、少額ながら報酬が入るといった契約でもあったらしい。しかし二人の予想以上に俺たちは手強かった。そして二人は、サリム別荘の襲撃を期に暗殺家業から足を洗い、姿をくらませようと考えた。
「でも雲隠れしたとして、どこまで逃げ切れるか分からない。だから君に賭けた。君はアナスタシア王太子妃を守りたい。だがその為には僕たちの情報が必要だ。しかも君は、その上で国をひっくり返さなければならないんだ。アナスタシア王太子妃を殺そうとしているのは国家そのものだからね。という訳でニックも、僕たちに罪悪感なんて抱かなくていいんだよ。僕たちの利害は一致しているんだ」
だからと言って、シャーリーのあの表情を無視することはできない。二人が俺を利用しているかも分からないし、利用するつもりだったとしても、俺も同じように利二人を利用していいわけではない。
「君の話を一通り聞いて、益々どうしたらいいか分からなくなった。もともと俺は君たちを利用、するつもりだった……。つもりだったんだと思う」
「それでいいじゃないか。それにニックは十分優しいよ。シャーリーは僕がケアするから、君は思う存分僕たちを利用してくれ。それが僕たちの為にもなる」
「……いや、でもな」
ダレンは全てを話した。次は俺が全てを語る番だ。それに、俺はダレンとシャーリー、二人とちゃんとした信頼関係を築きたい。未だにリリアンとは喧嘩したままだが、あんな思いをするのはもう御免だ。俺は他人を上手く利用できるほど器用な人間じゃない。頭の回転も決して速くないし、有無を言わさず仲間を引っ張れるほど強くも無い。だから、仲間には全てを打ち明けて、何とか一緒に協力してもらうしかないんだ。
もっと早く気付いていたなら、リリアンとも仲直りできたかもしれない。いや、未来の俺は彼女に全てを明かしたのだろう。上書きの光景で、彼女は俺の目の前に立っていた。でもその上で未来の俺は、記憶を全て無かったことにした。どこまでも彼女を裏切ったのかもしれない。
だから帰るんだ。帰って全部話すのだ。全てを綺麗事のうちに処理することは出来ないし、でも、綺麗事だとしても、そんな綺麗な理想を常に忘れずにいたい。
俺の能力は実に都合がいい。都合よく全てを無かったことにできる。都合よく全てを無かったことに出来てしまう俺に、綺麗事を吐く権利などありはしないだろう。でも俺の能力は、都合よく誰かを救うこともできる。本当に大好きな人間を救うことができる。きっとこれから俺は、いつか理想の為に誰かを切り捨てることもあるだろう。本当に都合のよい話だが、それでも救いたいと思った相手と、俺は真摯に向き合いたいと思うのだ。それは罪だろうか……。
分からない。二者択一など迫られたことも無いし。でも俺は、サリムからの脱走でダレンとシャーリーのみを助け出した。他二名の実行犯は諜報局に引き渡され、もしかしたら今頃、裁判なしの銃殺刑に処せられているかもしれない。俺は利用できそうな二人を解放した。分からなくなってきた。一体俺は……。
『神にも等しい能力。しかし神は、全ての迷える人を救うのだろうか』
俺は何がしたい? そりゃ、アナスタシアを守りたい、ただその一点に尽きる。彼女を守る為ならどんなことだって出来る。ではその感情は一体どこから湧いてくるのだ。俺の意思か? 意思とは何だ。感情とは何だ。俺が選んだのか。俺が望んだのか……。
「何か良く分かんなくなってくる……。もういいや。ダレン、とにかく俺の話も聞いてくれ」
能力のこと、俺が契約者であること。今この現在において、俺は初めて、自らの意思で能力のことを打ち明けるのであった。




