ジン横丁
「みんな、聞いてほしいことがある」
俺の声に、三人は同時に振り返った。吐いたばかりのリリアンは辛そうな表情を見せているが、今は気を使っている余裕がない。
「行程を変更したい。ナブールのホテルは危険だ。宿泊場所を変えるか、サリムまでぶっ通しで車を走らせてほしいんだ」
「ニック殿。それは一体どういうことですかな?」
「……俺たちの行動が割れている可能性がある。敵はホテル滞在時を狙ってくるはずだ。リリアンの大技が使えないタイミングを狙って」
「……それは、確かな情報なのですか?」
ロイドの眼光が鋭く光る。
「ああ、間違いない。詳しく説明するのは難しいんだが、とにかく信じてほしい」
するとロイドは頷いて、他の二人に視線を移した。アナスタシアも頷き、次のように同意する。
「分からないけど、ニックがそう言うなら従うわ」
「ありがとう。恐らく敵は民間人の集まる空間を狙っている。だからこそ、ホテルの客室が一番危ない。できれば開けた場所で、なるべく大人数で迎え撃ちたい」
「夜道は避けたいので、このままサリムへ向かうのは控えた方がいいかと存じます」
ロイドの意見は最もであった。それに半日以上もぶっ通しで運転をして、万が一事故でも起こしてしまったら元も子もない。
「俺もそう思う。どこか良い宿泊地は無いだろうか」
「ニック殿。この件、私にお任せ頂けないでしょうか?」
どうやらロイドには何かしらの案が浮かんでいるらしい。
「おお! どこか良い場所があるのか?」
「……ええ。個人的なつてがありまして。もしかすると、戦闘の協力を仰げるやも知れません」
「是非頼みたい! それで、その場所はどこにあるんだ?」
「同じくナブールの市街です。中心街からは少々外れますが……」
「分かった。とりあえずナブールへ向かってくれ。詳しくは車内で話そう」
俺たちは再び車へ乗り込み、予定通りナブールへと向かうことになった。
先ほどからリリアンは会話に参加せず、俺たちの様子を伺っているのみであった。俺の提案にも特に口を出さず、ただ黙って聞いていたのである。それだけ車酔いが酷いのだろうか。
「リリアン、大丈夫か? またきつかったら言ってくれよ?」
「……大丈夫よ。それより、後で詳しく話しなさい」
「詳しく? これから向かう場所か? それならロイドに……」
「あんたが、ホテルの滞在を避けたい理由よ。なぜ突然行程を変更したいと言い出したのか、あんたは説明していない」
「そ、それは……」
「この場で問い詰めるつもりは無いわ。宿泊地の変更にも特に異論は無い。ただ、後で詳しく説明して貰いたいわ」
「ああ、分かった」
彼女の声色から察するに、どうも俺に対する不信感を抱いているようである。昨晩は俺のことを信じるとか言っていたのに、なぜ彼女は今になって疑惑の目を向けるのだ。ロイドとアナスタシアは二つ返事で俺を信用してくれたってのに。
「それで、ロイドは一体どこへ向かうつもりなのかしら?」
「ナブール六番街です、リリアン殿」
「六番街、まさかジン横丁に向かおうってのかしら?」
「ええ、そのまさかでございます」
「あんたね、アナスタシアがいること忘れてないわよね?」
ナブール六番街、通称ジン横丁。ナブールの歪みとまで揶揄されるその区域は、巨大都市における経済格差が生み出した闇そのものである。絶望的なまでの下層階級により形成された貧民街を、人は「ジン横丁」と呼んで嫌悪した。
ジン横丁とは下層階級の酒浸りを皮肉った蔑称である。かつてジンを堕落の酒として軽蔑していた時代の名残とも言えるだろう。冷蔵技術とカクテル文化の発達により、今や市民権を獲得しつつあるジンだが、未だに粗悪な蒸留酒としてのイメージは拭いきれていない。
「人を殺す酒」としての側面は、ナブール六番街においても健在なのである。
「もちろんアナスタシア様、そしてリリアンお嬢様もいらっしゃることを理解した上での判断でございます。私とて、御令嬢方をかの地へ導くのは気が引けますが……」
「あたしはいいのよ。それで、あんたの言う『つて』ってのは何なのかしら」
「さる六番街の有力者と旧知の仲でございまして。名をゴードンと言うのですが、彼の有する自警団の援助を受けられないものかと」
ゴードン、名前は聞いたことがある。確か六番街を牛耳るギャング集団の大ボスとか……。
「旧知の仲、ね……。裏をかかれないことを祈るわ」
それっきり、リリアンは黙り込んでしまった。
ロイドはギャング集団の戦闘員を頼ろうと考えているのだ。まさかこの老紳士に、地下世界との人脈があるとは思わなかった。
「そろそろ着きますぞ」
経済都市ナブール。金と欲望、醜聞と猥雑に塗れた、王国一の巨大都市。この街は様々な誘惑に溢れている。闇カジノに違法賭博、セックス、ドラッグ、アルコール。街頭で平然と紙巻き煙草を燻らせるフラッパーガール。彼女らの周囲を、スクールジャケットを羽織った名門大学の学生達が取り巻いている。
六番街へ近づくにつれ、街の様相は一挙に淀んでいった。
世俗の悪徳を象徴するかのように輝く、キャバレー看板のネオンサイン。俺たちの乗る車を見るや否や、下劣な商売文句を発する私娼窟のポン引き。半裸の少女が怯えた目付きでこちらを見つめている。
「反吐が出るわ……」
リリアンの言う通りである。悲壮な光景は、街路に立つ娼婦の姿のみに留まらない。更に道を進むと、周囲の景色はより一層暗く、そして絶望的なものへと移り変わっていった。路端に横たわる、薬物中毒らしき男の姿が目に映る。これを生きている人間と呼べるのだろうか。男は虚ろな眼で一点を見詰め、半開きの口元を力なくパクつかせているのだ。
「もっと速度を上げられないのか? とても見てられない」
「申し訳ございません、道幅が狭いもので。ですがもう到着いたします」
ロイドの言う通り、道の先は行き止まりとなっていた。錆びた鉄門の向こうには、廃墟と化した巨大な館が佇んでいる。その様相を見るに、近世に建てられた娼館跡のようである。
「ここが、我が旧友ゴードンのアジトでございます」




