複製
目を覚ますと、俺は両手足を拘束された状態で椅子に座らされていた。右隣に目を向けると、シャーリーも同様の格好で椅子に縛り付けられている。その表情は恐怖にゆがみ、肩を小さく震わせているのであった。
そして俺は視線を正面に戻した。目の前に立つ男の顔には当然見覚えがある。精神病棟へ乗り込む直前まで、何度も写真で確認した顔であった。
男の名はミハイル・トレチャコフ。現外務大臣にしてヘルト最大の公爵家当主。今から一年半前に発生したアナスタシア暗殺計画の黒幕にして、今この時も、彼女を殺そうと企む極悪人である……。
(ニック、何も喋らないで)
隣で拘束されるシャーリーが、テレパシーを用いて脳内へ語り掛けてきた。俺は取引を持ち掛けようと開きかけた口を閉じる。
(ならどうすればいい?)
(彼の全てが分かったわ、よく聞いて。トレチャコフは契約者よ)
(何だと?)
俺はなるべく表情を崩さぬよう努めたが、トレチャコフはそんな俺の顔を見てこう語りかけてきた。
「どうせ君たちは今、テレパシーで我々には聞こえぬ会話を交わしているのだろう?」
何ということだ。こいつ、シャーリーの能力を見抜いていやがる。まさかトレチャコフは、彼女と同じテレパスなのか。
(トレチャコフの能力は『複製』。受けた能力をコピーして、自分のものにできてしまうの。彼が左手に持ってる手帳を見て。あれに触れている間だけ、彼は盗んだ能力を使用できる)
確かにトレチャコフの左手には古びた手帳が握られていた。つまり奴は今、シャーリーのテレパシー能力を使える状態にあるというわけか。
(違うわ、彼は今能力封じを使用してる。彼はいくつもの能力をコピーして、あの手帳に保管しているの。でもそれらの能力を同時使用することはできない)
(能力封じだと?)
能力封じと言えば、俺が殺したホールデン元尋問室長の能力である。対象の能力行使を封じることができるという掟破りの能力だ。もしやこの男、ホールデンに能力封じを掛けられたことがあるというのだろうか。それをコピーして、自身の能力にしてしまったとでも……。
「さて、できれば穏便に済ませたいところだ。質問に答えてくれさえすれば痛い目には合わせない。……テレパスはどっちだ?」
トレチャコフの瞳が怪しく光る。瞼を細め、口元を歪めながらこちらを覗くその表情は、まるで物語の挿絵に描かれる暴君のよう残忍さ覗かせている。実に陰惨で、身動きの取れない俺たちの様子を楽しむかのような微笑みを浮かべているのであった。
しかし彼は、俺とシャーリーのどちらがテレパスであるか分かっていないようである。
(彼は今、ダレンに能力封じを掛けてるの。今までずっと私たちの様子を監視していたのよ。私に思考を覗かれないよう、自分自身に能力封じを掛けてまでね。でも私たちが病棟に乗り込む様子を確認して、ダレンがテレポート持ちだと知ったのよ。それで能力封じの対象をダレンへ移したの……)
やはりホールデンの能力と一致する。ホールデンの能力は、対象の能力行使を封じるものであった。それと同時に、能力を封じられた者は他のいかなる能力の干渉も受けないのだ。すなわち自分自身に能力封じを掛けてしまえば、シャーリーのテレパシーだって通じなくなるのである。
しかしこの、自分自身に能力封じを掛けるという使い方には常々疑問を感じていた。能力封じは対象の能力を完全に使えなくしてしまう。それを自分に掛けるということは、自ら解除することもできなくなってしまう、ということにはならないのだろうか……。実際ホールデンは自身に能力封じを使用したのち、再び能力を使用することなく自ら命を絶ったのである。
「どうやら答える気が無いようだね。……奴を連れてこい」
するとトレチャコフの傍に控えていた二名の側近が部屋を後にした。そしてしばらく経った後、二人はダレンを抱えて戻って来たのであった。
「……よかった……二人とも生きていたんだね」
ダレンの姿に俺は衝撃を感じていた。顔面は腫れ上がり、よく見ると両手の指から血が滴っている。爪を剥がされたのだ。それに左足を引きずっている様子を見るに、どうにも骨を折られているらしい。
「なかなか口を割らないものだからね。少し遊んでやったんだ。お前らもこうなりたいか? ……そうだな、男の呻きは聞き飽きたし、そろそろ女の悲鳴でも聞きたいねえ」
舐めるような目つきでシャーリーを見るトレチャコフ。その視線に怯えきってしまい、シャーリーの顔面が見る見るうちに青ざめてゆく。
「その手帳。どうやら何でもコピーできちまうらしいな」
「……その通り。戦闘には向かないが、外交官である私にとってはこれ以上ない能力だ」
「あんた、ホールデンと会ったことがあるか?」
「ユトダインの尋問室長か? なるほど、やはり能力封じは奴のものだったか。ハハハ、奴もお人よしだな。こんなにも強大な能力をコピーさせてくれるんだから」
どうせ俺たちを始末するつもりなのだろうが、ベラベラと良く喋る男である。これがヘルトの外交トップか。交渉能力ではホールデンの数段劣るだろう。
(もう十分だ。シャーリー、やってくれ)
次の瞬間、目の前のトレチャコフと側近の男が耳を塞ぎ、悶絶しながら床へしゃがみ込んだ。テレパシーの応用だ。シャーリーは視認した相手の脳内に直接語り掛けることが出来る。その音量は現実の声量と重なる為、大声で叫ぶかのようにテレパシーを用いれば、相手の脳内を掻き乱すことも出来るのだ。
思惑通りトレチャコフの手元から手帳が舞い落ちる。これは俺たちの賭けであった。奴は手帳に触れていなければ能力を使えない。すなわち、ダレンに掛けられた能力封じも解除される筈であると期待したのだ。
「ダレン! 行けるぞ!」
すると彼はテレポートで拘束をすり抜けた。身に纏う衣服までも放り捨てられ、彼は文字通り身一つで目標二名を鷲掴みにする。そのまま彼は姿を消した。そして直後には、俺たちの目の前へ戻っていた。
「……すまないけど、君らの拘束を解く腕力は残ってない。強引に行くよ」
ダレンは全裸の状態で、ふらつく体を何とか支えながら断りを入れた。そして、俺とシャーリーの拘束されたままの手を握りしめた。
一瞬で周囲の光景が切り替わり、俺の体は宙に浮いていた。どうやら俺たちは精神病棟の別室にいたらしい。遥か下方に目を向けると、トレチャコフと側近らしき二名の体が地に叩きつけられ、周囲に血だまりが広がっているのが見て取れる。しかしその光景も一瞬しか目に入らず、次の瞬間に俺たちは地上に降り立っていた。
「奴らは死んだか!?」
「トレチャコフは虫の息だけど、まだ死んでないわ。どうする?」
「なら止めを……いや、とにかく逃げよう。シャーリーはフットに交信を。ダレンはとりあえず帰路についてくれ」
奴に生き延びられたら恐らく大変なことになるだろう。もし俺たちに襲撃されたと公表されてしまったら、現在続いている外交交渉にも影響が及ぶはずだ。
しかし、彼がこのまま死んだとてそれは変わらない。いやむしろ状況はさらに悪化する可能性すらある。一体これからどうすれば良いのだろうか。




