第6話「子悪魔、初めての家訪問」
今日は珍しく教室を離れ、中庭で弁当を食べることにした。
たまには外の空気を吸いながら昼食を取るのも悪くない。
そんなことを考えながらベンチへ向かうと──
「結飛!」
聞き慣れた声が飛んできた。
視線を向けると、そこには満面の笑みを浮かべた莉夢が立っていた。
俺と目が合うなり、小走りでこちらへ駆け寄ってくる。
……嫌な予感しかしない。
あいつがああいう顔をしている時は、大抵ろくでもないことを思いついている。
「その顔を見る限り、また何か企んでるんだろ」
「企んでるなんて人聞きの悪いこと言わないでちょうだい!」
莉夢はむっと頬を膨らませたかと思えば、すぐに得意げな笑みを浮かべて胸を張る。
どうやら、かなり自信があるらしい。
「でも、今日は違うわ! ついに見つけたのよ!」
「……何を?」
わざと気のない返事をすると、莉夢は待ってましたと言わんばかりに人差し指を高く掲げる。
「人間が一番堕落する場所を!」
……また始まった。
「一応聞くけど、どこなんだ?」
俺がため息混じりに尋ねると、莉夢はさらに得意げに胸を張る。
「家よ!」
「……家?」
思わず聞き返すと、莉夢は待ってましたと言わんばかりに満足そうな笑みを浮かべる。
どうやら、この反応すら予想していたらしい。
「そうよ! 人間って家だと気が緩んで、だらだら過ごすんでしょ?」
「まぁ、人によるけどな」
「お菓子を食べたり、ゲームをしたり、お昼まで寝てたり……」
指を折りながら一つずつ並べていく莉夢。
……どれも聞いたことがあるような話ばかりだ。
勢いよく顔を上げると、莉夢はビシッと俺を指差した。
「つまり! 人間を堕落させるなら、家が一番なのよ!」
「……どこでそんな知識を仕入れたんだ」
「魔界の教科書よ!」
「その教科書、絶対偏ってるだろ」
「失礼ね! ちゃんと悪魔が人間を研究してまとめた教科書なんだから!」
頬を膨らませて抗議する莉夢。
本人は大真面目だから、否定しきれないのがまた厄介だった。
さっきまでの不満なんてどこへやら。
再び満面の笑みを浮かべると、勢いよく俺へ一歩踏み出した。
「というわけで! 今日は結飛の家で、人間が家だとどう堕落するのか、この目で確かめるわ!」
「嫌だ」
「……え?」
きょとんと目を丸くする莉夢。
……いや、そこで驚くのはこっちなんだけど。
「いや、『え?』じゃないだろ。なんで俺が自分の家に悪魔を連れて行かなきゃならないんだ」
「まずは家の中を見せてもらうだけよ!」
これまでだって、"ちょっとだけ"なんて言葉を信じた結果、ろくな目に遭っていない。
今回だって、どうせ何か面倒事に巻き込まれる未来しか見えなかった。
「嫌だ」
「むぅ……」
唇を尖らせたまま何かを考え込む。
だが、その表情はすぐに消えた。
代わりに口元へ浮かんだのは、どこか企みを感じさせる小悪魔らしい笑み。
「ねぇ、結飛?」
一歩、また一歩と距離を詰めてくる。
「お願い♪」
上目遣いで小首を傾げ、甘えるような声を出す。
……なるほど。
そういう作戦できたか。
「その程度で騙されると思うな」
「えぇ~?」
莉夢は不満そうに頬を膨らませる。
「結飛って、意外とガード固いのね」
「悪魔相手に緩くしてどうする」
「うぅ……」
さすがに効かなかったと悟ったのか、莉夢は肩を落として俯いた。
何やら小さく唸りながら考え込んでいる。
……今度は何を思いつくんだ。
しばらくして、莉夢はふっと顔を上げた。
「……分かったわ。今のは忘れて」
そう言うと、莉夢は一度小さく深呼吸をした。
悪戯っぽい笑みも、甘えるような仕草もない。
「だから、改めてお願い。」
その瞳には、さっきまでのふざけた様子はもう残っていなかった。
「一回だけでいいの」
ほんの少しだけ声の調子が弱くなる。
「結飛の家を見せて」
真っすぐ向けられた視線を受け止める。
……困った。
ここまで真面目な顔で頼まれるとは思っていなかった。
とはいえ、家に連れて帰るなんて普通ならあり得ない。
断るのが正しい。
……正しいんだけど。
ここで断ったところで、莉夢が素直に諦める姿はまったく想像できなかった。
どうせ明日も明後日も、学校で会うたびに同じことを言い出すだろう。
それなら――。
「……本当に、一回だけだからな」
「えっ……!」
一瞬、莉夢は信じられないというように目を丸くする。
次の瞬間には、ぱあっと花が咲いたような笑顔になった。
「本当!? やったー!」
勢いよく飛び跳ねる莉夢を見て、俺は小さくため息をつく。
……やっぱり断り続けた方がよかったんじゃないか。
◇ ◇ ◇
住宅街を歩いて数分。
見慣れた我が家が見えてきた。
「あれが結飛の家……!」
莉夢が物珍しそうに家を見上げる。
「へぇ……人間の家って、こんな感じなのね」
「いや、うちが普通かどうかは知らないけど」
そう返しながら玄関の鍵を取り出す。
……しかし。
よく考えたら、女子を家に連れてくるなんて初めてだ。
しかも二人きり。
これを誰かに見られてたら、絶対面倒なことになってた。
「結飛?」
「……あ、いや。何でもない」
何を一人で意識してるんだ、俺。
カチャリと鍵を開け、扉を押し開く。
「ほら、入れよ」
「お邪魔しまーす!」
莉夢は靴を脱ぐと、物珍しそうに廊下を見回しながら家の中へ入っていく。
「こっちだ」
リビングへ案内すると、莉夢は興味津々といった様子で部屋を見回し始めた。
「……誰もいないの?」
「ああ。父さんも母さんも仕事で海外にいるんだ」
「へぇ、そうなの」
一度だけ頷いたかと思うと、莉夢はぱっと笑顔を浮かべる。
「じゃあ今日は貸し切りね!」
「貸し切りって言うな」
その言葉と同時に、ぽん、と頭の上へ小さな黒い角が現れた。
ふわり、と背中から翼が広がり、腰の辺りでは細い尻尾がぴょこんと揺れた。
「……おい」
「何?」
「隠す気なくなったな」
「だって二人きりなんだもの。この方が楽だわ」
そう言って翼を軽く伸ばし、尻尾を機嫌よさそうに揺らす。
……まぁ、本人にとってはこっちが自然な姿なんだろう。
そう納得しかけた、その瞬間だった。
「わぁー!」
「え、おい!」
莉夢は歓声を上げながらソファへ飛び込み、そのまま全身を預けた。
「ふわぁ……!」
翼をぱたぱたと揺らしながら体を預け、尻尾も嬉しそうに左右へ揺れている。
「すごい!人間のソファってこんなにふかふかなのね!」
「お前、人んちに来て早々くつろぐな!」
「え?」
莉夢はソファに寝転んだまま、不思議そうに首を傾げる。
「だって座るためのものなんでしょ?」
「座ると飛び込むは違う!」
「細かいこと気にするのねぇ」
まるで自分の家みたいにくつろぎ始める莉夢を見て、さっきまで感じていた妙な緊張はどこかへ吹き飛んでいた。
……やっぱり、こいつはこいつだった。
「ちょっと待ってろ。何か飲むか?」
「飲む!」
「返事だけはいいな……」
冷蔵庫から麦茶を取り出し、コップを二つ用意する。
……まぁ、せっかく来た客だし、このくらいはな。
トレーにコップを乗せてリビングへ戻る。
「ほら、麦――」
……あれ?
さっきまでソファでくつろいでいた莉夢の姿がない。
「おい、莉夢?」
返事はない。
まさかとは思うけど……。
「結飛ー!」
元気な声が二階から響いてきた。
「結飛の部屋ってどこー?」
「勝手に探索するなー!」
思わず叫び返し、慌てて階段へ駆け出した。
「ここね!」
「待て!」
ガチャッ。
「開けるなぁ!」
俺の制止なんてまるで聞こえていない。
莉夢は嬉しそうに部屋へ足を踏み入れると、興味津々といった様子で辺りを見回した。
「へぇ~……ここが結飛の部屋なんだ」
部屋へ入るなり、莉夢は物珍しそうに辺りを見回し始めた。
机や本棚、小物まで、一つひとつ眺めては「へぇ」と小さく声を漏らしている。
……そんなに珍しいものなんてないと思うんだけどな。
「なぁ、勝手に人の部屋を物色するなよ」
「いいじゃない。人間を知るには、まず生活を知らなきゃ」
悪びれる様子もなく笑うと、莉夢はくるりと俺の方へ振り返った。
「ねぇ、結飛」
「……なんだよ」
「そんなに緊張しなくてもいいのに」
「は?」
言われて初めて、自分の肩に力が入っていたことに気付く。
そんな俺を見て、莉夢は悪戯っぽく笑った。
「ふふっ」
ゆっくりと近づいてくる。
何をする気だと思った次の瞬間、莉夢は俺の腕へ自分の腕を絡めてきた。
「お、おい!」
柔らかな感触に、思わず体が強張る。
ふわりと甘い香りが鼻をくすぐり、心臓が大きく跳ねた。
さらに、尻尾まで俺の腕へくるりと巻き付いてくる。
「悪魔に隙を見せちゃだめよ?」
耳元で囁くような声。
近い。
近すぎる。
「ふふっ。顔、真っ赤。」
「だ、誰のせいだと思ってる!」
「もちろん、私♪」
悪戯が成功した子どものように、莉夢は満足そうに笑う。
……心臓に悪い。
あんな距離まで平然と踏み込んでくるなんて、反則だろ。
「お、お前な……」
ようやく言い返そうとした、その時だった。
「あっ!」
莉夢の視線がぱっと俺から外れる。
「結飛! あれ!」
指さした先には、棚の上に置いてあるゲーム機があった。
「げっ」
「これって人間を堕落させる魔道具ね!」
「ゲーム機だ!」
「ちょっと貸して!」
「おい、勝手に触るな!」
莉夢は俺の制止なんてどこ吹く風で、棚からゲーム機を降ろすとコントローラーをまじまじと眺め始めた。
「これ、どうやって使うの?」
「……人の話聞いてたか?」
「もちろん。研究するの」
……悪びれる様子は一切ない。
「はぁ……」
どうせ止めても無駄だ。
俺はゲーム機を受け取り、テレビへ繋いで電源を入れた。
画面が映ると――
「おぉ……!」
さっきまで俺をからかっていた悪魔は、子どものように目を輝かせていた。
「これで動くの?」
「左のスティックで移動。ボタンでジャンプだ」
「なるほど!」
勢いよくスティックを倒すと、キャラクターは壁へ突っ込んだ。
「あっ!」
「落ち着け。少しずつ動かせ」
「むぅ……難しいわね」
今度は慎重に動かす。
少しずつ前へ進み、ジャンプも成功した。
「できた!」
「その調子――」
「きゃっ!? 敵!」
慌ててボタンを連打する。
画面の中のキャラクターは見当違いの方向へ攻撃を繰り返し、そのまま敵に囲まれて倒れた。
『GAME OVER』
「あ……」
莉夢は画面を見つめたまま固まる。
数秒後、ぎゅっとコントローラーを握りしめた。
「……もう一回よ。今のは操作を覚えるための研究!」
「はいはい」
その後、回数を重ねるごとに莉夢はどんどん上達していった。
「やった! 倒した!」
さっきまで「研究」と言っていた悪魔は、今では敵を倒すたびに無邪気な笑顔を浮かべている。
「次よ!」
……気付けば、一時間近く経っていた。
「莉夢」
「あと一回!」
「それ、三回前にも聞いた」
「今度こそクリアできるの!」
画面から目を離さない莉夢を見て、俺はため息をつく。
「……なぁ」
「何?」
「堕落してるの、お前じゃね?」
「違うわ! これは研究よ!」
「研究なら、なんでそんなに必死なんだ。」
「そ、それは……今度こそクリアしたいから……」
そこまで言って、莉夢がはっと口を押さえた。
「~~~っ!」
真っ赤になって頬を膨らませる莉夢を見て、思わず吹き出した。
……この調子じゃ、悪魔の試験は当分合格できそうにないな。




