第87話 不器用なのはお前だけではない(前編)
手紙で済ませようかとも思ったが、今回、アシュリンとの婚約をアシストしてくれたのは腹違いの妹のエカテリーナである。
踊らされたという気がして、思い出すと多少腹ただしい所もあるが、恩人であることには変わりない。
婚約者であるアシュリンを伴い、直接挨拶に行くのが筋というものだ。
エカテリーナは、事実婚の夫が二人もいるという破天荒な人物だが、形の上では一応独身の王女であるため、グリムロックの王宮内に居を構えている。
いくら兄妹とはいえ、王女の宮へ突然押しかけるわけにはいかない。まずは正式に手紙を送り、面会するための手筈を整えることにしたのだった。
返事は数日のうちに来た。
だが、それはエカテリーナ本人からの手紙ではなく、彼女の筆頭女官によるものであった。
それによると、エカテリーナは現在グリムロックの王宮ではなくシャーロットの森の邸宅にいるらしく、『当面そちらを拠点として狩猟に専念されるご予定であり、王宮へのお戻りの時期は定まっておりません。面会をご希望であれば、シャーロットの森までお越しいただけますようお願い申し上げます』と恭しく書かれていた。
シャーロットの森はグリムロック王国が保有している土地である。狩猟場としてはブラックウッドの森と同じく、ありとあらゆる動物の宝庫であった。
「相変わらず、狩り好きだな……」
いつ王宮に帰ってくるかも分からない以上、待つより行く方が早い。リチャードはアシュリンを伴って、シャーロットの森へ行くことにした。
王宮ならすぐに行ける距離だが、シャーロットの森となると一泊を覚悟しなければならない距離である。
「すまないな、アシュリン。付きさせて。エカテリーナが王宮にいれば良かったんだが……」
「そんな事はないです! お泊りだなんてワクワクしますわ。それに、シャーロットの森に行くのは初めてですし……」
アシュリンはパッと表情を輝かせた。そして少し間を置いてから、目をキラキラと輝かせてリチャードを見上げた。
「あの……リチャード。シャーロットの森って、イノブタはいるんですよね?」
「さぁ……どうだろうか? まあ、いると思うが」
リチャードが言うや否や、アシュリンの目が一瞬で輝いた。エカテリーナは狩りが趣味である。それならきっと、イノブタも仕留めて帰ってくるに違いない。
「益々、楽しみですわ!!」
アシュリンのイノブタ命は、相変わらずであった。
一泊のお泊りとイノブタへの期待でルンルン気分のアシュリンを乗せ、馬車はシャーロットの森へと向かった。
木々の緑が濃くなり、やがて視界が開ける。
二人がシャーロットの森にある邸宅に到着したのは、すっかり日が傾いた夕刻のことであった。
案の定、エカテリーナは狩りに出かけて留守だった。
彼女が帰るまで、二人はお茶を飲みながら待たせてもらう事になった。
「今朝、ここに来る前にお菓子を焼いたのです」
と言って、アシュリンはポケットからハンカチに包まれたお菓子を取り出した。
アシュリンがお菓子を焼いた。それだけで嫌な予感がした。
ハンカチを開くと、そこにあったのはいかにも硬そうなクッキーであった。
「こねてこねて……叩き潰して作りました。アーモンドとピーナッツと枝豆と黒大豆を入れたクッキーです」
(入れ過ぎでは……?)
アーモンドとピーナッツと枝豆、そして黒大豆の原型が見当たらない。どれだけこねて叩き潰したのだろうか。見た目からして、色の悪い岩にしか見えなかった。
身体に悪そうだし、噛んだ瞬間、顎が砕けるような気がして、リチャードはそれを食べるのを固辞した。愛でなんとかなるとかのレベルではない。
リチャードに拒否されたので、アシュリンは一人で自分が焼いたクッキーをつまみつつお茶を飲む。
隣でものすごい咀嚼音をさせてクッキーを食べているアシュリン。やはり拒否して正解だったと、リチャードは胸をなでおろした。
そうこうしているうちに、何やら聞き覚えのある声が扉の向こうから聞こえてきた。
エカテリーナが帰ってきたのだ。
いや、正確に言うと、エカテリーナだけではない。聞き覚えのある……いや、絶対にここにいるはずのない男の声が混じっていた。




