再会
「おーい、そろそろ起きろ~」
暗闇の奥から、アナスタシアの声が聞こえる。ここはどこだ。俺は一体何を……。
「起きろ~、起きろ~、起きろ~」
息が苦しい。体が、重い。何かがおかしいぞ。耳元で聞こえるのは確かにアナスタシアの声だが、こんな話し方だったろうか。
「えい!」
パシンッと左頬に衝撃が走り、俺は目を覚ました。寝起きの混乱はあるものの、眼前の光景はハッキリ見える。見覚えのある景色だ。長く艶やかに伸びる黒髪、含みのある表情、不穏な笑み。
「おい、アナスタシア……。どういうつもりだ」
黒髪のアナスタシア、俺の契約相手の精霊である。仰向けに横たわる俺の身体へまたがっており、よしよしといった具合に頬をさすってくる。
一体いつの間に現れたのだ。確かあの後医療班に抱えられ、俺は診療室のベッドに寝かされた。その後の記憶が曖昧なのだが、どうやら少しばかり眠っていたらしい。
「おひさー、元気してた?」
「見れば分かるだろ。つーか上乗るな、ケガしてんだよ」
「みたいね、可哀そうに……」
彼女はそう言って、俺の腹部に指を這わせる。前回の契約時もそうだったが、こっちのアナスタシアはやたらと接触が過激なのである。
「というか……。お前と話せてるってことは、現実のアナスタシアが俺に触れたってことなのか?」
「そうなんじゃない? 残念ながら君たち人間世界の様子はこちらから見えないから、状況は分からないけどね」
「え、そうなの?」
それなら何故彼女は俺たちの言葉を操れるのだ。それどころか前回、彼女はまるで人間社会の仕組みをある程度知っているようにも見えたのだが。
「もう一つ気になるんだが、俺がアナスタシアと触れる度、お前は必ず現れるのか?」
「そんなことないわよ。あたしか君、どちらかが会いたいと強く願った時、この空間は出現する」
俺は眠っていたようだから、会いたいと望んだのは彼女の方か。何か情報でもくれるのだろうか。
「じゃあ今回は、俺に用があるんだな」
「ご名答。対価の支払いについて、一応報告しておかないとね」
「対価だと? 対価については何も話せないんじゃなかったのか?」
前回は、俺がいくら質問しても答えてくれなかったはずである。決まりがどうたらとか言っていたような。
「内容は話せないけど、報告はできるの。支払い状況についての報告はね」
「支払い状況か。残り寿命でも教えてくれるのか?」
契約の対価について、一説には残り寿命を支払う類のものであるという研究も存在する。契約者の中には不自然な死を遂げる者が多く、能力を得る代わりに寿命を支払っているケースもあるのではと囁かれているのだ。
「それはノーコメント。さっきも言ったけど、内容に触れる話はできないのよ」
「分かった。そしたら支払い状況とやらを教えてくれ」
「おっけー。まあ大した報告じゃないんだけどね。現状君は滞りなく対価を支払ってくれている。これからもバンバン能力使っちゃって大丈夫よ」
「随分と、ざっくりした報告だな……。バンバン使うのは気が引けるよ……」
仮に対価が寿命の支払いだったとして、この先能力を使いまくった末に残り僅かだなんて言われても、その時には既に手遅れってことになるわけだ。
しかし彼女のもたらした情報は大変嬉しいものでもあった。
上書きの能力は、過去に戻れるという大変便利な能力ではある。だがこの能力は記憶を引き継ぐことができない。つまり俺は、自分が能力を使ったかどうかも、実のところ確信が持てないのである。突然見知らぬ光景が脳裏に過ることで、未来の俺が能力を行使したであろうと予測はできるのだが。能力を使ったという実感を、これまで感じたことが無かったのだ。正直俺は、自分の能力を信用しきれないでいた。
だからこそ、能力の行使と対価の支払いを確証付けてくれる彼女の話は、俺を安心させてくれるものであった。もちろん、こいつが嘘をついていなければの話ではあるが……。
「うーん。まあ、話せることがあるとしたら……。私たち精霊は、その人間の運命に引き寄せられて姿を現す。ランダムに契約相手を選んでるわけじゃないって所かしら」
「運命? また概念的な話になってきたな」
「これ以上は話せないかな。でも君は賢そうだし、いずれ自分で答えに辿り着けるんじゃないかしら」
全くたどり着ける気はしないが、貴重な情報ではあるだろう。後でメモしておかなければ。
「こっちから質問してもいいか?」
「どうぞ―。答えられる範囲で答えてあげる」
「君の名前はアナスタシアって言ってたよな。現実の彼女と同じ名前、見た目もほとんど同じ。そもそも人間の姿をして、人間の言葉を話す精霊なんて聞いたことがない。一体どういうことなんだ?」
俺が彼女を信じ切れない理由がこれであった。彼女は本当に精霊なのか。何者かが見せる幻覚ではあるまいか。もちろん九割がた彼女を信じてはいる。アナスタシアと触れたときにのみ現れる精霊、そして彼女の言った通り、俺は未来の光景を頼りいくつかの危機を乗り切ってきた。しかし、どうしても最後まで信用し切れないのである。
「うーん……。それはね、あたしが特殊な精霊だから。としか言えないなあ」
「そうか、分かった」
「あたしのこと疑ってるんでしょ。悲しいなあ。どうしよう……。キスしたら信じてくれる?」
「いや! いいから! 信じたから今!」
彼女なら本当にやりかねない。こうした発言を平気で放つものだから、俺のペースが乱されるんだ。そもそも先ほどから、彼女は俺の腰の上にまたがっているのである。ただでさえ理性を保つのに必死なのだから。それにキスなんてしたら、現実のアナスタシアとまともに顔を合わせられなくなるだろう。
「ええ!? キスじゃ足りないの!? 仕方ないなあ……」
ドレスの胸元に手をかけ、ボタンを外そうとするアナスタシア。
「ストップ! 違う! 一旦落ち着け!」
落ち着かねばらならないのは俺の方である。思えば実際のアナスタシアに緊張するのも、全てこいつのせいではなかろうか。
「アハハ、やっぱ君面白いねー。あたしが見込んだだけあるわ」
「俺は、お前が分からないよ……」
「いずれ分かってくれると嬉しいな。んじゃそろそろ戻ろっか」
「一応、礼は言っておく。ありがとう……」
「もー! かーあいっ! んじゃね~」
本当に、彼女には調子を狂わされる。しかし妙に安心するのも確かである。何しろ能力のことを自由に話せる相手が、彼女の他にいないのだから。




