かつて、またはその先に存在した歴史
「衛生兵! 衛生兵!」
俺は彼女の体を担ぎ、無我夢中で荒野を駆け回っている。しかし友軍の姿は見えず、辺りは不気味な銃声と、目に見えぬ敵の気配に満ち溢れていた。ふと上空を見上げると、雲の向こうに無数の巨大な爆撃機が微かに機体を光らせている。やがてあの飛行機は、我が王国の首都中枢へ爆撃を仕掛けるのであろう。
(こんなことになるなら……あの時過去に戻っていれば良かったんだ……)
俺は悔やんでも悔やみきれない自戒の念に飲み込まれかけていた。しかし、今はそんなことを考えている場合じゃない。耳元で息も絶え絶えに喘ぐリリアンは既に、何発もの銃弾をその身に浴びているのだ。彼女の喉元から噴き出す生暖かい血液が、俺の右肩を伝い地に落ちる。
「衛生兵!」
どこに敵兵が隠れているかも分からない状況下で、俺は大声を上げながら戦地を彷徨っていた。このままでは彼女が死んでしまう。今の俺に、彼女を救うことはできないのだ。奴を殺して、能力を奪い返さなければ……。
しかしその望みも今や絶望的である。奴はヘルト帝国の首都ヴォロフスクの庁舎の自室で、一人密かにほくそ笑んでいることだろう。どこで間違った……首都包囲戦の失敗か、それとも、この戦争を始めたこと自体が間違いだったというのか……。
「ニック……わたしを……置い……て……逃げて……」
声を出す度吐血するリリアンの訴えに、俺は彼女の最後を感じていた。しかしそれは到底受け入れがたい事実であり、俺は内心で理解していながら、その結末を自分自身で否定した。
「ふざけんな。絶対、見殺しになんかしねえからな」
「……あんたが……しん……だら……終わり……なの」
彼女は、瀕死の重傷を負っている負傷者とは思えないほどの力を発揮して、俺の体を突き飛ばしたのであった。慌てて体勢を戻すと、彼女の左手には手榴弾が握られていた。そして右手の指は、起爆用のピンに添えられている。
「また……会いましょ……」
「待て!!」
「……愛してるわ」
轟音と共に血飛沫が舞い散る。彼女の体は爆発の衝撃で後方に弾み、そのまま地面に叩きつけられた。その姿を、俺は直視することすら出来なかった……。
そしてすぐさま俺は我に返った。今の爆発音で、敵の何名かは敵生存者の存在に気が付いた筈である。先ほどまで俺が発していた、衛生兵を呼ぶ叫び声も聞こえていたことだろう。
……ここはヘルトとユトダインを隔てる、リーガル地方の国境付近である。今の俺は、奴に能力を封じられ過去に戻ることも出来ない。それどころか、奴はいつでも俺の能力を使うことができるのだ。
だが奴は恐らく、いや絶対に、俺の死亡を確認するまで過去戻りを使わないだろう。ならば俺が取るべき選択肢はただ一つ。何としてでも生き延びて、奴を殺すのみである。リリアンは死んだ。アナスタシアも……きっと無事では済まないだろう……。
リリアンは俺のことを最も良く理解していた。彼女がああして自決の選択肢を取らなければ、俺はあのまま彼女を助けようと躍起になり、挙句の果てに二人で共倒れとなっていた。
「ふざけんな……。絶対に、救い出す。俺の仲間は誰一人として死なせやしない……」
その中には俺の親友、かつて王族であったランカスターの側近衛兵を務め、衛兵史上最も優秀な兵士と謳われたピーター・マクファーレンも当然含まれている。どうやら俺の能力の使い方が悪かったのか、ピーターの存在は俺以外全ての人々の記憶から抹消されてしまったらしい。精霊が言うところの、ペナルティというやつである。
契約者には漏れなく対価の存在が付きまとう。俺はこれまで、78回にも及ぶ過去戻りを経験しているのであった。そのうちペナルティは前々回の一度のみ……あの時、ピーターの存在が、この世から完全に消え失せてしまったのだ……。ランカスター周辺には専属のボディーガードが存在したとはいえ、まさか第二王子の側近衛兵という制度そのものまで無くなってしまうとは……。
「ニックさん、ニックさん……」
ふいに聞こえてきた声の方向に目を向けると、既に破壊されたトーチカの中から、数名のユトダイン兵が手招きをしているのが見て取れた。俺はすぐさまそのトーチカ内へ滑り込み、ユトダイン陸軍の生存兵と静かに抱きあった。
「……この戦争、我々の負けでしょうね」
兵士の一人がそう呟いた。彼の言う通りであろう。リーガル防衛線を突破された我々ユトダイン軍に、もはや勝利の道は残されていない。
「まさか皆殺しにされることは無いだろう。王都陥落まで身をひそめながら、ここで生き延びようじゃないか」
もう一人の兵士も、震える声でそう訴えた。それも一つの選択だろう。しかしあの爆撃機の数、王都は間違いなく廃墟と化すに違いない……。
「あのトラック、まだ動くか?」
トーチカの覗き穴から見える壊れかけのトラックを指さして、俺は数名の生存者に問いかけた。すると彼らは顔を見合わせて、恐る恐るこう尋ねてきたのであった。
「ええ、恐らく動くと思いますが。一体何をお考えで?」
「王都へ向かう。俺には、やらなきゃいけないことが山ほどある……。奴を殺して能力を取り戻し、過去へ戻って、リリアンやアナスタシアを救い出さなければ……」
困惑と不安の入り混じった彼らの表情をよそに、俺はトーチカを飛び出して軍用トラックに乗り込んだ。そこにいた兵士たちは誰一人として、俺の後に続こうとする者は居なかった。




