罠
「この三人で行動するもの久しぶりだね。クーデターを思い出すよ」
ダレンは呑気にそう語って見せたが、俺の胸中は極めて息苦しい重圧に支配されていた。目の前に聳え立つのはヘルト帝国精神医療センターの第三病棟。帝国首都ヴォロフスクの郊外に位置し、広大な敷地面積を有する世界屈指の精神医学研究施設に隣接する大病棟である。有刺鉄線の張り巡らされたその敷地を見るに、病棟よりも監獄と言った方が適切な表現のようにさえ思えるのであるが……。
「なに呑気なこといってんの。とっとと侵入するわよ」
シャーリーが呆れたようにダレンを叱りつける。やはりどうも素直になれない様子のシャーリーであるが、彼女なりに昨晩色々考えていたようだ。心なしか、口調も和らいでいるように感じられる。
「わかったよシャーリー。警備の数は?」
「大したことなさそうね。イゴールはどうも、最上階の特別室に収容されてるみたい」
午前六時から病棟敷地の入り口付近に潜伏していた俺たちは、出勤する職員を待ち伏せていた。自動車の音が聞こえるたびにシャーリーが顔を出し、職員たちの思考を覗きこむ。そして今現在11時を迎えたところで、彼女はイゴールの病室を突き止めたのであった。
「しかしまあ、よくぞトレチャコフ公爵から情報を引き出せたな」
昨日夜、俺が第二皇女リディアと、アナスタシアの実父ドズゴフスキーとの会合を行っている間、シャーリーたちはトレチャコフ公爵に対する諜報活動を行っていたのである。
「ユトダイン外交団の協力のお陰よ。フットの要請で、外交団はトレチャコフに対して様々な質問を投げかけてくれた。もちろんトレチャコフは答えなかったけど、彼の思考は読み取れたわ。彼がアナスタシア暗殺計画を指示していたことも確定したし、ブルガール民族戦線と繋がってることも把握した。……息子のイゴールが、ここ第三病棟に隔離されていることも確認できた」
お陰でさまで、昨晩ダリヤ達から得た情報の答え合わせができたのである。トレチャコフ公爵の黒も確定し、俺たちの標的が定まったのだ。
「ただ一つ気になるのが……トレチャコフの妙な癖ね……」
「ああ、あれか? 左手をずーっとポケットの中に突っ込んでたとか」
「うん、レストレランでの会食中ずっとよ。で、それだけなら大して気にもならなかったんだけど……」
「会食中、三十分ぐらい経った頃からトレチャコフの思考が一切読めなくなったと。確かに不思議な話だな……」
シャーリーのテレパシー能力は実に強大で、一度視認した相手なら半径十五キロメートルを超えない限り、常にその人物の思考を盗み見ることができてしまう。そこには例外などない……筈であった。
しかしどうしてか、彼女は会食の途中から、トレチャコフの思考が読めなくなってしまったというのだ。彼女の能力が通じなかった相手はこれまで一人のみ、元尋問室長のホールデンだけである。彼は能力封じを用いてシャーリーのテレパシーを防いでいたが、果たしてトレチャコフは……。
「まさかとは思うが、トレチャコフも契約者ってことは無いだろうな……」
「その線も考えたわ。でもね、もしそうなら私が気付けるはずなんだけど」
「だよな、今考えても仕方ねえか……。ダレン、飛ばしてくれ」
俺たちはダレンのテレポートで病棟の最上階まで飛び上がり、そのままイゴール・トレチャコフの収容される特別室に降り立った。余裕があればイゴールと直接対話したいところだが、情報によると彼は言語障害を負っているらしい。最悪シャーリーに彼の姿を視認させ、すぐさま戦線離脱してもいいだろう。あとは彼女のテレパシーで思考を覗けば良いのだから。
「……なあシャーリー、ほんとにこの部屋で合ってるのか?」
ダレンが周囲を見回しながら彼女に尋ねる。流石は公爵家の息子と言うべきか。精神病棟ながら、その部屋はまるで邸宅のリビングルームかと見まごうほどの広さを有しており、実に快適な住環境であることが確認できる。それこそキッチンのような火の出る設備は無いものの、大きめのソファーにダイニングテーブル、そして巨大な衣装ダンスまで、病棟暮らしには不必要と思われる調度品の数々が目に入るのであった。
……しかし、当のイゴールの姿が見当たらないのである。
「ここで間違いないわ。イゴール・トレチャコフは確かに五階の特別室に収容されてるはず。病棟内で一番大きな部屋だって」
「もしかしたら、診察か何かで部屋を出てるんじゃないか? 一旦引き揚げてまた……」
そう言いかけて、俺は周囲の異変に気が付いた。部屋の外に誰かいる。ダレンも同様に勘付いたようだ。
「退避だ!」
ダレンはすかさず俺とシャーリーの手を取った。……しかし、彼はそのままテレポートを発動させることなく、唖然とした表情で辺りを見回すのである。
「おいダレン、早くしてくれ」
「……発動……しない」
「何だって?」
俺は懐からピストルを取り出し、部屋の扉に銃口を向けた。今引き金を引くことに意味はない。一般的な病棟の扉がそうであるように、この部屋の扉も鉄製の頑強な造りであるからだ。
「ニック! トレチャコフが!」
シャーリーが取り乱したように叫び出した。一体何が起こっているというのだ……。
「どうしたシャーリー!?」
「今扉の前にいる! さっきまで全く感知できなかったのに!」
すると突然、どこからともなく噴き出した白い煙が、あっという間に部屋中を包み込んだのである。咄嗟に声を上げようとしたが手遅れであった。視界が暗転し、俺はその場で意識を失った。




