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第89話 イノブタラの丸焼きと暗雲

イノブタを丸焼きにすることになり、夕食会は邸宅の庭での野外スタイルとなった。

夜の森の空気が心地よい中、パチパチと薪がはぜる音が響く。串刺しにされた豪快なイノブタがこんがりと黄金色に焼き上がっていくのを囲みながら、四人は談笑していた。


ふと思い出したように、リチャードがエカテリーナに向かって問いかける。

「ところでリィーナ。今更なんだが……あのブラックウッドの森の湖で『誓いを交わすと、それが永遠になる』とかいう伝承だが、私はそんな話を聞いたことがないんだが?」

二人の婚約のきっかけとなった、あの湖での一幕である。


エカテリーナは肉の焼き加減を確かめながら、あっけらかんと言い放った。

「ああ、あれか。あれは私がその場で適当についた口から出まかせだ」

それを聞いたアシュリンが、まるでこの世の終わりでも迎えたかのように、心底驚いた顔で叫んだ。

「えぇ〜〜〜〜〜!!? 私……私、あの湖で『イノブタを永遠に愛する』と誓ってしまいましたわ!!」

もちろんアシュリンは、イノブタへの誓いだけでなく、その後にちゃんとリチャードへの誓いも立てている。


エカテリーナは面白そうにニヤリと笑った。

「そうなのか? イノブタへの愛の誓いとはアシュリン嬢らしくて実に良いが……ん? 兄上への誓いは無しか?」

そうからかわれて、アシュリンは顔を真っ赤にしてうつむき、何やらモゴモゴと小さな声で呟いていた。

隣で見ていられなくなったリチャードが、助け船を出すように軽く咳払いをする。

「……とにかくだ。その、適当なでまかせだったのかもしれないが……お陰でこうして婚約する運びになった。それについては、礼を言う」

「はなから素直に礼を言えば良いものを。相変わらず可愛くない兄上だ」

口にしたらまた何かエカテリーナに突っ込まれそうなので、リチャードは(どっちがだ……)と心の中で呟くに留めておいた。


「それはそうと……兄上。ルイの所へは行かないのか? 催促するようで悪いが……ルイも兄上のことを心配していた。スピルバーグ伯爵令嬢と婚約させられそうになっていたからな」

ルイというのは国王と正妃の間の子供である。エカテリーナの弟だ。

身体が不自由なために王宮の離れに暮らしている。口の悪い貴族からルイ王子とは呼ばれず「忘れられた影王子」と陰口を叩かれている。

「ルイにも挨拶には行く」

「そうしてくれ」


パチパチと薪がはぜる音と共に、豪快に串刺しにされたイノブタから脂がぽたりと落ち、香ばしい匂いがあたり一面に充満していく。その香りを全身で浴びながら、アシュリンはうっとりとした表情で鼻を鳴らしていた。


「表面を切り落としながら食べることにしよう」

エカテリーナがそう言って、熟練の手つきで自らナイフを入れようとした、まさにその時だった。

シャーロットの森の邸宅を管理する男が、慌ただしい足取りでエカテリーナの元へとやってきた。

男はエカテリーナの耳元で、何やら静かに言葉を囁く。

それまで余裕を崩さなかったエカテリーナの顔色が、すっと変わった。

「……兄上。少し席を外す。悪いが、イノブタにナイフを入れる役目は任せた」

「リィーナ? 何かあったのか?」

リチャードの問いかけには直接答えず、エカテリーナは急ぎ足で管理人と共に邸宅の中へと消えていったのだった。


その後を、アンドリューが心配そうに追っていった。

邸宅の中へ入ると、そこには王宮からの早馬に乗ってきた使者が息を切らせて立っていた。

「父上が執務室で倒れたと聞いた! それで、容態は!?」

「容態までは分かりかねます。至急、王女様にお戻りいただくようにと、王妃様からのお達しでございます」

「そうか……分かった。それならば致し方ない」

エカテリーナは短く答えると、振り返ってアンドリューに向かって言った。

「ヒューイット大佐。そういうわけだから、私はすぐに王宮へ戻る。貴殿はこのままここに滞在し、狩り場の下見を続けるが良い」

「いや……それでは……っ! エカテリーナ様がお戻りになるなら、俺も……。それに、リチャードにも話をしなければ。あいつにとっても父親ですし……」

アンドリューが必死に食い下がると、エカテリーナはきっぱりと制した。

「兄上には、今はその話をするな」

「いや、しかし……!」

「そのうちに嫌でも耳に入るだろうが……せっかくの目出度い席に、暗い話を持ち込む必要はない。だからヒューイット大佐、あとは頼む。兄上とアシュリン嬢をもてなしてやってくれ。……これは私の頼みだ」

まっすぐな瞳でそう言われてしまったら、アンドリューには「否」と答えることなど出来なかった。


エカテリーナが王宮へ急ぎ戻る中、一人残されたアンドリューは、邸宅の庭へと戻った。

エカテリーナが戻って来ないことを不審に思ったリチャードが、首をかしげて尋ねる。

「リィーナは? さっきの慌てぶりは、何かあったのか?」

「ああ……エカテリーナ様は、あの二人がちょっと王宮でケンカになったと言うことで、仲裁に戻られた。全く人騒がせだよな」

アンドリューは何事もなかったかのように、そう笑って誤魔化したのだった。

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