資本家
ランズベリー邸は洋館のほど近く、車で十分ほどの距離に位置していた。とんでもない豪邸を想像していたのだが、意外にもその敷地は大した面積を持たず、邸宅も木造のログハウスの様な簡素なものであった。
「本当にここがランズベリー邸なのか?」
俺は思わずそう聞かずにはいられなかった。勿論一般的な中間層のそれに比べれば立派な屋敷ではあるが、ユトダイン富豪名鑑にも名を連ねるフランツ・ランズベリーの邸宅とは到底思えなかったのだ。
「フランツはその私財を貧民救済の為の基金としている。俺たちキングストンファミリーも、彼から多額の資金援助を受けてるんだよ」
「へえ。そんな聖人みたいな富裕層もいるんだなあ」
「資本家が慈善事業に力を入れるってのは良くある話だ。金儲けと慈善事業ってのは、対極にあるようで実は表裏一体の関係にある。現世で徳を積み、天国への片道切符を獲得しようってところだな。まあフランツの場合は元が赤貧だから、俺たちみてえな人間の気持ちが分かるんだろう」
「なるほど。にしても成功者の考えることは良く分かんないな……」
死後の世界のことなど、俺はこれまで真剣に考えたことも無かった。むしろこのご時世、一般庶民ほど信仰心が失われつつあるのかもしれない。神への忠誠より明日の飯。日々の労働に追われ、毎日を生きるのに精いっぱいなのだ。また科学の発展と心理学説の流行も、我々から信仰を奪うのに充分すぎる役割を果たしているのだろう。
開け放たれた外門を通過して、俺たちを乗せた四台の車が庭先へ停車する。すると玄関から、口髭を蓄えた白髪交じりの男性が姿を現した。恐らく彼がフランツ・ランズベリーなのであろう。齢の頃は六十を越えているだろうか、綺麗に折り目のついたスラックスを履き、皺の無いシャツにネクタイを締めた、いかにも実業家らしい立ち姿である。
「ほう、ゴードンか。こんな朝早くに何の用だ?」
「フランツさん。特別な客人を連れてきたぜ」
「特別? 後ろの御令嬢方のことかな? 済まないが私は愛人を取らぬ主義なものでな……」
するとアナスタシアが帽子を外し、ランズベリーの前へ歩み寄った。
「ランズベリーさん。急な訪問誠に申し訳ございません。実は、折り入ってお願いしたいことがあるのです」
彼女の姿を間近で目にしたランズベリーは、驚きのあまり体を強張らせた。そしてすぐさまその場で跪き、最大限の敬意をその行動で表した。
「アナスタシア王太子妃殿下、先程の無礼な発言をお許し下さい。まさか拙宅に殿下がいらっしゃるとは思いも寄りませんでした故……」
「そんな、お顔を上げてください。色々と事情がありまして、手早くお話をしたいのですが。少しばかり御宅をお借りできませんでしょうか?」
「勿論です。何の用意もございませんが、どうぞお上がり下さい」
ランズベリーに促され、俺たちはいそいそと彼の部屋へ上がり込んだ。フットを含めた王室衛兵とサマンサら宮殿職員は外で待機するという。万が一敵が襲ってきても、即座に対応できる体制を取るためであった。
「それで、お話とは如何なるものでしょう? どうやら並々ならぬご事情がおありの様ですが……」
「ええ、まずは事の背景を簡単にお話いたしょう。私達は現在、サリムの地へ向かう道中にあります。ランズベリーさんは、この間の衛兵入隊式典の事件をご存じでしょうか?」
「はい、存じております。もしやその件で……」
「これは王都でも王室一家と、僅かな政府関係者のみ知ることなのですが。私を取り巻く不穏な情勢を鑑みて、市民の目の届かないサリムへ身を隠す計画が決定されたのです。私達は出来るだけ誰にも気付かれず、サリムへと移動しなければなりません」
「なるほど、そうでございましたか。もし私が協力できることがあれば、何なりとお申し付けください。出来る限りのことは致しましょう」
余計な心配は必要なかったようである。非常に協力的なランズベリーの様子を見て俺は安堵した。
「フランツさん、あの車を四台貸してほしいんだ。あの試作段階の……」
「モデルJか? なるほど、スグに工場から持ってこさせよう。殿下、少々お待ちいただけますでしょうか?」
「はい。無理を言って申し訳ありません」
ランズベリーは急いで電話口まで駆けて行き、早口で車の取り寄せを要請する。
「完成品だ、点検が済んでいる物を持ってこい。とにかく急ぐんだ」
ここまで早急に対応してもらえるとは。やはりゴードンの提案に乗って正解であった。電話を終え戻ってきたランズベリーは、安心した表情でこう告げる。
「モノはありましたので、今従業員に運ばせているところです。さほど時間はかからないでしょう」
「本当に、ご協力感謝します」
「いいえ。殿下のお力になれて光栄に存じます」
恭しく一礼するランズベリー。するとゴードンが次の話題を切り出した。
「フランツさん、もう一つ教えてやってほしいことがあるんだ。この前話してた、王太子妃暗殺計画についての話だよ」
「……なるほど。これは噂程度の話ですので、あまり真に受けて欲しくは無いのですが」
一息ついて、彼は次のように語り始めた。
「ピリアス騎士会という秘密結社を、皆様はご存じでしょうか?」
ピリアス騎士会。会員1500名を抱える、ユトダイン最大級の巨大結社である。ホールデンのメモによれば、彼らの上層部は過激な青年将校グループと深い関係にあるという。自らを王統派と自称し、国家改造を目論んでいるとか……。
「ああ、知っている。どうやら王統派と関係があるようだが」
俺はアナスタシアに代わってそう答えた。
「話が早くて助かります。先日発生した式典中の暗殺未遂。あの事件の裏では、ピリアス騎士会会長のアーネスト・ラドクリフが暗躍しているのではないかと、地下社会では密かに囁かれているのです」
「アーネスト・ラドクリフ……」
「ご存じのように彼は、国家社会主義の過激な信奉者です。彼らが発行する雑誌『ユートピア』をお読みになったことはありますでしょうか? そこには王室、そして私有財産を否定するかのような文言が並べられ、革命を主張するかの如き論説が堂々と掲載されているのです。不思議なことにユートピアは、ここ最近検閲の目を潜り抜けています。内務省が敢えて泳がせているのか、それとも何か取引があったのか。そこまでは分かりかねますが、どちらにせよピリアスが反王室的な思想を有していることは明白です」
新聞、雑誌の検閲は内務省の仕事である。そしてホールデンのメモによれば、現内務大臣のベネディクト・ランプリング男爵は王統派の一員となってる。流石に大臣の政治思想一つで官僚組織の色が大きく塗り変わることは無いだろうが、内務省の人事に多少の変化はあったのかもしれない。大臣が検閲官の人事を操作していたとすれば、ピリアス騎士会に対する検閲が意図的に緩められている可能性も充分にあり得るのだ。
「ランズベリーさん。あなたは同盟派、そして王統派についてどのようにお考えですか?」
俺はためしに、ランズベリーの個人的な見解を引き出そうと試みた。するとランズベリーは困った様子で、次のような見解を述べてくれた。
「私はただ、自由な経済活動を容認していただければそれで構いません。王統派も同盟派も、今の政治家たちは自由経済への理解が大きく欠けているように感じます。それは一般庶民も同様です。我々資本家は何も私腹を肥やす為だけに活動しているわけではありません。我々の生み出す利潤は社会へ還元され、ひいては国家全体の景気を潤します。これ以上は話が逸れてしまうので控えますが、私の関心は常に己の経済活動へと向いている、というのが個人的な回答でございます」
その様子を眺めていたゴードンは、多少不満げな表情を浮かべながらこう呟いた。
「フランツさんはそうかもしれねえけど……。食えねえ奴らは沢山いるんだぜ……」
「それは私とて理解している。答えの出せない、難しい問題だ」
我が国で産業革命が発生して僅か数十年、未だユトダインは発展の途上にある。技術は日々進歩して、交通手段は馬から鉄道、そして現在自動車へと移行しつつある。しかしその陰で、多くの労働者が製造ラインに駆り出され、低賃金で過酷な労働に従事している。ランズベリー社とて例外ではないだろう。
資本主義社会の光と影。この国を取り巻く問題は、政争や外交のみに留まらないのである。




