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「ありがとうございました」
断罪の間を出たあと、教皇聖下に家族揃って頭を下げます。
「いいえ。むしろ、教会を預かる者としてこのような不正を許してしまったことを、心よりお詫び申し上げます」
教皇聖下は静かに頭を垂れられました。
その瞳には、教会を預かるトップとしての深い矜持と、不正を許した自省の色が宿って見えます。
教皇聖下はやがてゆっくりと瞼を閉じ、一つ静かに息を吐かれると、再び開いたその瞳からは、先ほどまでの厳しさが和らぎ穏やかな光が戻っていました。
「……さて。ポーションの件ですが、私は他国で新たなポーションが生み出されたことを、大変喜ばしく思っています」
「……!」
まさか教皇聖下からそのようなお言葉をいただけるとは、思ってもいませんでした。
驚く私たちに教皇聖下は優しく目を細めると、言葉を重ねられます。
「従来のポーションは、聖職者たちが祈りを捧げ、総出で調合したとしても、生産できる量には限りがありました。ひとりでも多くの病苦に苦しむ者を救おうと、夜を徹して薬瓶に向かっても、供給は追いつかない。救えるはずの命を救えない。その現実に、私たちは常に胸を痛めておりました」
ーーこの方は、教会の権威よりも、人々の命を優先しておられるのですね。
「新たなポーションが生み出されたことで、救われる命はこれまでよりはるかに増えるでしょう。聖職者たちの負担も軽くなります」
教皇聖下は静かに胸に手を当て、一つ息をつかれると、
「なにより、人々を救う知恵は神が世界に授けられた恵みの一つ。教会だけが独占すべきものではありません」
小さく頷きながら、力強い眼差しでそう言い切られました。
そして、ふいに頬を緩められます。
「……もっとも、感謝しているのはポーションだけではありませんがね」
そう言って私たちへ一歩近づくと、
「カーハインドの汚れ落としの魔道具には、私も大いに助けられておりますよ」
まるで内緒話をするように、片手を口元に添えておっしゃいました。
私たちは目を丸くします。
「なにせ聖職者の法衣は純白ですからね。汚れがつくと、まあ目立つこと」
教皇聖下はそうおっしゃると、くすくすと穏やかに笑われました。
先ほどまで私たちを包んでいた張り詰めた空気が、その笑顔とともにふっと和らいだのでした。
ーー
「教皇聖下が来てくださって、本当に助かった」
飛行艇に戻ると、お父様が大きく息をつきソファにどかりと座りました。
「ええ、本当に。ただーーまさか聖下直々にお越しくださるとは思いませんでしたが」
ハイリお兄様が肩を竦めます。
教会の総本山には、帝国やポーネと連携して書簡を送り、ときには直接赴いて、今回の異端審問会が不当であることを訴えてきました。
総本山側は私たちの言い分を理解した上で、「こちらでも調査いたします」と確約してくださいましたが、今日の異端審問会に間に合うかどうかは賭けでした。
それがまさか、私たちも掴めていなかった交易台帳の不正、そしてその反証まで用意して、教皇聖下自らが来てくださるとは。
聖王国側に動きを掴まれないようにするのは骨が折れましたが、その価値は大いにありましたね。
「聖下の情報網には驚いたな」
おじい様が顎を撫でながら、感心したように頷かれます。
「そうですね。ケルファ国の教会内部にまで、独自の情報網を張り巡らせておられたのですね」
私も大きく頷きました。
「魔道具、使ってくれてて良かったねー」
アルフお兄様は、自身の発明品が誉められたのが嬉しかったのでしょう。顔をほころばせています。
私たちの間に、激しい戦いを終えた後のような、充足感と安堵の空気が流れました。
――けれど、その和やかな時間を断ち切るように、マルクお兄様が背もたれに深々と体を預ける、ギシッという重い音が響きます。
ふと見ると、お兄様は腕を組み、険しい顔で考え込んでいました。
「教会の方は片がついた。だが、あんな卑怯な手を打ってきた連中を、このまま許すわけにはいかねえ」
マルクお兄様の低い声に、その場の空気がぴりりと引き締まります。
「ああ。当初の予定どおり、王宮へ向かう」
お父様も深く頷かれました。
ーー教会という最大の障害は取り除かれました。ならば、残るは王宮だけです。
◇
side:宰相
今日は、カーハインドの異端審問会の日だ。
朝から王宮には院政家に名を連ねる貴族たちが集まり、カーハインドが異端認定されるその瞬間を、今か今かと待ち構えていた。
あやつらは結局、今日まで我らに販路を譲ることを頑なに拒み続けた。
そればかりか、王命にすら従わなかった。
異端認定された暁には、その件も含め、相応の責任を負わせねばならん。
(そろそろ教会から報せが届く頃か)
ーーだが、待てど暮らせど教会からの報せは届かない。
(……何をしている)
教会の手際の悪さに苛立っていると、
「使者の到着がずいぶん遅れていますね」
ダグラス家の息子……いや、先日ようやく先代から爵位を引き継いでダグラス家の当主となったアンドレが、目を細めて話しかけてきた。
最後まで、カーハインドに王命を出すことを反対していた者の一人だ。
『カーハインド支店のおかげで、王都が賑わった』
『臣下の財産を、正当な理由もなく召し上げるなど許されない』
そんな正論ばかり並べて、議論の邪魔をしてきおった。
挙句には、
『もしもカーハインドが異端認定されなければ、いかがなさるのです』
と私に詰め寄ってきた。
だが異端審問会が開かれる以上、異端認定されぬことなどあり得ない。さらにはあの交易台帳まで準備してやったのだ。万に一つも失敗などあり得ぬ。
アンドレは不満そうだったが、結局は、数の力で黙らせてやった。
それが今、教会からの報せが少し遅れただけで、また何か言いたげな目をしておる。
「教会の手際が悪いだけであろう」
私が鼻を鳴らした――そのとき、伝令が駆け込んできた。
(ほらみろ)
「申し上げます! カーハインド家一行が、まもなく王宮に到着いたします!」
(……何?)
伝令が告げたのは、教会からの報せではなかった。
「なぜカーハインドが?」
「異端審問会はどうなったのだ!?」
にわかに謁見の間が騒がしくなった。
だが、
「異端認定されたのだ。観念して王命に従う気になったのではないか?」
誰かのその一言で、
「なるほど」
「遂に観念したか!」
「呼び出される前に自ら来るとは、貴族としての矜持は残っていたようだな」
「ははは! 本当ですな」
謁見の間には期待に満ちた笑みが広がった。
(そういうことだろうな。異端認定された以上、販路を差し出すほかあるまい)
横目でアンドレを見ると、奴は表情を消していた。
(ふん。若造が)
私がニヤリと笑んで見せると、アンドレは踵を返して静かに後方に下がっていった。
(これで今後はおとなしくなるだろう)
誰もがカーハインドの屈服を疑っていなかった。
――だが、私たちの期待は、次の瞬間、全く別の意味で裏切られることになる。




