第16話「お題はひみつ♪」
二学期が始まってしばらく経ったある日。
俺たちの高校は、体育祭の日を迎えていた。
校庭にはクラスごとのテントが並び、体操着姿の生徒たちがあちこちを行き交っている。
スピーカーから流れる放送に、競技中の生徒へ送られる歓声が重なり、辺りは普段の学校とはまるで違う賑わいを見せていた。
「ねえ結飛、体育祭って結構楽しいね!」
テント内で隣に座っていた莉夢が、楽しそうに校庭を眺めながら言った。
「まだ始まったばっかりだろ」
「だって、こういう人間の学校の行事って面白いんだもん」
「そういうもんか?」
俺にとっては毎年恒例の学校行事でしかないけど、悪魔である莉夢にとっては珍しいものなのかもしれない。
莉夢はさっきから、競技が始まるたびにあっちを見たりこっちを見たりと、すっかり体育祭に夢中になっている。
そんな姿を見ていると、なんだか嫌な予感がしてきた。
「……莉夢」
「なに?」
「一応言っとくけど、今日は絶対に翼とか尻尾とか出すなよ」
「分かってるってば」
「本当か?」
「私だってそれくらい分かってるわよ!」
莉夢は頬を膨らませる。
分かっているならいいんだけど。
こいつの場合、楽しくなると何をしでかすか分からないからな。
そんなやり取りをしていると、次の競技を知らせる放送が流れ始めた。
『続いて、男子百メートル走に出場する選手は、スタート地点に集合してください』
「っと、俺の番か」
立ち上がると、莉夢が俺を見上げた。
「結飛、頑張ってね!」
「おう」
「ビリになったらいっぱい笑ってあげるから♪」
「応援する気あるのかよ!」
莉夢の楽しそうな笑い声を背中に受けながら、集合場所へと向かった。
やがて順番が回ってきて、スタートラインに立つ。
別に俺は足が速いわけでも、遅いわけでもない。
だから一位を取ってやろうなんて気負いはない。
まあ、莉夢に笑われないくらいの順位にはなりたいけど。
何気なくクラスのテントへ目を向ける。
莉夢はすぐに俺に気づいたらしく、大きく手を振ってきた。
「結飛ー! ビリにならないでよー!」
……あいつ、あとで覚えてろよ。
『位置について――』
スタートラインに手をつき、前を見る。
『よーい――』
パンッ、と乾いた音が響いた。
合図と同時に地面を蹴り、他の生徒たちと一斉に走り出す。
ただ前だけを見て、必死に足を動かす。
「結飛ーっ! 頑張れーっ!」
周りからいくつもの歓声が飛んでくる中、ひときわ大きな莉夢の声が耳に届いた。
さっきまでビリになれだのなんだの言ってたくせに。
「結飛ーっ! そのままーっ!」
……なんだよ。
ちゃんと応援してくれてるじゃないか。
ほんの少しだけ嬉しくなりながら、最後まで足を緩めずゴールラインを駆け抜けた。
結果は三位。
一位にはなれなかったけど、まあ悪くはないだろう。
息を整えてからクラスのテントへ戻ると、莉夢が笑顔で俺を迎えた。
「お疲れ、結飛!」
「お前さ、途中からめちゃくちゃ声でかくなってなかったか?」
「えー? 普通に応援してただけだけど?」
「最初はビリになれみたいなこと言ってただろ」
「ビリにならなかったんだからいいじゃん♪」
「そういう問題かよ」
呆れながら莉夢を見ていると、その後ろで何か黒いものが左右に揺れているのが目に入った。
「おまっ、莉夢! 尻尾出てるぞ!」
「――えっ!?」
莉夢が慌てて後ろを確認する。
そこでは黒い尻尾が、本人の焦りなどお構いなしにふりふりと揺れていた。
「うそっ!?」
莉夢は慌てて魔法で尻尾を隠す。
だが――少し遅かった。
「ねえ、今莉夢ちゃんの後ろに何か見えなかった?」
近くにいた女子の声に、俺と莉夢の身体が同時に固まった。
「え? 何が?」
「なんか黒いの。尻尾みたいな……」
「尻尾? そんなわけないでしょ」
「……だよね。見間違いかな?」
女子たちは不思議そうにしながらも、それ以上気にする様子はなかった。
俺はほっと息を吐く。
莉夢も胸を撫で下ろしていた。
「……絶対に出すなって、さっき言ったよな?」
周りに聞こえないよう、小声で莉夢に言う。
「し、仕方ないじゃない! 結飛のこと応援してたら、いつの間にか出ちゃってたんだから!」
「俺のせいかよ」
そう言い返しながらも、少しだけ胸の奥がむず痒くなる。
俺を応援するのに夢中になって、尻尾を隠す魔法まで解けていたらしい。
そう考えると、強く文句を言う気にもなれなかった。
「もう! 次はちゃんと気をつけるから!」
莉夢はそう言って胸を張る。
……こいつの「気をつける」ほど、信用できない言葉もない気がする。
◇ ◇ ◇
それからいくつかの競技が行われ、体育祭は順調に進んでいった。
『続いての競技は、借り物競走です。出場する選手はスタート地点に集合してください』
「じゃ、今度は私の番ね!」
放送を聞いた莉夢が、勢いよく立ち上がる。
「……莉夢」
「なによ?」
「さっきのこと、忘れてないよな?」
俺が念を押すと、莉夢は不満そうに頬を膨らませた。
「分かってるってば! 今度こそちゃんと気をつけるから!」
「本当だろうな……」
「もう、結飛は心配性なんだから」
そんな俺をよそに、莉夢は楽しそうにスタート地点へと向かっていった。
借り物競走は、途中に置かれた紙を一枚取り、そこに書かれたお題に合う物や人を探してゴールを目指す競技だ。
莉夢はどんなお題を引くんだろう。
変なものじゃなきゃいいけど。
やがて莉夢たちがスタートラインに並び、ピストルの音と同時に一斉に走り出した。
莉夢も他の生徒たちに混じって、普通に走っている。
……よし。
今のところは普通だ。
少しして、莉夢が紙の置かれた場所へたどり着いた。
その中から一枚を手に取り、開く。
すると――莉夢の動きが止まった。
どうしたんだ?
莉夢は手元の紙をじっと見つめている。
そんなに難しいお題でも引いたんだろうか。
やがて莉夢が顔を上げ、辺りを見回し始める。
そして――俺と目が合った。
「……ん?」
なんでこっち見てるんだ?
莉夢は俺を見つめたまま、にやりと笑った。
……なんだか、ものすごく嫌な予感がする。
次の瞬間、莉夢がこちらへ向かって走り出した。
「えっ?」
そのまま真っ直ぐ駆けてきた莉夢は、俺の目の前で足を止める。
「結飛、来て!」
「……は?」
「早く!」
「ちょっと待て。なんで俺なんだよ!」
「いいから!」
「うおっ!?」
莉夢は有無を言わさず俺の手を掴むと、そのまま走り出した。
まさか、こいつのお題って俺なのか?
「ほら結飛、もっと速く!」
「急に連れてこられたんだから無茶言うな!」
莉夢に手を引かれながら、俺もその後ろを必死に追いかける。
「莉夢! もうちょっとゆっくり――」
「あっ!」
莉夢が後ろを振り返ると、何かを手にした生徒が、俺たちのすぐ後ろまで迫っていた。
「結飛、抜かれちゃう!」
「別にいいだろ! もうお題はクリアしてるんだから!」
「よくない! 出るからには一位がいいもん!」
「いや、だからって――」
莉夢に手を引かれ、その背中を追っていた俺の目の前で、突然黒い翼が勢いよく広がった。
「おまっ、翼!」
「これなら速いでしょ!」
「そういう問題じゃねえ!」
莉夢が翼を大きく羽ばたかせる。
その瞬間、ぐんっと身体が前へ引っ張られた。
「うおおっ!? ちょっ、莉夢! 速すぎるって!」
「このままゴールするよ!」
「俺の話聞けーっ!」
莉夢に手を握られたまま、俺は引きずられるようにゴールラインを駆け抜けた。
「やった! 一位!」
「やった、じゃねえよ……!」
息を切らしながら莉夢を見る。
こいつ、さっき『今度こそちゃんと気をつける』と言ってなかったか?
「ねえ、今の見た?」
近くから聞こえてきた声に、俺の身体が固まる。
「莉夢さんの背中から、なんか黒いの出てなかった?」
「え? 翼みたいなやつ?」
「そう、それ!」
まずい。
思いっきり見られてるじゃねえか!
莉夢もようやくまずいことに気づいたのか、慌てて魔法で翼を隠した。
「でも、翼なんて生えるわけないでしょ」
「だよね。見間違いかな?」
周りの生徒たちは首を傾げながらも、それ以上追及することはなかった。
……助かった。
いや、本当に助かったのか?
今日だけで尻尾と翼の両方を見られてるんだけど。
「お前、本当に正体隠す気あるのか?」
「あるわよ!」
「どこがだよ!」
そんなことを言っていると、係の生徒が莉夢のところへやって来た。
「お題の紙、確認しますね」
「あ、はい」
莉夢が持っていた紙を差し出す。
係の生徒はそこに書かれている文字を確認すると、俺の方へ視線を向けた。
なぜかその口元が、ほんの少し緩んだように見える。
「……はい、オッケーです」
「……?」
今の視線……なんか意味があったのか?
係の生徒が離れていくのを見届けてから、俺は莉夢へ顔を向ける。
「なあ、莉夢」
「なに?」
「で、お題なんだったんだよ?」
「え?」
「俺を連れてきたんだから、俺に関係するお題なんだろ?」
そう言っても、莉夢は答えようとしない。
それどころか、どこか楽しそうな笑みを浮かべた。
「知りたい?」
「そりゃ気になるだろ」
「ふ~ん。そんなに気になるんだぁ?」
「なんだよ」
莉夢は何かを思いついたように笑うと、俺との距離を少し縮めた。
「じゃあさ――」
そのまま俺の顔を覗き込んでくる。
「結飛が私と契約してくれたら、教えてあげてもいいんだけどな~♪」
「するか!」
「即答!?」
「お題一つ知るために悪魔と契約できるか!」
「えー。でも気になるんでしょ?」
「それとこれとは話が別だ!」
「残念♪ じゃあ教えてあげなーい!」
莉夢はそう言って、楽しそうに笑った。
その後も体育祭は賑やかに進み、やがてすべての競技が終わった。
結局、あのお題に何が書かれていたのか、俺には分からないままだった。
……俺じゃなきゃダメだった理由も。
帰り支度をする俺の隣で、莉夢はまだどこか嬉しそうに笑っている。
その笑顔の意味まで、今の俺には分かりそうになかった。




