ナブールの夜
「皆様、そろそろ着きますぞ」
助手席に座っていた俺は、次第に近付くナブール市街の様子に驚きを隠せなかった。
経済都市ナブール。古来より商人の町として栄えたこの地は、今や人口350万人を超える王国最大級の巨大都市である。
「すげえな、こりゃあ……。王都より栄えてるんじゃないか?」
道路の両脇に、何十層にも及ぶ巨大なコンクリートビルディングが立ち並ぶ。既に時刻は十八時を回っているというのに、街中がまるで昼間の様に明るいのだ。路地の至る所で怪しげに輝くネオンサイン。そして何処を見渡しても尽きることの無い、人、人、人。とにかく人が多いのだ。
会社帰りのサラリー・マン。客引きのボーイ。ドラッグストア前にたむろして、酒をあおる学生集団。路上で演奏するブラスバンド。ラフなドレスやワンピースを身に纏い、堂々と闊歩する若い女性たちの姿も見て取れる。なるほどリリアンの言う通りであった。彼女らの服装は、まさにリリアンのそれと同様なのである。出発前は妙に感じたあの釣り鐘型の帽子も、こうして見ると最先端のファッションアイテムの様に思えてくるから不思議である。
「あくまでも王都は、政都ですからな。経済規模ではナブールに及びません」
「しかしまあ、こんなにも人が多いとはな」
王都でも滅多に見ることの無い交通渋滞に巻き込まれ、車はゆっくりと目的地へ向かうのであった。
ようやくホテルへ着いた頃には、既に時刻は十八時半を回っていた。フロントで受付を済ませると、部屋番号の記されたキーを渡される。案内されたのは四階の部屋で、室内には簡素なダブルベッドが設置されていた。
「あんまし綺麗な部屋じゃないな。ベッドも一つだし」
俺はコートを壁に掛け、壁際のソファーに腰を下ろした。疲れがどっと出て、そのまま横に寝そべってしまう。
「仕方ないでしょ。目立つことは出来ないんだから」
帽子を脱ぎ捨てたリリアンは、同じくベッドに寝転んだ。駐車場から多少歩いたからか、少しは顔色も戻ってきたようである。
「それよりさ、どうしてリリアンと同室なんだ? 俺とロイドじゃダメなのか?」
「あたしとアナスタシアが問題なのよ。十六、七の少女が二人で宿泊なんて変でしょう?」
「ああ、確かにそうだな……。ロイドとアナスタシアなら、まあ、いいのか……?」
紳士風の男と若い少女。別の意味で怪しまれそうではあるが、少なくとも王太子妃だとは疑われないだろう。
「あたし達二人は、傍から見れば不良カップルってところかしらね」
「不良カップルねえ……」
今回、アナスタシアがナブールを訪れることは、諜報局と王室衛兵、そして一部の重臣を除き誰も知らないはずである。もちろん護衛には注意を払わなければならないが、暗殺グループが俺たちの移動経路を知ることは不可能に近い。むしろ王都の宮殿内より安心できると言えるだろう。
ふとベッドへ目を向けると、リリアンは仰向けの状態で眠り込んでしまっていた。俺は傍にある毛布を手に取り、彼女を起こさないよう慎重にかける。
(まあ、少しは休んでもいいだろう)
そう思った直後である。室内の異様な気配を察知した俺は、反射的にピストルを発砲していた。
「……マジかよ」
サーベルを手にしたその男は間違いなく、宮殿を襲撃したテレポート使いである。どうやらリリアンを狙ったようであるが、間一髪で俺の発砲が間に合ったようだ。しかしリリアンは未だ眠ったまま起きようとしない。
「リリアン! 敵襲だ!」
俺はありったけの声を振り絞って叫んだが、それでも彼女は動かない。襲撃者がサーベルを構えた。俺は再び狙いを定め、発砲の体勢を取る。
しかし次の瞬間、サーベルを握る男の手元が瞬く間に氷に覆われた。男は慌てて姿を消したが、再び室内に現れる。そのまま壁に激突した男は、大きな音を立てて床に倒れ込んだ。
足元も凍り付いているのだ。テレポートで避けようとしたものの、バランスを崩して壁に激突したのである。
「ここには民間人もいるから、大技が使えなくて困るわ」
悠々とベッドから降り、男に向けて手をかざすリリアン。すると見る見るうちに、男の全身が凍り付いてゆく。
「……起きてたのかよ。焦ったぜ」
「油断させようと思ってね。助かったわよニック、これで生きたまま確保できる」
顔面のみ露出した形で、ミノムシ状態に氷結された襲撃者。リリアンはその脇にしゃがみ込み、生成した氷の針を男の眼球へ向ける。
「さあ、全部話してもらいましょうか」
「……今すぐやれ」
「は? なに……」
突然、巨大な重力が俺の身体へ圧し掛かる。そのまま俺は勢いよく床に叩き付けられた。前方に目線を向けると、リリアンも同様に圧し潰され、立ち上がれないでいるようだ。
「リリアン! 大丈夫か!」
「もう一人いるわ! そいつを何とかしないと!」
彼女の言う通り、恐らく重力系の能力を行使されている。もう一人の契約者がどこかに隠れているのだろう。しかし一体どこに……。
「……油断させようと思ってね。生かすつもりはないけれど」
前方から聞こえた声に、俺は背筋を凍り付かせた。サーベルを両手に、リリアンの身体へ突き立てる裸の男。小さな呻きと共に、ぐったりと力が抜ける彼女の身体。重力が掛かっているせいなのか、血だまりが物凄いスピードで広がり、俺のもとまで流れてくる。
「死なせて、たまるか……」
戻る地点は予め決めている。躊躇うことなどない。次は、成功させる……。




