第88話 不器用なのはお前だけではない(後編)
エカテリーナの「兄上が来てるのか?」という声と共に、扉が開いた。
エカテリーナの左横に、アンドリューが居た。
(あの声はやはりそうだ)
とリチャードは思った。
なぜこんな場所にいるのかと問いただす前に、リチャードと目が合ったアンドリューが、気まずそうに声を引きつらせた。
アンドリューはリチャードがここに来る事を全く知らなかったのだ。
「えっと……なんでリチャードがここに?」
「私はアシュリンと婚約したので、リィーナにその挨拶をしに来た」
「そ……そうか……。あ、あのな、これは違うぞ! 変な誤解をするなよ!」
突然手ぶんぶんと振って言い訳を始めるアンドリューに、リチャードは眉をひそめる。
「誤解? 誤解とはなんだ」
「いやだから……別に二人きりというわけじゃないんだ! あの二人が居ないだけで……っ」
「あの二人?」
聞かれもしないのに必死に弁明をするアンドリュー。
「アレンとテオはここに居ない。あいつらは狩りに興味もないから、置いて来た。アンドリューは秋の狩猟大会の下見でここにいる。それだけだ」
と、エカテリーナが代わりに答えた。
一部の隙もない正論である。
「そう! それです!」
(いや……何が『そう! それです』だ、アンドリュー。なんでそんなに必死なんだ……?)
自分でも必死になっているという事にアンドリューは気づいてないようだ。
リチャードは、必死すぎる乳兄弟の様子に心の中で呆れ返っていたが、長年の付き合いだ。
彼には、アンドリューのこの尋常ではない慌てぶりの意味が、なんとなく理解出来てしまった。
前にもこんな様子のアンドリューを見た事があるのだ。聞かれもしないのに、必死になって自分から喋ってボロを出す。子供の時から一向に変わらない。
(アンドリュー、お前……。よりによって、なんでだ。リィーナには事実婚の夫が二人もいるんだぞ……?)
妹の破天荒すぎる婚姻状況を知っているだけに、まさか自分の乳兄弟がそこに足を踏み入れかけている疑惑が浮上し、リチャードは頭が痛くなってきた。
だが、そんなリチャードの苦労やアンドリューの動揺など露知らず、エカテリーナはアシュリンへ視線を向けた。
「アシュリン嬢、イノブタを仕留めたので、今日の夕食にお出し出来ると思うが」
とエカテリーナが言った途端に、アシュリンはすぐに話に食いついた。
「エカテリーナ様なら、きっとイノブタを狩ってくださると信じていましたわ!」
爛々と目を輝かせているアシュリンの迫力に、流石のエカテリーナも少し引いた様子で後ずさりした。
「そ、そうか……。ここは狩猟でしか使わない邸宅なので、普段はここを管理する者しか居ないのだ。多分、それほど凝った料理にはならないと思うが……」
「イノブタなら何でもオッケーです!」
アシュリンは基本イノブタラを愛している。だが数ある料理法でもブラックウッド公爵の邸宅で食べた、あの絶品のミートパイが忘れらなかった。しかしあれを作れるのはブラックウッド公爵家の料理長しかいないと思っていた。料理ができる人間なら作れるはずであるが…。
「……何でもオッケー、か。ならば丸焼きにするか」
「十分ですわ! 楽しみにしております!」
「いや……リィーナ。せっかくの申し出に水を差して悪いのだが、私達は今日は挨拶に来ただけだ。挨拶が終わったら、近くの宿屋に泊まろうと思っている。あんまり遅くなると宿が閉まってしまうからな」
というリチャードの言葉を聞いた瞬間、夕食でイノブタが食べられると期待していたアシュリンは、分かりやすくシュンと肩を落とした。
「兄上。何を遠慮しているのだ? ここに泊まっていけば良いではないか」
「いや……しかしだな」
なおも渋るリチャードに、ここでアンドリューが余計な援護射撃を繰り出してきた。
「エカテリーナ様、リチャードは宿屋に泊まりたいんですよ。その気持ちを察してあげた方が……」
「何故だ? ここに泊まれば良いものを」
「そりゃあ……ここに泊まったのでは、二人きりになれないじゃないですか。察してやってください」
アンドリューがニヤリと笑ってそう言った瞬間、リチャードとアシュリンの顔が同時に真っ赤になった。
「そ、そうなのか!? いや……これから先、いくらでもイチャコラ出来るではないか! 今日くらいどうって事ないだろう!!」
エカテリーナは豪快に言い放つと、そのまま扉を開けて邸宅を管理している者を呼びつけた。そして、二人が泊まるための部屋をすぐに整えるよう矢継ぎ早に指示を出したのだった。
勿論、用意させる部屋は二部屋だ。いくら正式に婚約したとはいえ、まだ結婚前の男女を同じ部屋で過ごさせるなど、道徳的に考えられないからである。
「……たく、余計なことを」
真っ赤な顔のままアンドリューを睨みつけるリチャードと、隣で顔を真っ赤にしつつも(……丸焼き、食べられるのかしら)と密かに期待を取り戻しているアシュリンであった。




