第9話「悪魔と五月病」
GWが終わり、久しぶりの登校日。
教室へ入ると、いつもよりどこか空気が重かった。
「はぁ……学校だるいなぁ」
「まだ休みたかった……」
「全然やる気出ない……」
あちこちから聞こえてくるのは、そんな気の抜けた声ばかり。
五月病のせいか、机へ突っ伏している奴までいる。
「……みんなどうしたの?」
不思議そうに辺りを見回しているのは莉夢だった。
いつものように元気いっぱいで、教室の様子をきょろきょろと眺めている。
「なんだかみんな元気ないわね」
「まあ、この時期だからな」
「この時期?」
首を傾げる莉夢へ、教科書を机へ置きながら答える。
「五月病だよ」
「ごがつびょう?」
聞き慣れない言葉だったのか、莉夢はぱちぱちと瞬きを繰り返した。
「病気なの?」
「病気っていうより、この時期になると学校や仕事へ行くのが面倒になって、何をするにもやる気が出なくなる人が結構いるんだよ」
「へぇ……」
莉夢は教室を見渡す。
教室ではあちこちで気だるそうな空気が漂っていた。
「ふぅん……人間って不思議ね」
そう呟いたかと思えば、莉夢の口元がにやりと吊り上がる。
「つまり! 人間ってそんな簡単に堕落しちゃうのね!」
「……堕落って言い方はどうなんだ」
「ふふふっ! 悪魔の私が頑張って誘惑しなくても、人間は勝手に堕落する時期があるなんて! 悪魔いらないじゃない!」
「お前がそれ言っちゃダメだろ」
「結飛もその五月病っていうので堕落するのも時間の問題ね!」
「俺は大丈夫だよ」
「強がっちゃって♪」
勝ち誇ったように笑う莉夢。
そんな莉夢を見ながら、小さくため息をついた。
……どうして毎回、そんな自信満々なんだ。
◇ ◇ ◇
――数日後。
朝、教室へ入り席に着くと、隣から気だるげな声が聞こえてきた。
「……だるい」
視線を向ければ、莉夢が机へぐったりと突っ伏している。
数日前まで高笑いしていた悪魔とは、とても思えなかった。
「……お前が五月病になってどうする」
「……違うわよ。私は悪魔だから」
莉夢はゆっくりと顔だけこちらへ向ける。
「でも症状は同じだぞ」
「悪魔が五月病になるなんて聞いたことないわ……」
そう言うと、莉夢は再び机へ突っ伏した。
それから授業が始まっても、莉夢の様子は変わらなかった。
机へ突っ伏したまま、時折、「……だるい」と、小さく呟くだけ。
……相当きてるな。
ふと横目で莉夢を見ると、角も翼も出しっぱなしだった。
それだけじゃない。
だらりと垂れた尻尾が、机の下で力なく揺れていた。
……おいおい。
先生やクラスメイトに聞こえないよう、小さく莉夢へ声をかける。
「おい」
「……なに?」
「全部出てるぞ」
莉夢はぼんやりと自分の頭へ手を伸ばす。
「あ……」
「先生に見つかる前にしまえ」
「……めんどくさい」
「めんどくさいじゃない」
莉夢は大きくため息をつきながら、何とか角と翼、それに尻尾を引っ込めた。
……こんなんで今日一日乗り切れるのか。
そんな俺の不安は、案の定的中した。
授業が進むたびに、気が緩むのか角がひょこっと現れ、翼がぴくりと動き、尻尾が机の下から顔を出す。
そのたびに俺は小声で注意し、周りに気付かれないよう必死にフォローする羽目になった。
これ以上は限界だ。
「……先生。莉夢の体調があまり良くないみたいなので、保健室まで連れて行ってもいいですか?」
先生は莉夢を一目見ると、小さく頷いた。
「ああ、頼む」
「ありがとうございます」
席を立ち、ぐったりと机へ身を預ける莉夢のそばへ歩み寄る。
このまま授業を受けられる状態じゃない。
「ほら、保健室行くぞ」
「……うぅ」
保健室へ向かう廊下。
莉夢はいつものように歩くことすら億劫なのか、とぼとぼと俺の後ろをついてくる。
「……だるい」
「さっきからそれしか言ってないな」
そんなやり取りをしながら歩いていると、不意に腕へくすぐったい感触が走った。
視線を落とすと、俺の腕には、いつの間にか莉夢の尻尾がくるりと巻き付いていた。
「……また巻き付いてるぞ。」
「……え?」
莉夢もぼんやりと視線を落とす。
「ち、違うの。尻尾が勝手に……」
……本人より、尻尾の方が素直らしい。
「保健室に入る前に消せよ?」
「……うん」
◇ ◇ ◇
保健室へ入ると、幸い先生は席を外していた。
「とりあえず、そこのベッドで休め」
「……うん」
莉夢は気のない返事をすると、ふらふらとベッドへ向かう。
そのまま靴を脱ぎ、力が抜けたようにぽすんと横になった。
そして布団を肩まで引き寄せ、小さく身体を丸める。
「先生が戻るまで、少し休んでろ」
そう言い残し、教室へ戻ろうとした、その時だった。
制服の裾が、くいっと引っ張られる。
振り返ると、莉夢が俺の裾をそっとつまんでいた。
「……ここにいて」
「いや、でも戻らないと」
「少しだけでいいから」
いつもの莉夢なら、こんな甘え方はしない。
「悪魔なのに、五月病なんて」
莉夢が恥ずかしそうに布団へ顔を埋める。
いつもの自信満々なこいつなら、絶対に言わない言葉だ。
「別にいいんじゃないか」
「……え?」
「悪魔でも、人間界で生活してるんだから。人間の生活に影響されることくらい、あるだろ」
「……そうなのかな」
「五月病でも、お前はお前だろ?そんなに気にするなよ」
その一言に、莉夢はきょとんと目を丸くした。
俺を見つめる。
数秒の沈黙。
そして、小さく微笑んだ。
「……ありがと」
その笑顔は、朝から見せていたぐったりした表情とは少しだけ違っていた。
「だから今日は、何も考えずに休め」
「……うん」
素直に頷いた莉夢は、再び布団へ顔をうずめる。
さっきまでとは違い、その表情はどこか安心したように見えた。
俺も小さく息をつき、ベッドの横に置かれた椅子へ腰を下ろす。
……少しくらいなら、付き添っていてもいいか。
保健室には、静かな時間だけが流れていた。
◇ ◇ ◇
放課後。
保健室でしばらく休んだおかげか、帰り道の莉夢は朝よりずっと表情が明るくなっていた。
「……少し楽になったわ」
「それならよかった」
「五月病って、本当に大変なのね」
「もうこれで人間を笑えないな」
「うぅ……」
莉夢は少し気まずそうに肩を落とした――かと思えば、不意に口元を緩めた。
「でも」
「ん?」
「今日はいっぱい甘えられたし、悪くなかったかも♪」
「……」
一瞬、顔が熱くなる。
……この小悪魔。そういうことを平然と言うなよ。
「また五月病になったら、看病してくれる?」
「前提がおかしいだろうが!」
「ふふっ♪」
……まったく。元気になった途端、これだ。




