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怪しげな商人見習いも無事帰国の途につき、カーハインド領では平和な日々が続いています。
川掘り機を使った川浚えも順調に進み、船での通行が容易になったことで、領内の流通も円滑になりました。
また情報局が王都から連れて来てくれた人材の活躍により、役所の業務にもゆとりが出たようです。
ちなみにそのときにカーハインド領に来られたオリビア様は、私の侍女をしながら、新しくできた学校に通われることになりました。
学校ならば様々な知識を学べますから、良い選択だと思います。
ただ一つ気になるのは、他領との取引量が増えたことです。
少し前から始まった他領との取引は、当初こちらから塩や干物、蒸留酒作りで出るもろみを肥料や飼料として輸出していました。
魔石が算出される領地からは魔石を、綿花の栽培が盛んな領地からは、庶民向けの安価な布を仕入れることもありますが、基本的に交易の主軸はこちらからの輸出で、その対価として外貨が流入していました。
ただ取引を重ねるたびに、他領から「もろみの取引量を増やして欲しい」と頼まれるようになったのです。
塩や干物はともかく、もろみがそんなに必要とは思えません。詳しく話を聞くと、もろみは肥料や飼料としてではなく、庶民の食料として流通していることがわかりました。
どうやら他領、特にカーハインド領に近い辺境の領地では、慢性的な食料不足に悩まされているようです。
交易路も乏しく、もちろん国からの支援もなく、飢えからの暴動が日常的に起こる領地すらあるといいます。
そのため、安価に販売しているもろみを大量に仕入れ、民の食料として流していたそうです。
カーハインドでは農地改革や作物の多角化を進め、食料自給率を上げましたが、きっと改革を推し進めていなければ、我が領も同じような状況に陥っていたのでしょうね……。
カーハインドは蒸留酒が主産業ですから、相応のもろみが出ます。
とはいえ領内での消費分もありますし、とてもではないですが、外部の需要を補えるほどの量は確保できません。
近隣の領地では、もろみすら口にできず飢えに倒れる者がいる……。
それを思うと、自領の豊かさだけを追い求め、見過ごしてよいものかという思いが拭えません。
少し考えたのち、私は小さく息を吐きました。
「……お父様に相談してみましょう」
◇
「ご相談したいことがあるのですが、少しお時間よろしいですか?」
執務室に顔を出すと、お父様とハイリお兄様がいらっしゃいました。
「ローラの気持ちはわかるよ。
もろみの量にも限りがあるからね」
わたしの話を聞いて、ハイリお兄様が柔らかな微笑みで頷いてくださいます。
「それでローラはどうしたいんだ? 助けるのか?」
「助けたい――と思います。
ただその方法が見つかりません」
お父様は眉を寄せていらっしゃいます。
やはり他領を助けることには反対でしょうか……
「他領には他領の領主がおり、その土地にはその土地の歴史と考え方がある。
軽々しく手を伸ばせば、"権威を傷つけられた"とかえって相手の反発を招くこともあるぞ」
権威主義のこの国でならばあり得る話です。
お父様はじっと私を見つめ、静かに言葉を落としました。
「お前の優しさは美点だ。だがその優しさが、別の誰かを飢えさせることもある」
私は言葉を失いました。
胸の奥に、重いものが沈んでいきます――
「父上、あまりローラをいじめるのはやめてください」
黙り込む私の頭に手を置きながら、お兄様が柔らかな声でお父様に言葉を返されました。
「ローラだってわかっていますよ。
だからこそ、こうして相談に来たのでしょう」
「お前はいつも美味しいところを持っていくな」
お父様はわずかに目を細め、苦笑にも似た声を漏らされました。
「それを言うなら、父上の采配の結果ですよ」
お兄様は小さく笑い、私の頭から手を離されました。
「――ならば、どうすれば救えるかを考えようか」
お父様の言葉に私は顔を上げます。
「私だって救える者は救いたいと思っているさ。
それにローラがそう簡単に諦めない子だということも、わかっているつもりだ」
お父様の言葉に胸が熱くなります。
「そうですね。ローラだけに任せていては、周辺の領地がいつの間にか、カーハインド領に併合されているかもしれませんよ」
茶目っ気たっぷりに笑うお兄様に、私は小さく息をつき、ようやく肩の力を抜きました。
「内政干渉と取られないためにも、商会を介した取引にしなければならない。
だからあまり大袈裟なことはできないが……」
「ヒエやアワなど雑穀の種を輸出できないでしょうか?」
私はお父様を、まっすぐ見上げて言いました。
「農地の改革ができなくても、雑穀ならば丈夫です。きっと荒れた土地でも育ってくれるはずです」
「……種か」
お父様は眉を寄せられます。
「……普通ならば種の輸出などあり得ない。
だがヒエやアワならば――」
「そういえば、ローラがカーハインドで最初に植えたのもヒエやアワだったね。
"みんなをお腹いっぱいにするの"なんて言いながら、荒れ果てて使われていない土地に種を蒔き出して。
育つわけがないと思ったのに、ちゃんと芽が出て穂が実ったから驚いたのを覚えているよ」
お兄様が懐かしそうに目を細めていらっしゃいます。
「お世辞にも美味しいとは言えない物だけど、食料が増えたことで民が落ち着いたから、ありがたかったよ」
「そうだな……。あのときは確かに助かった。
今やうちの領地では、ヒエやアワを食べる者はほとんどいなくなった――ならば、それを必要としている地へ回すべきだろう」
お父様は一度目を伏せ、静かに頷かれました。
「――っ!ありがとうございます。
早速手配します!」
「そうだね、急げば今年の作付けに間に合うだろう。
ハイド商会も協力するよ」
お兄様がパチンと片目を閉じると、優しく微笑まれました。
「ふむ……そろそろ備蓄庫の整理も必要だろう。
領内で備蓄しているヒエやアワのうち、古い物も各領へ流せ」
「――よろしいのですか?」
私は目を丸くしました。
「明日の糧をも知れぬ者に種を与えても、結局はその場の飢えに消えるだけだ。
ならば、一時的にでも供給を厚くするほかあるまい」
お父様は小さく息を吐き、わずかに目を細めたまま言葉を続けられました。
「ただし支援は今回限りだ。
それをどう生かすかは各領の判断。
任せる商会にも、その旨よく言い含めておけ」
「承知しました。
ならば、領主と繋がりのある大店に委ねるのが現実的ですね」
「価格を釣り上げる馬鹿者とは、今後の取引も見直す」
「ええ、いい試金石になりますね」
二人の言葉に私は内心で苦笑しました。
本当にこの人たちは物事を無駄にしない。
頼もしいことです。
「ありがとうございます。
必ず、意味のあるものにします!」




