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「ふう。緊張しました」
飛行艇に戻って、ほっと息をつきます。
「よくできてたよ」
「ああ。王の戯言を一蹴したのが特に良かった」
ハイリお兄様もおじい様も、笑顔で褒めてくださいます。
ですが私は二人の堂々たる姿を見て、またまだ精進が必要だと感じたものです。
「それにしても、黄金酒への食いつきはすごかったですね」
「そうだろ? あいつらは人が持っていない希少なモノが大好きだからな」
私が呟くと、おじい様が鼻を鳴らします。
「ですが、あれほど興味を示していたので、もっとあっさり支店設置の許可が下りるものだと思っていました」
「それはね、ローラ。私たちが王都に進出すると、困る者も多いからだよ」
お兄様の言葉に私は首を傾げます。
「わかりやすいところで言うと、既存の酒を扱っている商人」
「商人には後ろ盾の貴族がついているところも多いからね。私たちが王都で商売を始めれば、既存の商人の売上が落ちる。そうなれば、その利益を当てにしていた貴族たちも黙ってはいられない」
「なるほど」
「まあ、あの場でそこまで頭が回っていたのは、宰相を始め数人だけだったけれどね」
お兄様が肩をすくめます。
「そうだな。今頃宰相から説明を受けて、顔を青くしているやつも多いだろう」
おじい様は呆れたように片眉を上げます。
「それに宰相は、王都でカーハインドの影響力が増すことも嫌なのだろうけれどね」
お兄様のおっしゃる通り、それもあるでしょうね。
元々良くなかったカーハインドと王都の関係ですが、私の婚約話以降はさらに関係が希薄になりましたから。
「さあ、ここからは社交場での戦いだよ」
お兄様が笑みを一段深めました。
「私は高級酒場に顔を出そうかな」
「なら俺は紳士クラブだな」
「私は慈善事業に参加します」
私たちは顔を見合わせて頷きました。
◇
side:ハイリンヒ
王都で最も格式の高い酒場『金杯亭』には、夜になると当主や後継、王宮勤めの高官、有力商人が集うという。
重厚な彫刻が施された漆黒の扉を押し開ける。
カランーー
熟成された葡萄酒の芳醇な香りが鼻腔をくすぐる。
それと同時に、店内の客たちの視線が一斉にこちらへ向けられた。
私は穏やかな笑みを貼り付けたまま、素早く店内を見渡す。
革張りのソファでは、漆黒の外套を羽織った王宮の高官らしき男が、商人と帳簿を広げ、小声で話し込んでいる。
暖炉の近くでは、豪奢な刺繍をあしらった上着の若い貴族たちが、笑い声を抑えながら談笑していた。
奥の小部屋にも人の気配がある。
――うん、良さそうだ。
カウンターへ歩み寄る。
すると、カウンターの奥から現れた白髪を端正に整えた老バーテンダー――この店のマスターが、一瞬こちらを値踏みするように見つめたあと、丁寧に頭を下げた。
服の仕立てでも確かめたのだろう。
どうやら、お眼鏡にかなったようだ。
マスターが音もなく椅子を引く。
「おすすめを一杯いただけるかな?」
「かしこまりました」
マスターは静かに頭を下げると、カウンターへと戻って行った。
酒を待つ間も、店内から値踏みするような視線を感じ続ける。
「どうぞ。……王都は初めてでいらっしゃいますか?」
「ええ。今朝到着したところです」
「空飛ぶ船に乗って」
私がその言葉を口にした瞬間、店内の空気が変わった。
「やはりあの……」
「ああ。カーハインドだ」
静かなさわめきが広がっていく。
私は内心で頬を上げた。
ゆっくりと酒を味わい、空になったグラスを静かにカウンターへ戻すと、
「美味しかったです。私からもマスターに一杯」
そう言いつつ、トン、とカウンターに黄金酒のボトルを置いた。
「おい! もしかしてあれって……」
「宝石のように輝くボトル……噂通りだ」
店内にどよめきが走るなか、マスターの目もボトルに吸い寄せられていた。
私はボトルと揃いのグラスを取り出し、黄金酒を静かに注ぐ。
トクトクトク――。
えも言われぬ芳醇な香りが店内へと広がるにつれ、ざわめきは次第に消え、誰もが息を潜めた。
やがて、ごくりと誰かが喉を鳴らす音だけが静かな店内に響く。
私は一方のグラスを手に取り、もう一方をマスターの前へと滑らせた。
「どうぞ」
マスターは店内を一瞥して一瞬だけ手を止めたものの、やがて小さく息をつき、静かにグラスを手に取った。
どうやら客の視線よりも、黄金酒への興味が勝ったようだね。
「ありがとうございます」
マスターは静かに礼を述べると、ゆっくりとグラスを持ち上げた。
チィン――。
高く澄んだ音が店内に響く。
マスターはそっと黄金酒を口に含み、次の瞬間、目を大きく見開いた。
その表情を見て、ついに最初の一人が動いた。
「失礼。カーハインド卿とお見受けいたします」
振り返ると、若い貴族たちの中心にいた男が、上着の裾をふわりと揺らしながら歩み寄ってきていた。
「アルマン侯爵家のダニエルと申します」
アルマン侯爵家ーー院政家にも名を連ねる大物だ。
「初めまして。ハイリンヒ=カーハインドです」
私が手を差し出すと、ダニエル殿は笑みを浮かべてその手を握り返した。
「今、王都を揺るがす話題の方に会えるとは、私も運がいい。どうです? 私どもの席でご一緒しませんか?」
「ありがとうございます。一人酒は寂しいと思っていたところです」
私が微笑んで返すと、周囲で固唾を呑んで見守っていた若い貴族たちも、ほっとしたように表情を緩めた。
「マスター。この酒を彼らにも振る舞っていただけますか?」
私がボトルを揺らすと、若い貴族たちは互いに顔を見合わせた。
「ご用意いたします」
驚きと期待を隠しきれない表情で、マスターがグラスを並べる様子を見つめている。
「強いお酒ですので、少しずつ、口の中で転がすようにお飲みくださいね」
私の言葉に、若い貴族たちは恐る恐るグラスを口元へ運びーー次の瞬間。息を呑んだ。
「……これは」
「噂以上だ」
鼻から抜ける芳醇な香りを楽しんでいるのだろう。
目をつぶり、ため息を漏らす者もいる。
「お気に召していただけましたか?」
「ええ。これは素晴らしい」
周囲の者たちも満足そうに頷く。
「ありがとうございます。王都に支店を構えることができれば、皆様にももっと気軽にお届けできるでしょう。
その際は是非ご贔屓に」
「それは楽しみですね」
「実は、水で割っても香りが引き立つんです。よろしければ、もう一杯お試しになりますか?」
「ええ。是非」
酒を受け取りながら、一人の青年が口を開く。
「申し遅れました。レオン・バルクスです」
「フェリクス・エーレンと申します」
一人、また一人と名乗りを上げる。
私も笑みを浮かべ、一人ひとりと杯を交わした。
愛のない政略結婚だと思っていたのに、夫はそうではなかったようです ~辺境で描いた一枚の絵が王都を騒がせるまで~
完結しました!
ローラの父母の出会いのお話です。よろしければご覧ください。




