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会議室の出口に進む王室一家。その後に続けて、側近衛兵達も部屋を出る。
廊下を進む王太子夫妻の後ろには、俺とリリアン、そしてジェームスの側近衛兵が続いていた。
本来王太子の側近とは仕事仲間であるはずだが、先述の通り王太子は王宮に泊まり込みであった為、彼とはこの時が初対面であった。軽く挨拶を交わしたのち、俺たちはお互いの戦闘スタイルについて話し合った。彼は風を操る契約者であるそうだ。廊下を歩きながら、彼はその戦闘方法を少しばかり語ってくれた。
しかし前方を歩く二人を気遣って、俺たちはそれとなく会話を止めていた。そして王太子専用の事務室に入ると、ジェームスは淀んだ調子でアナスタシアに語りかけた。
「僕の力不足でこんなことに……。すまない……」
「貴方のせいじゃないですよ、ジェームス。私は大丈夫です」
「父上は、まるで君のことを交渉材料かのように考えている。君の意思も聞かずに話を進めて……」
「仕方のないことです。事は国内問題にも、外交問題にも直結しています。今回の決定が最善の策だと、私も受け入れています」
「アナスタシア……」
弱々しく呟くジェームス。そしてゆらりと立ち上がった彼は、その足で俺たちの前へ歩み寄った。
「どうか、必ず彼女を守ってほしい。本来なら僕の責務なのだが、今はこうして君たちに頼むことしかできない……」
ジェームスはその場で跪き、首を垂れた。俺は驚いて固まってしまったが、更に激しい狼狽ぶりを見せたのはリリアンの方であった。
「そ、そんな! お立ち下さい殿下!」
狼狽える彼女をただ見ているわけにも行かないので、俺もとりあえず立膝を着いた。王太子と目線を合わせ、語気を強めて言葉を発する。
「どうかお立ち下さい。命に代えてもアナスタシア様をお守します。ご安心を」
「……ありがとう。頼む」
その後、俺とリリアン、アナスタシアの三人は専用車で宮殿へと戻った。そして暫く経って後、ジェームス王太子も約一週間ぶりに宮殿へと戻ってきた。
流石にアナスタシアが心配だとのことで、無理を言って仕事を任せてきたとのこと。二人は少しの間会話を続け、やがてジェームスは自室へと戻っていった。
アナスタシアの仮の寝室では、俺とリリアンが厳重体制を敷くことになった。また外の警備はロイド自らが巡回する。昨日の襲撃者の様子を見るに、少なくとも回復まで相当の時間が掛かるだろう。しかし暗殺グループがどれ程の規模であるか分からない以上、気を抜くことはできないのだ。
「そういえば、寝るときはジェームス様の所へ行かないのか?」
俺はふと湧いた疑問を彼女へ投げかけてみた。すると傍にいたリリアンが、俺の頭を思いっきりひっ叩く。
「あんたね、前々から思ってたけど女性に対するデリカシー皆無よね」
「いってえ。あれ、聞いちゃいけない話だった?」
呆れ顔のリリアン。アナスタシアはその様子を見て、クスクスと笑っている。
「アハハ、別に大丈夫。彼と寝る場所はいつも別々よ。夜だけじゃなくてね、一緒にいる時間はそこまで長くないかなあ」
「ええ、そうなのか」
先ほどの王太子の態度を見た後だからか、かなり意外な感じがする。随分と大切に愛されているように見えたのだが、王太子には案外、ドライな一面でもあるのだろうか。
「ま、この子まだ処女だしね」
「……は? え? 君何言ってんの?」
デリカシーがどうたら言って、ぶっ叩いてきたのはお前だろう?
と突っ込みたい気持ちは山々であるが、そんなことよりも別の大問題が発生していた。目の前で顔を真っ赤にするアナスタシア。俺はどう言葉を発していいか分からないどころか、彼女を直視することすらできない。
「あんたたち、ウブすぎない?」
「お前がオープンすぎんだよ!」
不意にアナスタシアが席を立ち、食器棚の辺りで何やら作業を始め出した。暫くして戻ってきた彼女の手には、ティーポットと人数分のカップが抱えられている。
「ささ! ティータイムにしましょ!」
とぼけた様子で紅茶を注ぐ彼女の姿に、俺の心は激しく揺り動かされた。
リリアンの発言も気になるし、何か胸の内からよこしまな感情が湧いて出てきている。
「ありがとう!」
俺も妙なテンションで紅茶を受け取り、そのまま一気に飲み干してしまった。
「やべっ!! 喉がっ!」
「ニック!?」
熱々の紅茶が喉を通り抜け、俺は激しくむせ込んだ。隣でリリアンが、笑いをこらえきれずに藻掻いている。
「……す、すまない……大丈夫だ」
ようやく落ち着きを取り戻した俺は、いつまでも笑い続けるリリアンを睨み付けた。しかしそれでも彼女は笑いを止めようとしない。
「あー面白かった。たまにはやるじゃないニック」
「はいはい、どうも」
アナスタシアも紅茶を飲んで一息ついたのか、少し躊躇いながらも話を始めた。
「さっきの話なんだけどね。多分ジェームスは、私を愛してないと思うの」
「……え? いや、そうなのか?」
「まあ少なくともあの男は、この子の美貌を目の前にして手を出していない。愛が無いのか男色好みか、それともただのイン……」
「おっと! それまで!」
こいつ、放っておいたら何を話し出すか分かったもんじゃない。色恋の話になったら急に饒舌になるし。
「ま、まあ……。確かに不思議な話だな。もしかしたら年齢を気遣ってくれてるのかもよ?」
「いや、無いね。あたしが男だったら即襲ってるわ。あんたも少しは考えたことあるでしょ? どうせ鼻の下伸ばして、あわよくば……とか」
「無いから! ……てのも失礼か」
そういえば、俺は彼女に抱き着かれた経験があるんだよな。あの黒髪の、精霊のアナスタシアだけれども……。
「リリアンの冗談は置いといてね。実はジェームスには、私との婚姻が決まる前に思い人がいたらしいの」
「思い人? 王太子にか? 聞いたことないな」
そんなビッグニュース、週刊誌の記者が黙っていないと思うのだが。
「ダンバース家の娘よ。もちろん公式には発表されてないし、内々で思いを交わし合っていたみたいだからね。でも宮中では結構噂になってるわ。私もこの子の側近になってから知った話だけど」
「ダンバース家って、ユトダイン筆頭貴族の」
「そうよ。まあそれでも、この子を目の前に欲情しないのはおかしいけどね」
「ま、まあ、それはどうなんだろうか。とにかく、王太子はそのダンバース家の娘にまだ未練があると」
するとアナスタシアは首を傾げ、考え込むようなそぶりを見せる。
「うーん。それも分からないの。ジェームスは優しいし、私のことをとても大事に思ってくれてる。それは凄く感じるのよ。ニックも今日の会議を見て分かった思うけど、私の立場にも気を使ってくれていてね」
「まあ、あたしはこの子にいつも言ってるけど。王太子は人格者で有名だからね。でも慈愛の精神と恋心は全く別物。彼はこの子に対して同情してるんじゃないかしら?」
「リリアンお前、まるで恋愛マスターみたいな口ぶりだけど。そんなに経験豊富だったのか?」
「経験の有無は関係ないでしょ。あたしは客観的な見解を述べてるだけよ」
「……やっぱ無いよな」
「だから経験の有無は関係ないでしょ。これはあたしの客観的な見解。どうせあんたも童……」
「ストップ! 俺のことはいい!」
本当に、リリアンも見た目は可愛らしいのだが。果たしてこの性格で付き合いたいと思う男が存在するのだろうか。そもそも彼女はこの年で軍隊に入ってるから、恋愛なんてしている暇もないのだろうが。
「話を戻すとね。ジェームスに救われてるところは沢山あるの。でも同時に、私も彼に対して凄く気を使ってしまう。もちろん彼の事はとても好きなんだけどね。何と言うか、優しい親戚のお兄さんって感じで……」
「そーゆーことなのよ。だからってあんたにチャンスがあるとは思わないことね」
「ちょっと! ニックはそんなこと考えてないってば」
いいや、めちゃめちゃ考えております。ダメなんだけどね。どちらにせよ彼女は王太子妃なわけだし、人妻なわけだし、ジェームスに愛が無いってのも二人の思い違いかもしれないし。俺に土俵に上がる資格なんて一切無いんだけどね。無いんだけどね……。
「まあ、国王陛下はジェームス王太子に過度な期待をかけてるからね。いずれはアナスタシアも子供を作らなきゃいけないのよ。ジェームスが何考えてんのかは分からないけど、結局父親には逆らえないから」




