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私が恐怖で目を閉じようとした、その瞬間――
バァン!
激しい音を立てて、断罪の間の重々しい扉が左右へと跳ね開きました。
審問官たちが驚愕して振り返る中、左右に近衛聖騎士を従え、清澄な鈴の音とともにゆっくりと姿を現したのは――
刺繍の一つひとつにまで白銀の光が織り込まれたかのような純白の法衣を纏う老人。
教会の最高権力者、教皇聖下でした。
「そこまでにしなさい」
その声は決して大きくはありません。しかし、低く、全方位に染み渡るような絶対的な威厳を含んだその声に、木槌を振り下ろそうとしていた大司教も、身構えていた聖騎士たちも、まるで時を止められたかのように硬直します。
そして次の瞬間、審問官たちが一斉に血の気を引かせ、慌てて席を立って床に跪きました。
「せ、聖下……!? なぜこのような辺境の地の審問所に……っ」
教皇聖下は、近衛聖騎士とお付きの聖職者たちを従え、ゆっくりと階段を下りて行きます。教皇聖下が杖を一歩進めるたび、小さな銀鈴から澄んだ音が響きました。
教皇聖下は審問官たちの前で足を止めると、その穏やかな、けれど全てを見透かすような瞳で、審問官たちを静かに射抜きました。
部屋の空気がさらに一段、ぴりりと張り詰めます。
「随分と性急な『断罪』が行われているようですね」
「そ、それは……」
大司教は冷や汗を流しながら必死に弁明を繰り出そうとしましたが、教皇聖下はただ静かに手を挙げてそれを遮ります。
そして、お付きの司祭が捧げ持っていた数通の書状を、ひらりと審問官たちの机へと放り投げます。そこには、サイブル帝国やポーネ王国をはじめとする、様々な国の国章が刻印されていました。
「これが何かわかりますか? これは各国から届けられた、今回の異端審問会に異議を申し立てる書状です」
その言葉に審問官たちは息を呑みます。
しかし大司教は、顔を青くしながらも言い募りました。
「し、しかし聖下! これは我が聖王国の利益を守るためーーいや、不穏の芽を摘むための聖王陛下のご意志でもあるのです! 教会のあずかり知らぬ技術で新薬などと、明らかな異端の技!」
「聖王の、かね?」
教皇は小さく首を傾げます。
「はい! 聖王陛下は他国産ポーションを大変憂慮されており……」
聖王の名を出せば、教皇聖下といえど無下にはできない――そう踏んだのでしょう。大司教はここぞとばかりにまくし立てます。
しかしーー
「大司教はいつから聖王国の所属になったのですか?」
教皇聖下のお答えは、大司教の狙いを大きく外れたものでした。
「そ、それは……! しかし、総本山は我が聖王国にございますれば、陛下の不利益になるような真似は――」
「勘違いするな」
教皇聖下の声が、一瞬で断罪の間の空気を凍りつかせました。慈愛の微笑みは消え去り、そこにあるのは神の代弁者としての圧倒的な冷徹さです。
「確かに教会の総本山は聖王国の版図にある。だが、我が教会は神の御名のもとに独立した存在だ。一国の王の都合や独占欲のために、教会が神意をねじ曲げることは許されぬ」
大司教は、金魚のように口をぱくぱくさせるばかりで、言葉が出てきません。
(……良かった。教皇聖下がいらしてくださったおかげで、異端に認定される事態は避けられそうですね)
私が胸を撫で下ろしかけた、そのとき――
「しょっ……証拠がございます! こちらの交易台帳をご覧ください! ここにカーハインド家が教会の禁じる異端の禁忌薬物を、大量に買い付けていた記録が残されています!」
大司教はまるで最後の命綱を掴むように、震える指で交易台帳を指し示しました。
(まずいですね……)
国家の公式記録というだけで、十分な証拠に見えてしまいます。もし教皇聖下まで信じてしまわれたら……。
「……なるほど。王宮が保管する公式台帳に、カーハインド家が禁忌の薬物を密輸した記録が残っている、と」
「はい! ですから私もこの異端審問会を開催した次第でして……」
大司教の口元に、わずかな笑みが戻りました。国家の公式記録さえ見せれば、教皇聖下も覆せない――そう確信したのでしょう。
しかし。
教皇聖下は交易台帳を冷ややかな目で見つめると、ふっと哀れむような笑みを浮かべたのです。
「大司教。君たちはカーハインド家を貶めようと焦るあまり、ずいぶんと間抜けな記録をでっち上げたようですね」
「ま、間抜け……!? 何を仰いますか聖下、これはケルファ国の税関が記録した公式な――」
「では聞くが」
教皇聖下は手元の書状の一通を指先で叩きました。
「この台帳に記された密輸ルート……カーハインド家が禁忌薬物を買い付けたとされる『東方の交易都市』および『南部国境の関所』は、現在どこが管轄しているか知っているかね? ――他でもない、我が総本山へ抗議書状を送ってきたサイブル帝国の直轄地だ」
審問官たちの顔から、みるみる血の気が引いていきます。
「帝国は、我が総本山へ宛てた書状の中でこう明言しています。『我が国の厳重な検問において、カーハインド家による不審な物資の移動は、過去数年間一度たりとも確認されていない。ケルファ王宮が提示した記録は虚偽である』――とね。……さて。この交易台帳と、帝国の公式回答。偽りを述べているのは、いったいどちらでしょうか?」
大司教は真っ青な顔で、がたがたと震え始めました。
教皇聖下は返答を待つことなく、静かに言葉を重ねます。
「この台帳が真実だというのなら、帝国は国家ぐるみで虚偽の回答を寄越したことになる。……君は、そう主張するのだね?」
「い、いえ……そんな……なぜ……」
「なぜ? ああ、密談の内容が漏れていたのが不思議かね?」
教皇聖下は、かすかに口元を緩められました。
「君たちの周囲にも、正しき信仰を曲げぬ者がいたーーそれだけのことだ」
その言葉に大司教は力を失ったように、へなへなと座り込んだのでした。




