第90話王宮での騒動
翌朝、どこかぎこちないアンドリューに見送られ、アシュリンとリチャードはシャーロットの森をあとにした。
昨夜のイノブタの丸焼きを殆ど一人で平らげることになり、完食したアシュリンはご機嫌だった。
「美味しかったですね、リチャード様! エカテリーナさんがいらっしゃらなかったのは残念でしたけれど、まさか丸焼きを丸ごといただけるなんて。リチャードやアンドリューさんももっと召し上がればよかったのに」
隣で満面の笑みを浮かべるアシュリンを横目に、リチャードは始終考え込んでいるようで、顔をしかめていた。
「アシュリン。疲れているところ悪いのだが、屋敷に戻らずに、王宮に向かう」
「え……私は構いませんけれど」
「ありがとう。そうさせてくれ」
リチャードは嫌な胸騒ぎがしていた。
その胸騒ぎがただの思い過ごしなら、それでよいのだ。
離れにいるルイの元に挨拶に行けばよいだけのことだ。
だが、王宮の正門に到着した途端、リチャードの胸騒ぎは最悪の形で確信へと変わった。
正門の前には重装の兵士たちがズラリと立ち並び、緊迫した空気が漂っている。門前には数台の馬車が立ち往生しており、王宮への立ち入りを断られた貴族たちが怒号を上げていた。
「何故入れんのだ! 私は本日、大臣と約束があるのだぞ!」
「急な立ち入り禁止とはどういうことだ! 理由を説明しろ!」
詰め寄る貴族たちに対し、門衛の隊長は硬い表情のまま、機械的に首を振るばかりだった。
「本日は王宮全域において、すべての貴族様の立ち入りを制限させていただいております。詳しい理由は追ってお知らせいたしますので、本日はお引き取りを」
(……間違いない。王宮内で『何か』が起きている)
正面からは無理だと悟ったリチャードは、裏手に回るように御者に指示を出した。
馬車を外壁に沿って走らせ、本宮の喧騒から遠く離れた裏門へと向かう。
案の定、裏門にも兵士たちが配置されていたが、正門前のような大混乱はなく、警備の密度もどこか緩やかだった。
馬車が近づくと、兵士が手で制しながら歩み寄ってくる。
「止まりなさい。本日は上からの指示により、これより先への立ち入りは――」
リチャードは馬車の窓から顔を覗かせ、低く重みのある声で兵士の言葉を遮った。
「ルイ王子殿下へ、事前の約束通りご挨拶に伺ったまでだ。本宮へ足を踏み入れるつもりはない。……これを通せぬと言うのか?」
兵士は一瞬困惑したように顔を見合わせ、相手が名門貴族のリチャード公爵であることを確認すると、気圧されたように深く頭を下げた。
「……失礼いたしました、ブラックウッド公爵閣下。離れへの往復のみということであれば、お通りください」
「ああ、感謝する」
リチャードが短く応えると、重い鉄扉が静かに開かれた。
警備の目をすり抜け、馬車は広大な庭園の隅――「忘れられた影王子」の佇む、静まり返った離れへと滑り込んでいった。
本殿の喧騒から遠く離れた離れは、陽光が差し込みつつも、どこか静寂に包まれていた。
老侍従に案内されて通された部屋には、窓辺近くに大きな寝台が置かれていた。その寝台の縁に腰を預けるようにして、一人の少年が座っている。
線が細く、肌は病的に白いが、その瞳には聡明な光が宿っている。彼こそが、国王と正妃の間に生まれた第二王子――ルイであった。
「ルイ、久しぶりだな」
リチャードがそう挨拶すると、ルイはうっすらとした笑みを浮かべた。
「そちらの女性は、アシュリン・ルーカス伯爵令嬢?」
「そうだ」
「そう。僕はルイ・ウィリアム・グリムロックです」
アシュリンはドレスの端をつまんで綺麗にお辞儀をした。
「アシュリン・ルーカスです」
「突然、尋ねて悪いな…土産もないし。父上にも挨拶に行こうと思ってたんだか、なにか王宮への立ち入りが止められているようで」
王宮で何があったのか、それを探るためにルイをダシにして来たとは、さすがに面と向かって言い出しにくかった。
「あぁ、兄上の耳には入ってないんだね。……まぁ、だったら耳に入れないほうがよいのか」
ルイは少し目を細め、静かにため息をついた。
そして決意して告げた。
「どうせ否が応でも耳に入るだろうから……。父上が昨晩、執務室で倒れた。それで今、大騒ぎになっている」
息をのむリチャードの脳裏に、昨夜のシャーロットの森での出来事が一瞬で駆け巡った。




