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サリムの別荘

「オープンカーでこの速度! たまったもんじゃないわね!」


「ああ! マジで!」


リリアンの叫びに俺も大声で同意する。


ナブール以北まで来ると、もはや大都市は現れなくなる。この道路も保養地へ向かうためだけに作られたようなもので、他の車も見当たらない。ただひたすらに、ガラ空きの道路が一直線に続いているのである。

つまりここから先は、思う存分速度を出して運転できるのだ。事故だけは避けてほしいところだが、運転席に座るロイドは余裕の表情でハンドルを握っている。


「どうだ!? 敵は振り切れたかな!?」


「分かんないけど! 流石に追って来れないんじゃない!?」


速度計の針は時速170キロを越えようとしている。警官に見つかれば一発でアウトだが、彼らのバイクでもここまでの速度は出せないだろう。ロイドの運転技術には感服するばかりである。


あと残る不安は、敵が既に先回りして待ち構えている可能性である。そうなったら素直に戦闘に応じ、出来るだけ有利な空間へ誘導する他ない。奴らの目的が不鮮明である以上、こちらも臨機応変に対応しなければならないのだ。


時折対向車線に現れる乗用車。一瞬のすれ違いざまに、ドライバーの訝し気な表情が垣間見える。その度に冷や冷やするのだが、まさか相手も、この車に王太子妃が乗っているとは夢にも思わないだろう……。



結局異変は起こらないまま、俺達は順調にサリムへの道を突き進んでいた。

俺は次から次へと流れゆく風景を、ただぼんやりと眺めていた。


季節は十月も半ばである。冬小麦の作付けに勤しむ農夫達が、轟音を立てるエンジンに顔を上げこちらを見詰めている。

サリムまであと数時間と言ったところだろうか。ここまで来ると、人の暮らす形跡もごく僅かにしか感じられない。ポツリポツリと小さな集落が現れては消え、やがてそれすらも見られなくなってゆく。



「サリムへ入りました。目的地の別荘まであと僅かです」


懐中時計を取り出してみると、時刻は午後三時を迎えていた。太陽は僅かに西へと傾いており、ほんのり赤みがかった空の色が夕刻の訪れを仄めかしている。


車は徐々に減速していった。既に道は細く、アスファルト舗装もされていない砂利道へと変わっていた。果てしなく広がる平原。その先には雪に覆われた巨大な山脈が連なっている。眼前に広がる雄大な景色に、俺は思わず息を呑む。


「あれが目的地ですな」


ロイドの視線を追ってみると、前方に簡素な邸宅が現れた。白い箱型の外観を持つ二層建ての建物で、二階部分には水平連続窓が設置されている。モダンでシンプルなデザインの、ミニマムな住宅建築であった。


「ルネスタンの建築家に作らせたものよ。流石に十人以上が暮らすには狭いけど、仕方ないわね」


やがて車は邸宅前へと到着した。一階部分の一部は、柱のみを残したピロティ様となっていた。丁度四台分の自動車が入る空間である為、ここを駐車場にするのが良さそうだ。


「さて、荷物運ぶか」


俺たちは手分けして荷物を運びこんだ。主要な居住スペースは二階にあるため、階段の昇降が多少面倒である。外から見た印象に比べ、室内の空間は実に広々としたものであった。柱や壁が少ないからだろうか。また壁一面に並んだ水平連続窓も、開放的に見える要素の一つかもしれない。


「随分と変わった建物だよなあ。この感じ、鉄筋コンクリートか?」


「ええ、住宅に使われるのは珍しいわよね。あと屋上庭園もあるのよ」


「屋上庭園? なるほどな。真四角で屋根が無いから、屋上にスペースができるのか」


俺は試しに屋上へと上がってみた。なるほど屋上の空間は、確かにちょっとした庭園みたいなものであった。屋根付きのベンチも備えられており、ゆっくりと景色を楽しむことも出来るようになっている。俺はそのベンチへ腰を下ろし、一息ついて眼前の景色を眺めてみた。


陽は大きく西へと傾き、その身を地平線の向こう側へ沈めようとしている。夜闇の到来を告げんとする、最後の淡い煌めきであった。遠方で囁く虫の音、薄明に揺られる草花。壮麗なる山脈より、冷たい風が流れ込む。


「ニック、ここにいたのね」


階段を上ってきたアナスタシア。彼女も俺の隣へ腰かけ、目の前の景色に視線を投げる。


「サマンサたちも到着したの。もう、人でいっぱいになっちゃって」


「やっぱりそうかー。でもアナスタシアの寝室はあるんだろ?」


「うん。だけどいいのかな、私だけ」


「気にしなくていいよ。一応俺たちは軍人だからな。野営の経験もあるし、どこだってかまわない」


ふと横に目をやると、彼女は白のドレスにベロアコートを羽織った状態で座り込んでいる。


「それ、寒いでしょ。中に入ろうか」


「大丈夫、陽が沈むまでここにいない?」


「あ、ああ。俺は全然……」


彼女のこういうところに、いつもドキリとさせられるのだ。取り合えず俺は自身のトレンチコートを脱ぎ、アナスタシアの前へ差し出した。


「これ着ときなよ。軍用品だから結構重いけど、あったかいよ」


「え、いいの? ありがとう……」


それから俺たちは、太陽の沈みゆく様子を二人で眺めていた。すると隣に座るアナスタシアが、不意に俺の手を握ってくる。少し驚いたが、俺は何も言わずに前を向き、ぼんやりと景色を眺めるふりをした。


周囲の景色は夜闇に飲み込まれ、まるで俺たちだけが世界に取り残されてしまったような、何とも言えない一体感のようなものを覚える。何故かどきどきするような、高揚感とも違うのだが、気持ちが前のめりになるようなあの感覚。幼き頃、初めて夜道を探索したときに感じたような、あの不思議な高揚であった。俺は少しだけ意識して、彼女の手を軽く握り返した。


やがて階下の明かりが灯り、賑やかな話し声が聞こえてくる。


「戻ろうか」


俺は先に立ち上がり、彼女へ一言声を掛けた。彼女も無言で頷き立ち上がる。


「手は、離した方がいいかも」


「じゃあ階段のところまで。いいでしょ?」


「あ、ああ……」


やはりそうだ。彼女のこういうところに、いつも動揺させられるのだ。

俺たちは手を繋いだまま屋上を横切り、二階へ続く階段に足を掛ける。



その時であった。階段手前で突然、アナスタシアが足を止めたのである。俺はどうしたのかと振り向いて彼女の顔を見た。そして、全てを察したのであった。


「やほ、また会ったね」


「……お前か」


久方ぶりの再会であった。軽い調子で手を振る黒髪のアナスタシア。俺の契約相手の精霊であり、過去戻りの能力を与えてくれた女。今度は一体、何を話してくれると言うのだろうか……。

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