第20話「惚れさせてやるんだから!」
「それじゃあ今日は、ハンバーグを作ってもらいます」
家庭科の教師の声に続いて、教室のあちこちから話し声が上がる。
今日の授業は調理実習。
同じ班になった莉夢と並んで、調理台の前に立っていた。
「結飛、ちゃんと作りなさいよね」
「なんでお前に言われなきゃいけないんだよ」
「私まで失敗したみたいに思われたら困るもの」
「はいはい。だったらお前もちゃんとやれよ」
「当たり前でしょ。私を誰だと思ってるのよ」
「料理ができるイメージのない悪魔」
「失礼ね!」
そんなことを言い合いながら、俺たちはハンバーグ作りを進めていく。
ただ、さっきから莉夢の様子がどこかおかしい。
妙に機嫌がいいというか、時折こちらを見ては、楽しそうに口元を緩ませている。
「……なんだよ?」
「なにが?」
「いや、さっきからこっち見てるだろ」
「見てないわよ。自意識過剰なんじゃない?」
莉夢は何食わぬ顔で作業へ戻る。
……なんなんだ?
少し気にはなったものの、俺も目の前のハンバーグ作りへと戻った。
それからしばらくして、焼き上がったハンバーグがそれぞれの皿に並べられた。
あとはソースをかければ完成だ。
「結飛、そっちの皿取ってくれる?」
「ああ、これか?」
「それそれ」
同じ班のクラスメイトに頼まれ、少し離れたところに置かれていた皿を手に取る。
「結飛の分、ソースかけちゃうわね」
「ああ、頼む」
背後から聞こえた莉夢の声にそう返し、ついでに人数分の皿をまとめて運ぶ。
調理台へ戻ると、莉夢がなぜか満足そうに俺のハンバーグを眺めていた。
「お前、さっきから何ニヤニヤしてるんだよ」
「してないわよ。ほら、早く食べましょ」
莉夢に急かされるまま、俺も班のみんなと出来上がったハンバーグを食べ始めた。
「……お、結構うまいな」
焼き加減もちょうどいいし、ソースともよく合っている。
初めて作ったにしては、なかなかの出来じゃないだろうか。
もう一口食べようとしたところで、ふと視線を感じた。
顔を上げると、莉夢がじっとこちらを見ている。
「…………」
目が合っても、なぜか莉夢は逸らそうとしない。
何がそんなに気になるんだ。
そう思いながら莉夢を見返していると、不意に妙な感覚を覚えた。
いつも見慣れているはずの顔なのに、今日はやけに目を引く。
こうして見ると、こいつって――。
「なによ?」
「いや……」
思わず視線を逸らす。
なんだ、今の。
ほんの少しだけ胸がざわついた。
……まあ、気のせいか。
深く考えず、再びハンバーグを口へ運ぶ。
そのまま食べ進めていると、向かいから小さな声が聞こえてきた。
「……おかしいわね」
「ん?」
見ると、莉夢が首を傾げながら俺の方を見ている。
「どうしたんだよ?」
莉夢は考え込むような顔をしたあと、俺の皿へ視線を落とした。
「ねえ、結飛。それ、一口食べさせて」
「は? 自分のあるじゃないか」
「いいから。一口くらいいいでしょ?」
「いや、なんで俺の――」
言い終わるより先に、莉夢がこちらへ手を伸ばしてくる。
「お、おい!」
制止する間もなく、莉夢は俺のハンバーグを一口分取ると、そのまま口へ運んだ。
もぐもぐと咀嚼して、飲み込む。
そんな莉夢を呆れながら見つめた。
「……普通ね」
「そりゃ同じハンバーグだからな」
「そうなんだけど……」
莉夢は納得がいかない様子で首を傾げる。
いったい何がしたかったんだ、こいつ。
そう思っていると、莉夢がふと顔を上げた。
その視線が、俺に向けられる。
「……っ」
途端、莉夢の目が大きく見開かれた。
俺の顔をじっと見つめたまま、固まっている。
やがて頬がみるみる赤く染まっていった。
「お前、どうした?」
「な、なんでもない!」
莉夢は慌てたように顔を背ける。
けれど、しばらくするとまたちらりとこちらを見てくる。
そして目が合った途端、すぐに逸らす。
「莉夢?」
「――っ!」
名前を呼んだだけなのに、莉夢の肩がびくりと跳ねた。
莉夢の顔を確かめようと、少し身を乗り出す。
「お前、大丈夫か?」
「ち、近い!」
「は?」
莉夢が勢いよく椅子を引く。
「近いって……いつもお前の方から寄ってくるだろ」
「今はダメなの!」
「なんでだよ」
「と、とにかく……ダメなの!」
そう言いながら、莉夢は真っ赤になった顔を俺から逸らした。
さすがに様子がおかしい。
もう一度顔を覗き込もうとすると――。
「――来ないで!」
「は?」
莉夢は勢いよく椅子から立ち上がった。
「お、おい莉夢?」
「追いかけてこないでよ!」
そう叫ぶなり、莉夢は教室を飛び出していった。
「……なんなんだよ、あいつ」
一瞬呆気に取られたものの、あんな様子を放っておくわけにもいかない。
俺もすぐにその後を追った。
◇ ◇ ◇
教室を飛び出すと、莉夢は廊下の先を走っていた。
「莉夢! 待てって!」
「来ないで!」
「だったら何があったのか説明しろよ!」
「今は無理!」
呼び止めても、莉夢は足を止めるどころかさらに速度を上げていく。
そのまま階段へ飛び込むと、迷うことなく上へと駆け上がっていった。
「おい、そっちは――」
俺も後を追って階段を上る。
二階、三階と上がり、莉夢はさらにその先へ。
やがて最上階まで辿り着くと、莉夢は屋上へ続く扉の前でようやく足を止めた。
扉には鍵がかかっている。
うちの学校の屋上は普段、立ち入り禁止になっているのだから当然だ。
「……莉夢」
「だから、来ないでって言ったじゃない」
莉夢は扉を向いたまま、こちらを振り返ろうとしない。
「だったら、ちゃんと理由を話せよ」
莉夢の肩を掴み、こちらへ振り向かせる。
「――っ!」
目が合った途端、莉夢の顔がさらに赤くなった。
「……結飛が近くにいると、変になるのよ」
「変になる?」
「顔見てると、ドキドキするし。近くにいられると……その……嬉しいっていうか」
「…………」
いつもの莉夢からは想像もできない言葉に、思わず黙ってしまう。
莉夢はそこまで言うと、はっとしたように口をつぐんだ。
「……今のなし」
「いや、なしって」
「なしったらなし!」
「じゃあ、なんで急にこんな――」
「……惚れ薬よ」
「……は?」
「魔界から取り寄せた惚れ薬を……飲んだのよ」
「そんなもん、ホントにあんのかよ。てか、いつ飲んだんだ?」
「その、結飛のハンバーグに……」
「俺のハンバーグ?」
そういえば、莉夢は俺が調理台を離れる前に言っていた。
『結飛の分、ソースかけちゃうわね』
そして、戻った時には妙に上機嫌だった莉夢。
その後、俺のハンバーグを一口食べてから、急に様子がおかしくなった。
「……まさか。お前、俺に惚れ薬盛ったのか!?」
「…………」
「黙るな!」
「だ、だって! 結飛が私に惚れれば、契約してくれるかもしれないでしょ!」
「だからって惚れ薬なんか盛るな!」
「仕方ないじゃない! いつまで経っても結飛が契約してくれないんだから!」
「俺のせいにすんな!」
まったく、とんでもないことしやがって。
「……待てよ。俺もあのハンバーグ普通に食ったぞ」
「だからおかしいのよ! 全然効いてないじゃない!」
「知らねえよ!」
勝手に惚れ薬を飲ませておいて、効いてないと文句を言われても困る。
「でも、だったらなんでお前にはそんなに効いてるんだ?」
「それが分からないから困ってるのよ!」
そう言った莉夢が、不意に何かを思い出したように制服のポケットを探り始める。
「そういえば、これが一緒についてきたわね」
「なんだ、それ」
「説明書みたいなものよ」
「……お前、読んでなかったのか?」
「惚れ薬なんだから、飲ませれば惚れるものだと思うじゃない!」
莉夢は説明書を広げると、ようやくその内容に目を通し始める。
俺も横から覗き込んでみたが、そこに並んでいるのは見たこともない文字ばかりで、何が書いてあるのかさっぱり分からない。
「えっと、『本品は、使用者が対象に抱いている好意を一時的に増幅させる効果があります』」
「好意を……増幅?」
「……そうみたいね」
「じゃあ、俺にも一応効いてるってことか?」
そう考えると、さっき莉夢を見た時の妙な感覚にも説明がつく。
「……確かに、いつもよりお前のことが気になるような」
「じゃ、じゃあ効いてるじゃない!」
「まあ、一応な。でも、お前みたいにおかしくなるほどじゃないぞ」
「おかしいってなによ!」
「だってそうだろ。俺はちょっと気になるくらいなのに、お前は顔真っ赤にして逃げ出すし」
「そ、それは……」
莉夢は言葉に詰まり、何も言い返してこない。
それに、この薬が強くするのは、元からある好意だ。
「だったら、お前――」
「言わなくていいの!」
「まだ何も言ってないだろ!」
「と、とにかく! 今のは全部惚れ薬のせいなんだから!」
「いや、でも説明書には――」
「惚れ薬のせいなの!」
どうやら、何を言っても認める気はないらしい。
諦めて、それ以上追及するのをやめた。
◇ ◇ ◇
それからしばらくして、薬の効果もようやく切れたらしい。
さっきまであれほど俺を意識していた莉夢も、今ではすっかり落ち着きを取り戻している。
「……忘れなさい」
教室へ戻る途中、前を歩いていた莉夢がぽつりと言った。
「何を?」
「全部よ!」
「全部って……『近くにいられると嬉しい』とか?」
「――っ! それは言わないで!」
「無理だろ。あんなにはっきり言われたら」
「……全部、惚れ薬のせいなんだから」
「はいはい」
「なによ、その返事!」
莉夢は不満そうに頬を膨らませると、俺を置いて先へ歩いていく。
まったく、都合のいいやつだ。
そもそも勝手に惚れ薬を盛られた俺の方が文句を言いたいくらいなのに。
そんなことを考えながら後を追っていると、少し先を歩いていた莉夢がふと振り返った。
「ほら、結飛。置いてくわよ?」
そう言って、莉夢はいつものように笑った。
ただそれだけなのに、不意に胸が高鳴る。
「……どうしたの?」
「いや、なんでもない」
誤魔化すように答えて、莉夢の隣まで追いつく。
――元からある好意を、一時的に強くする。
さっき読んだ説明書の一文が、ふと頭をよぎった。
薬の効果は、もう切れている。
それでも俺は、隣を歩く莉夢の横顔を、いつもより少しだけ意識していた。




