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ローラ視点に戻ります。
「楽にしてください」
玉座の前までたどり着いた教皇聖下は、落ち着いた声色でおっしゃいました。
皆が顔を上げたのを確認すると、教皇聖下はゆったりと玉座へ向かって一礼してから口を開かれます。
「急な訪問、申し訳ありません。貴国で開かれた異端審問会の結果をご報告に参りました」
「聖下自ら、わざわざ報告を……?」
王は目を白黒させています。
その気持ちはよくわかります。
異端審問会の結果を伝えるだけであれば、使者を一人遣わせれば済む話です。それを教皇聖下自ら足を運ばれるなど、誰も予想していなかったでしょう。
「ええ。今回は私が来るべきだと判断いたしました」
王は、困惑を隠すことなく首を傾げます。
「ご存知かと思いますが、異端審問会とは、軽々しく開かれるものではありません。審問にかけられた者の人生を大きく左右するものですから、慎重に慎重を重ね、幾度にも事実確認を行い、そのうえで、導きや諭しでは改める見込みがなく、裁きをもってしか神の意思を示せぬ者に対してのみ、開かれるものです」
教皇聖下のお言葉に、誰かがごくりと喉を鳴らす音が聞こえました。
「それに対して今回の審問会はどうでしょう。最短の日程での開催。さらには事実確認どころか、偽りの証拠まで提示されました。教会として、到底看過できるものではありません」
教皇聖下は静かに謁見の間を見渡されます。
それだけで、空気がピンと張り詰めたのを感じました。
しかし王は、まだ理解が及ばないのか、ポカンと口を開けています。
「これは一人の大司教の過ちではありません。教会の名の下に行われた以上、教会全体の責任です。ゆえに、その責を負う者として、私自ら事実を確認するため、この地へ参りました」
「なるほど」
ようやく理解が追いついたのか、納得顔で大きく頷く王を、教皇聖下は静かに見つめて言葉を重ねられます。
「そして、このような不正は教会の者だけで成し得るものではありません」
「へっ?」
間抜け声をあげる王とは裏腹に、謁見の間の空気が、一瞬で凍りつきます。
「私は教会を預かる身として、二度と同じ過ちを繰り返さぬためにも、今回の顛末を余すことなく明らかにする務めがあります。――王宮にも、この不正に関わった者がおりますね?」
「おっ……お待ちください! 聖下!」
顔色を悪くした宰相が、上擦った声を上げます。
「恐れながら申し上げます。交易台帳が書き換えられていたというのは、カーハインド家が主張しているだけであり、なんら証拠はありません!」
教皇聖下はじっと宰相を見つめると、小さく首を振られました。
「いいえ。交易台帳の書き換えがなされていることを指摘したのは、カーハインド家ではありません」
「えっ……」
「ーー私です」
「なっ……」
「私自ら、カーハインド家が禁忌薬物を買い付けたとされる取引について調査いたしました」
「……」
宰相は顔を真っ青にして視線を下げます。
「その結果、当該国であるサイブル帝国より、『そのような取引は存在しない』との回答を、皇帝陛下直々に頂いております」
「てっ……帝国!?」
辺りをきょろきょろと見回していた王が、弾かれたように玉座から立ち上がります。
「ええ。カーハインド家が禁忌薬物を買い付けたとされる場所は、どこも帝国の管轄地でしたから」
「そんなっ! 皇帝陛下はお怒りだったのでは……?」
皆が言葉もなく立ち尽くす中で、王は周りの空気などお構いなしに騒ぎ始めます。
「帝国からすれば、自国が禁忌薬物を輸出していると言われたも同然。さらに陛下は、不正を決して看過なさらぬ御方です。お怒りがなかったと言えば、嘘になりますね」
教皇聖下のお言葉に、王はますます狼狽しました。
「そんな……! どっ……どうすれば……」
傾いた冠を慌てて手で押さえながら、王は壇上を右へ左へと右往左往し始めます。挙げ句に引きずった豪華なマントに自分で足を引っかけて派手に転びそうになりながら、慌てて側に立つ宰相の服の袖にしがみつくと、それを誤魔化すように詰め寄りました。
「宰相! どうにかするのだ! 不正に関わった者を調べ上げて、すぐさま処刑しろ!」
「処刑!?」
どこかから悲壮な叫び声が上がります。
「当然であろう! 帝国が責任を追及してきた際に、きちんと処罰したと言わねばならぬのだ!」
王は階下の貴族たちに向き直ると、赤くなった顔で唾を飛ばして怒鳴り散らしました。
「しかし処刑というのはいくらなんでも飛躍しすぎです!」
宰相が慌てて両手をかざしながら前へ躍り出ました。汗の浮かんだ額を拭う余裕もなく、必死の形相で王の顔を覗き込みます。
「そんなことはない! 関係者は全員処刑! 王都の広場で公開処刑だ!」
「そんなこと勝手に決められては困ります!」
「我は王ぞ! 決める権利がある!」
「いいえ! 陛下にそんな権限はありません!」
「なんだと!?」
「お二人とも、落ち着いてください。帝国への説明のためにも、まずは真実を確認せねばなりません」
壇上で言い争う二人を見かねて、教皇聖下が静かに制されました。
(恥ずかしい……)
王と宰相が、教皇聖下の御前で声を荒らげるなど、国の威信を損なう以外の何ものでもありません。
止めに入った教皇聖下のお言葉に、宰相はわずかに表情を緩めたように見えました。
その直後――
「ただし、今回の件において教会が行うのは、事実の確認と報告までです」
教皇聖下は淡々と続けられます。
「その後、国内でどのような裁きを下すかは、貴国の法と判断に委ねられます。教会が関与することはありません」
先ほどまで安堵していたように見えた宰相の顔から、すっと血の気が引きました。
なるほど。教会の名で、処刑も撤回してもらえると思っていたのですね。
「しょ……承知しました。早急に事実を確認いたします」
宰相が頭を下げて、謁見の間から出ようと踵を返します。
しかしーー
「お待ちください」
教皇聖下の穏やかな声に制され、宰相の足が止まりました。
「調査には教会の者も立ち合います」
「……」
「正しい事実確認のためです。ご協力くださいますね?」
顔をこわばらせる宰相に、教皇聖下は静かな笑みを向けておっしゃいました。
「ですから閣下には、教会の調査員が到着するまで、もうしばらくこの場に留まっていただきたいのです」
宰相はどうにかしてこの場から逃げ出したかったのでしょう。しかし上手い言い訳も思いつかなかったのか、渋々と言った様子で頭を下げます。
「……しょ……承知いたしました」
そして重い足を引きずるように、王の側に戻ったのでした。




