第5話「遊びに夢中になりなさい!」
放課後。
帰りのホームルームが終わり、俺は鞄に教科書をしまっていた。
教室では帰り支度を終えたクラスメイトたちが、次々と廊下へ出ていく。
鞄を手に取り、席を立とうとしたところで――。
「結飛!」
聞き慣れた声に呼び止められた。
顔を向ければ、莉夢がいつものように自信満々な笑みを浮かべている。
「……今度はなんだよ」
「今日は放課後、私に付き合いなさい!」
「嫌だ」
「なんでよ!」
即答すると、莉夢が不満そうに声を上げる。
「お前がそんな顔してる時は、ろくなことがないからな」
「失礼ね! 今日はちゃんとした理由があるのよ!」
「どうだか」
これまで散々な目に遭ってきた身としては、簡単に信用するわけにはいかない。
そんな俺の反応を気にすることなく、莉夢は得意げに胸を張った。
「ふふっ。実はね、人間を堕落させるのにぴったりな場所を見つけたのよ!」
「……またそれか」
どうやら、今回も懲りずに俺を堕落させるつもりらしい。
「それで? 今度はどこに連れていく気だ?」
◇ ◇ ◇
「……ここか?」
目の前にある建物を見上げながら、隣に立つ莉夢へ問いかけた。
入口の向こうからは、電子音や軽快な音楽が絶え間なく聞こえてくる。
「そう! ゲームセンターよ!」
「いや、それは見れば分かるけど」
「ふふっ。ここは人間がお金と時間を使って、夢中になって遊び続ける場所らしいわね!」
「まあ……間違ってはいないけど」
こいつの中でゲームセンターは、人間を堕落させる恐ろしい場所ということになっているらしい。
「今日こそ結飛を遊びに夢中にさせて、堕落させてみせるわ!」
相変わらず、どこからそんな自信が湧いてくるのか分からない。
「……こんなんで俺が堕落すると思ってんのか?」
「やってみなきゃ分からないでしょ!」
そう言って、莉夢は意気揚々とゲームセンターへ入っていく。
まあ、ゲームセンターで遊ぶくらいならいいか。
ゲームセンターの中へ足を踏み入れると、外まで聞こえていた電子音が一気に大きくなる。
辺りにはクレーンゲームや音楽ゲーム、レースゲームなど、様々な筐体が所狭しと並んでいた。
「さあ、結飛! 好きなだけ遊びなさい!」
隣を歩いていた莉夢が、両手を広げる。
「……急に言われてもな」
「遠慮しなくていいのよ? 時間を忘れて、思う存分遊ぶといいわ!」
妙に偉そうだ。
「ほら! あれなんてどう?」
莉夢が指差した先には、二台並んだレースゲームがあった。
「まあ、いいけど」
促されるまま席に座り、硬貨を入れる。
せっかく来たんだし、遊ぶこと自体に文句はない。
ゲームが始まり、画面に合わせてハンドルを切る。
久しぶりにやると、それなりに面白い。
しばらくしてレースが終わり、俺は席を立った。
「よし。次行くか」
「……え?」
「どうした?」
莉夢がきょとんとした顔で俺を見ている。
「もう終わり?」
「終わったけど」
「もっとやりたくならないの?」
「別に」
「なんでよ!」
莉夢が納得いかないとばかりに声を上げた。
「一回遊んだら、もう一回やりたい! もっと遊びたい! ってなるものでしょ!?」
「人によるだろ」
「そんな……」
どうやら莉夢の予定では、俺はこの時点でゲームの虜になっているはずだったらしい。
「じゃ、じゃあ次よ!」
今度は近くにあった別のゲームを指差す。
それからも莉夢に言われるがまま、いくつかのゲームで遊んでみた。
確かに楽しい。
だが、時間も忘れて夢中になるかと言われれば、そこまでではない。
「……おかしいわ」
「何が?」
「全然堕落してないじゃない!」
「ゲームしたくらいで堕落するわけないだろ」
「でも、調べた時はみんな夢中になってたのに……」
莉夢は辺りを見回す。
その視線の先では、何人もの客が楽しそうにゲームで遊んでいた。
やがて何かを思いついたのか、莉夢がはっと顔を上げる。
「分かったわ!」
「今度はなんだよ」
「結飛は遊び方が足りないのよ!」
「……は?」
そう言うと、莉夢は店内を見回しながら歩き出した。
やがてクレーンゲームが並ぶ一角まで来ると、その中の一台を指差す。
「これなんてどう?」
「クレーンゲームか」
「これなら景品が取れるまで何度も挑戦したくなるんでしょ?」
「まあ、そういう人もいるだろうな」
「じゃあ結飛、これ取って!」
莉夢が筐体の中へ目を向ける。
その先には、小さな角と翼が生えた、デフォルメ調の悪魔のぬいぐるみが置かれていた。
どこか愛嬌を感じさせる見た目をしている。
「……なんで俺が」
「え~? もしかして、結飛って自信ないの~?」
莉夢はいたずらっぽく口元を緩める。
──あからさまな挑発だ。
分かっている。
こんなのに乗せられる必要なんてない。
「取れないなら仕方ないわよね~♪」
……分かっているのに。
「別に取れないとは言ってない」
しまった。
口にした瞬間、自分から罠に飛び込んだことを悟った。
「じゃあ取れるのね?」
莉夢は勝ち誇ったように笑う。
……ほんと、こういうところは小悪魔だよな。
「……あ、そうだわ」
莉夢が景品へ向かって、人差し指を向ける。
すると、指先に淡い緑色の光が集まり始めた。
「ちょっとだけ風魔法で――」
「おい」
「ひゃっ!?」
莉夢が肩を震わせる。
「今、何しようとした?」
「な、何でもないわ!」
「店の景品に魔法使うなよ」
「うっ……」
財布から百円玉を取り出し、クレーンゲームへ投入した。
アームを慎重に動かし、狙いを定める。
ガシャン。
ぬいぐるみは少し持ち上がったものの、途中で落ちてしまった。
「なーんだ。結飛も大したことないわね」
莉夢は腕を組み、得意げに笑う。
「まだ一回目だ」
ガシャン。
今度はぬいぐるみが少し出口へ近付いた。
「おっ……惜しかったわね。」
そう言いながらも、どこか名残惜しそうに景品を見つめている。
さらにもう一回。
ガシャン。
「そこ! あとちょっと! そのまま、そのまま!」
……こいつ、さっきまで俺を煽ってたよな。
何度挑戦しても、そう簡単には取れない。
この辺で諦めてもいい。
なのに、俺よりも悔しそうな表情を浮かべる莉夢を見ていると、もう少しだけ頑張ってみようという気になってしまう。
そして何度目かの挑戦。
ガシャン。
アームはぬいぐるみをしっかりと掴み、そのままゆっくりと景品口へ運んでいく。
「お願い……!」
莉夢は両手を胸の前で組み、食い入るように見つめる。
あまりにも真剣に見つめているせいか、スカートの後ろから細い尻尾がひょこりと顔を出していた。
「……おい」
「何!? 今いいところなんだから静かにして!」
「いや、尻尾出てるぞ」
「……え?」
莉夢は自分のお尻の辺りへ手を伸ばす。
「きゃっ!?」
慌てて尻尾を引っ込めた、その直後。
景品口へ、ぬいぐるみがぽとんと落ちた。
「やったぁ! 取れた! 本当に取れたわ!」
莉夢はぱっと表情を輝かせ、思わずその場で小さく飛び跳ねる。
さっきまでの小悪魔らしい余裕なんてどこへやら。
無邪気に喜ぶ姿を見ていると、こっちまで少し嬉しくなってくる。
莉夢は景品口へ駆け寄り、ぬいぐるみに手を伸ばそうとした。
「あっ……」
そこで我に返ったように動きを止める。
さっきまで夢中になっていたことを思い出したのか、はっとしたように咳払いを一つ。
「ふ、ふん。やればできるじゃない」
取り繕うように腕を組む。
……いや、今さら格好つけても遅いだろ。
俺は景品口から悪魔のぬいぐるみを取り出し、そのまま莉夢へ差し出した。
「ほら。」
「……え?」
きょとんとした表情で、莉夢が俺とぬいぐるみを交互に見つめる。
「欲しかったんだろ?」
「で、でも……これは結飛が取ったものでしょ?」
「俺が欲しかったわけじゃないしな」
莉夢は少しだけ迷うように視線を泳がせると、おずおずと両手で受け取った。
「……ありがとう」
そう呟いた莉夢は、ぬいぐるみを大事そうに胸へ抱き寄せる。
その表情は、さっきまでの小悪魔の笑みじゃない。
どこか照れくさそうで、それでいて心から嬉しそうな笑顔だった。
◇ ◇ ◇
ゲームセンターを出ると、空はすっかり夕暮れ色に染まっていた。
行き交う人々の間を抜けながら、莉夢と並んで帰り道を歩く。
「そういえばさ」
「何?」
「俺を堕落させる作戦はどうなったんだ?」
「……あ」
莉夢の足がぴたりと止まった。
そのまま固まった様子を見るに、どうやら完全に忘れていたらしい。
「俺よりもお前が夢中になってたよな」
「そ、それは……」
莉夢は気まずそうに視線を逸らす。
しばらく言い訳を探すように黙り込んでいたが、やがて誤魔化すように声を上げた。
「ま、まあいいわ! 今日のところはこれくらいにしておいてあげる!」
「はいはい」
「次こそは絶対、結飛を堕落させてみせるんだから!」
莉夢はそう宣言すると、何事もなかったかのように再び歩き出す。
その足取りはどこか軽く、先ほどまで作戦を忘れていたことなど、もう気にしていないようだった。
結局、今回も俺が堕落することはなかった。
まあ――本人が楽しそうだったし、別にいいか。
少し先を歩く莉夢の背中を眺めながらそんなことを思い、俺もその後を追うのだった。




