第13話「初めての夏祭り」
夏休みも後半に差しかかった。
あの日、『残りの夏休みも結飛を堕落させる』と宣言した莉夢は、その言葉通り、ことあるごとに俺を遊びへ誘ってきた。
公園へ行ったり、家でゲームをしたり。
時には何の用事もないのに、ふらっと家へ遊びに来ることもある。
そんな日々が、いつの間にか続いていた。
今日も買い物を済ませようと商店街を歩いていると――。
「結飛ー!」
聞き慣れた元気な声が響く。
……やっぱり今日もか。
人混みの向こうでは、莉夢がこちらへ向かって大きく手を振っていた。
「こんなところで会うなんて奇遇ね!」
「そういうお前は何してるんだ?」
「今日も結飛の家に遊びに行こうと思ってたところよ!」
「相変わらずだな」
思わず肩を落とす。
そんな俺を見て、莉夢は頬を膨らませた。
「いいじゃない。夏休みなんだから毎日遊んでも!」
「毎日はさすがに多いだろ」
「えー?」
そんな他愛のない話をしながら、二人で商店街を歩き始める。
「あら?」
不意に莉夢が立ち止まる。
視線の先には、商店街の掲示板に一枚の大きなポスターが貼られていた。
「花火大会?」
不思議そうに首を傾げる莉夢へ、俺もポスターへ目を向けた。
「ああ。近くで祭りがあるんだよ。」
「祭りって?」
「日本の夏は、こういう祭りがあちこちで開かれるんだ。屋台が並んだり、浴衣を着て歩いたり、花火が上がったりな」
俺の説明を聞くにつれ、莉夢の瞳がみるみる輝いていく。
「その反応からするに、行きたそうだな」
「もちろんよ! つまり誘惑がいっぱいってことでしょ!」
莉夢は嬉しそうに身を乗り出す。
……が、その発想はやはり小悪魔だった。
「……その発想になるのか」
「結飛を堕落させる絶好のチャンスじゃない!」
「祭りで散財したくらいじゃ、堕落はしないだろ」
「甘いわね、結飛」
にやりと口元を緩めた莉夢は、悪戯を思いついた子どものような笑みを浮かべる。
「この夏一番の堕落を味わわせてあげるんだから!」
「結局、その方向に持っていくのか……」
呆れたようにため息をつきながらも、俺の口元には自然と苦笑が浮かんでいた。
「……まぁ、せっかくだし、行ってみるか」
「よし、決まりね!」
満面の笑みを浮かべる莉夢を見て、俺は肩をすくめる。
こうして、俺たちは夏祭りへ行くことになった。
◇ ◇ ◇
夏祭り当日。
日が傾き始めた頃、俺は待ち合わせ場所へ向かっていた。
商店街へ近づくにつれ、浴衣姿の人たちが少しずつ増えていく。
子どもたちは走り回り、大人たちも笑顔で祭り会場へ足を運んでいる。
街全体が、いつもより少しだけ浮き立っているように感じる。
「結飛ー! こっちこっち!」
人混みの中でも、莉夢はすぐに見つかった。
……いや、見つかったというより、自然と目を奪われた。
待ち合わせ場所に立っていた莉夢は、深い紺色の浴衣を身にまとっていた。
白と薄紫の紫陽花が涼しげに咲き、桃色の帯が華やかな彩りを添えている。
そして何より目を引いたのは、いつもの銀紫色のツインテールではなかった。
長い髪は後ろで上品にまとめられ、うなじをのぞかせるアップスタイルになっている。
見慣れたはずの莉夢なのに、その姿はどこか新鮮で――思わず見惚れてしまった。
「……莉夢、なのか?」
「そうよ! 他に誰がいるのよ」
くすっと笑いながら、その場で一回くるりと回ってみせる。
「いや……別人に思えてさ」
思わず漏れた本音に、莉夢は嬉しそうに微笑む。
「せっかくのお祭りだもの。少しだけ気合いを入れてみたの」
「でも、その浴衣。結構高そうに見えるけど?」
「レンタルよ。ちゃんと魔界に申請して許可ももらったし」
「許可? そんなのいちいち必要なのか?」
「研修生だからね。好き勝手に人間界のお金を使わせてもらえるほど、魔界も甘くないのよ」
「へぇ……悪魔の世界も意外としっかりしてるんだな」
「当然よ。試験中なんだから、無駄遣いなんてしたら後で怒られちゃうもの」
そう言って肩をすくめる莉夢。
悪魔と聞けばもっと自由奔放な世界を想像していたが、案外そうでもないらしい。
「だから、その分は結飛に払ってもらおうかな~」
「結局そこか!」
思わずツッコむと、莉夢はいたずらっぽく笑った。
「え~。せっかく結飛のために頑張って浴衣選んだんだし~」
そう言って、袖をひらりと広げてみせる。
「ね、お願い♪」
上目遣いで小さく首を傾げる莉夢。
……ずるい。
そんな頼み方をされたら、断れるわけがない。
「……食べ過ぎるなよ?」
「やったー!」
莉夢はぱっと表情を輝かせると、嬉しそうに俺の腕を引いた。
「じゃあ早く行きましょ!」
「おい、引っ張るなって」
莉夢に腕を引かれながら、俺も祭り会場へ足を踏み入れる。
「……まぁ、今日くらいはいいか」
◇ ◇ ◇
祭り囃子が少しずつ近づいてくる。
通りには浴衣姿の人たちが行き交い、屋台から漂う香ばしい匂いが夏の風に乗って流れてきた。
「うーん……」
隣を歩いていた莉夢が、小さく肩を回した。
「どうした?」
「浴衣って思ったより動きにくいわね」
莉夢は袖を軽く持ち上げたり、帯の辺りへ手を当てたりしながら、小さく身体を動かしてみせる。
「翼もしまったままだし、尻尾も帯で押さえられちゃってるから、ちょっと窮屈なのよ」
そう言うと、莉夢は小さく息を吐き、頭へそっと手を添えた。
次の瞬間。
ぴょこん。
銀紫色の髪の間から、黒い角がひょっこりと顔を覗かせた。
「目立つんじゃないか?」
「大丈夫よ。お祭りなんて、みんな自分のことで精一杯だもの」
周りを見渡してみる。
浴衣姿の人たちは屋台や祭りの話に夢中で、莉夢へ視線を向ける者は誰一人いない。
「……確かに」
俺もそれ以上は気にせず、莉夢の隣を歩き出した。
祭り会場へ足を踏み入れた瞬間、莉夢はきょろきょろと辺りを見回した。
屋台がずらりと並び、香ばしい匂いが辺り一面へ漂っている。
「わぁ……! あれなに!?」
指差した先では、丸い生地をくるくると返しながら焼いている屋台があった。
「あれはたこ焼きだな」
「たこ焼き?」
「食ってみるか?」
「うん!」
屋台で一パック買うと、出来立てのたこ焼きから湯気が立ち上る。
ソースの香ばしい匂いに、莉夢は興味津々で身を乗り出した。
「熱いから気を付けろよ」
「わかってるわよ」
そう言いながら一つ口へ運び――
「~~っ!! あっつ!」
慌てて口元を押さえる莉夢を見て、思わず吹き出してしまう。
「だから言っただろ」
「ふーっ、ふーっ……!」
涙目になりながら必死に息を吹きかける莉夢。
ようやく落ち着くと、もう一度小さくかじる。
「……おいしい!」
莉夢は目を輝かせながら、幸せそうにたこ焼きを頬張る。
「外はふわっとしてるのに、中はとろとろ……!」
夢中になって食べるその姿は、初めて祭りへ来た子どものようで、思わず笑みがこぼれた。
「あっ! あれも食べたい!」
莉夢がぱっと別の屋台を指差す。
視線の先では、鉄板の上で香ばしい匂いを漂わせながら焼きそばが焼かれていた。
「今食べたばかりだろ」
「これは別腹よ!」
「デザートみたいに言うな」
結局、焼きそばも買ったが……問題はそこからだった。
屋台を見つけるたびに「あれも!」「これも!」と目を輝かせる莉夢に引っ張られる。
気が付けば俺の両手は屋台飯でいっぱいになっていた。
「……買い過ぎじゃないか?」
「お祭りなんだから、これくらい普通よ!」
「お前、人間界の祭り初めてだろ……」
「ねぇ結飛! 花火ってやつ、あっちで見られるのかな?」
俺のツッコミなんて聞こえていないのか、莉夢は人混みの向こうを指差す。
「お、おい! そんなに急ぐなって!」
返事を待たず、莉夢は人波を縫うようにどんどん先へ進んでいく。
祭り会場はさっきよりも人が増え、浴衣姿の人たちが行き交っていた。
このままじゃ見失う――そう思った、その時。
人混みの向こうで、ぴょこんと黒い角が見えた。
「……いた」
小さく安堵の息をつき、その姿を見失わないよう歩みを速める。
「結飛ー! 早く早く!」
少し先で振り返った莉夢が、嬉しそうに俺へ手を振った。
人混みをかき分け、ようやく莉夢の隣へ追いつく。
「はぁ……そんなに急ぐなよ」
「ねぇねぇ、花火ってどこで見られるの?」
「ここで大丈夫だ」
俺がそう答えると、莉夢は辺りをきょろきょろと見回した。
「……どこにもないわよ?」
「空を見てれば、そのうち始まるよ」
「空?」
莉夢は不思議そうに首を傾げ、夜空と俺の顔を交互に見比べる。
「本当にここで合ってるの?」
「大丈夫。そのうちわかる」
そして――
ドンッ。
腹の底まで響くような重低音が鳴り響いた。
「っ!?」
莉夢が驚いて空を見上げる。
次の瞬間、夜空に一輪の大きな花が咲いた。
「……わぁ」
莉夢が思わず小さな声を漏らす。
赤、青、金。
色鮮やかな光が次々と夜空へ広がり、夏の闇を美しく染め上げていく。
俺もその光景へ目を向ける。
何度見ても、夏の花火は綺麗だ。
けれど――。
ふと隣を見る。
莉夢は目を丸くしたまま、瞬きするのも忘れたように夜空を見つめていた。
打ち上がる花火の光が、その表情を次々と優しく照らしていく。
子どものように無邪気で、心の底から感動していることが、その横顔だけで伝わってきた。
夜空には次々と大輪の花が咲いていく。
「……綺麗」
「だろ?」
花火の光を見つめながら、莉夢はふっと笑った。
「でも、私だって負けてないでしょ?」
「花火と張り合うなよ」
「えへへ」
悪戯が成功した子どものように笑う莉夢。
その笑顔を見ていると、思わず笑ってしまう。
「今日は来てよかったわ」
ぽつりと漏らしたその一言には、さっきまでの軽い調子はなかった。
「そうだな」
夜空に次々と咲く花火は、夏の夜を鮮やかに彩っている。
……気付けば、莉夢と過ごす時間が、少しずつ当たり前になってきていた。




