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side:紳士クラブに通う古参貴族
紳士クラブでは、一人の男の周りに領地経営に行き詰まりを感じている者や、新たな投資先を血眼で探している貴族たちが集まっていた。
空飛ぶ船で突如王都に現れた、カーハインド家の前領主。バルドだ。
奴の商才は昔から有名で、若い頃はよく王都にも顔を出し、多くの貴族と親交を深めていた。
最初は「辺境の者に何がわかる」と馬鹿にしていた者も多かったが、奴が商売で結果を出すたびに評価は一変し、やがてそんな言葉は誰の口からも聞かれなくなった。
それどころか、奴の助言で救われた者も少なくない。
ところが、領主になった頃からは滅多に王都へ姿を見せなくなり、一線を退いたあとは名を聞くことさえなくなった。
いつしか、「もう奴の時代は終わった」と囁く者も現れ、落ちぶれたものだと笑っていた。
だがそんな奴が空飛ぶ船に乗り、さらには幻と言われる酒を携えて王都に現れたのだ。
金の匂いに敏感な者ほど、その存在を無視できないでいた。
もちろん儂もそのうちの一人だ。
誰もが、奴の口から何が飛び出すのかを待っていた。
バルドは葉巻の煙をゆっくりと燻らせながら、隣の席の男が漏らした不景気な愚痴に、さも世間話の体で言葉を返した。
「――確かに、既存の南回り航路は関税も海賊の危険も増すばかりですからな。ですが……その航路を使わずに済むとなれば、どうでしょう」
その場の空気が、わずかに張り詰めた。
「もしそうなれば……東方の特産品は、これまでの半分の値で我が国に届く。関税の縛りもない。投じた金など、すぐに回収できましょう。さて、その先は十倍か百倍か……それは商売次第ですな」
バルドがグラスを傾ける頃には、いつの間にか周囲の会話は止んでいた。誰もが奴の一挙手一投足に鋭い視線を注いでいる。
「……航路を使わずに、どうするのというのですか?」
ある者が恐る恐る問いかける。
「空には航路などありませんからな」
バルドはニヤリと笑った。
その言葉に多くの者がはっとした。
「……空飛ぶ船、ですか」
奴は否定も肯定もしない。ただ静かにグラスを口元へ運ぶ。
「もし、定期的に飛ぶのなら……」
「いや、そんなものが実現するはずが……」
「しかし、実際に彼は乗ってきた」
囁きが次第に大きくなり、貴族たちは互いに顔を見合わせる。
「おや。皆様もお気づきでしたか」
バルドは周囲を見回し、肩をすくめた。
「空飛ぶ船――我々は飛行艇と呼んでおりますが、もしあれが定期的に荷を運ぶようになれば……」
奴は笑みを深くして言った。
「東方の品は最短で届く。季節物も鮮度を保ったまま並び、海賊に荷を奪われるリスクもない。商売は根本から変わるでしょうな」
ごくりと誰かが喉を鳴らす音が響いた。
「もしや飛行艇は、あれ一隻ではないと……?」
その言葉にバルドは眉を上げた。
「閣下は領地経営のために、馬車を一台しか持ちませんかな?」
「まさか。そんなわけがないでしょう。一頭の馬、一台の馬車を失っただけで滞るような生ぬるい計画を、私は商売とは呼びませんよ」
バルドは手元のグラスを軽く揺らし、怯えと驚きが混ざった相手の目を真っ向から見据えた。
「そんな脆い商売に、私が手を出すとでも?」
奴の言葉に誰も何も返せなかった。
だが、次の一言で空気は一変した。
「ですが、飛行艇を定期便として運航するには、荷を集める者、保管する者、売る者……多くの者の力が必要になりますなあ」
バルドは静かに周囲を見回す。
「領地が海に面していなくとも、大型船が寄港する港を持たなくとも、この事業には関われる余地があるのですよ」
語りかけるように続ける。
「これまで港を持つ領地だけが得てきた利益を、内陸の領地も手にできる時代が来るかもしれませんな」
そう言うと、それ以上は語らず、ゆっくりと酒を味わった。
ーーさすがの手腕だな。
「うちの領地でも参加できるということですか!?」
「具体的には、何をすれば……!?」
当然、その場は一斉にざわめいた。
バルドは不敵な笑みを崩さない。
ただ重厚な革椅子に深く腰掛け、我々の反応を見定めているようだった。
ざわめきがひと段落した頃、奴はゆっくりと口を開いた。
「焦る必要はありません」
「王都にカーハインドの支店を置くことが叶えば、そこが物流の要になるでしょう」
「そうなれば、王都近郊に領地をお持ちの皆様も……ね」
ーー
バルドが去ったあとも、場に満ちた熱気は一向に収まる気配がなかった。
「カーハインドの支店か……これは、王都の物流が根底からひっくり返るぞ!」
バルドが去った席を囲み、興奮した若手領主たちが声を弾ませる。
「落ち着け」
儂は声を上げた。
「カーハインドの支店設置について、宰相閣下は反対のお立場だぞ」
「宰相閣下が……? なぜです、国が潤う話ではないですか」
「国益だけの話ではない。誰が利益を得て、誰が利益を失うかという話だ」
「カーハインドが王都に巨大な拠点を構え、飛行艇で安価な物資を大量に流し込んでみろ。割を食うのは誰だ? ――これまで王都の市場を牛耳ってきた大商人たちだ。彼らの売上が落ちれば、そこから税収や献金を得ていた主流派の貴族どもが黙っておらん」
彼らは顔を青くした。
バルドの計画は魅力的だが、同時に王都の既得権益を敵に回す可能性に気付いたからだ。
「……だが、だからこそ、だ」
そのとき一人の伯爵が、ぎらついた目で声を上げた。
「宰相が渋っている今だからこそ、我々が動く価値があるのではないか?」
「主流派の鼻を明かし、カーハインドを王都に引き込む。そのための泥をかぶる覚悟を見せれば、バルド殿は決してその恩を忘れまい」
その意見も一理ある。
障害が大きければ大きいほど、成功した時の果実は甘い。投資の基本だ。
「仕掛けるならば、主流派が動き出す前だな……」
儂が呟くと、周囲も小さく頷く。
バルドが去ったあとの紳士クラブは、もはや単なる投資話の場ではなく、王都の勢力図を塗り替える算段を巡る密談の場へと変わっていた。
記念すべき100話目は、バルドの凄腕商人っぷりがわかるお話になりました!
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