第85話 公爵様の最後のお願い
アシュリンとリチャードが田舎の領地を去る際、ルーカス伯爵は何度も、何度もリチャードに深く頭を下げた。
「色々とおかしなところもあり、公爵夫人としての立ち振る舞いには足りない部分も多々あるやもしれませんが……どうか、どうか娘をよろしくお願いします」
娘を取られて怒り狂う父親になるどころか、別れの間際までどこまでも娘の未来を案じるルーカス伯爵。その不器用で深い親心に触れ、リチャードの胸は熱くなった。
と同時に、くだらない警戒心を抱き、勝手に怯えて失態を晒した己の浅はかさとネガティブさを、心の底から恥じたのだった。
「ご安心ください、伯爵。私の生涯をかけて、アシュリン様を必ず幸福にしてみせます」
力強い言葉で応えると、伯爵は安心したように目を細め、何度も頷いて二人を送り出してくれたのだった。
ルーカス伯爵から正式に結婚の許しを得て、これで障害はすべて取り払われたわけではない。
まだ最大の難関が残されている。それは国王陛下の結婚許可である。
王都に戻って来ると、まずはアシュリンをルーカス伯爵の王都邸へ送り届け、ブラックウッド公爵の本宅に戻ってきたリチャードは、さっそく書斎でグリムロック王国の内務大臣宛てに『婚姻願』を作成した。
羊皮紙に公爵家の紋章が刻まれた重々しい血赤の蝋印を押し、執事のセバスを呼び出した。
セバスの手によって王宮の内務省へと持ち込まれたその書類は、当然のごとく大騒ぎを引き起こした。
「今すぐリチャード…いやブラックウッド公爵を呼べ!!」
グリムロック王国の国王はそう叫び、王室直属の使者が直ちに公爵邸へと派遣された。
「すんなりとは受理してはもらえないか…やはり」
王家直属の使者の応対をしたセバスから、緊急招集された事を知らされたリチャードはため息混じりに言った。
だが、逃げるわけにはいかなかった。彼は、大急ぎで身支度を整えると馬車に乗り込み王宮に向かったのだった。
グリムロック王国の国王の私室。
「リチャード、お前は何を考えておる! 結婚だと! それも相手が宰相のスピルバーグ伯爵令嬢ではなく、ルーカス伯爵だとは、お前は気が触れたのか?」
リチャードが国王の前で膝をおる前に、彼はそう怒鳴った。
「気は触れておりません」
「だったら何故だ! あんな辺境の伯爵家の娘と結婚とは…お前に何のメリットがある!! この王宮で、何の後ろ盾にもならぬではないか!!」
「後ろ盾など必要はありません」
「何を言っている。お前はこの父のあとを継いで、次の国王になるのだぞ。その時に何の後ろ盾がないようでは…」
「そのお話なら、お断り致します」
国王の顔色が変わった。
「な…何をいって」
「そもそも私は父上の正式な子供ではありません。いわゆる婚外子です。それがあとを継ぐなど、やはりありえない話です」
「だからだ。前にも言ったが、王妃はお前を養子にしてよいと言った。そして、宰相のスピルバーグがお前の後ろ盾になると」
「それは全てお断り致します」
「リチャード!! お前は…お前は…」
怒りのあまり、国王は肩を震わせた。
「国王に! いやこの父に逆らうと言うのか。お前の父はこの私だ!! お前がそう言う気なら…」
「そう言う気なら、何でしょうか? 公爵としての地位を取り上げるとでも? …それならそれで、一向に構いません」
冷ややかなリチャードの声に、室内の空気が一瞬で凍りついた。
国王は力なく、椅子に座った。
「私は一度も貴方にお願いなどしたことはないです。…アシュリン・ルーカス伯爵令嬢との結婚を認めていただきたい。これは国王としての貴方に頼んでいるのではありません。最初で最後のお願いです。どうか聞き入れて下さい」
もはや何を言ってもリチャードの決意が硬い事を国王は悟った。
次期王位継承者であったエドワードを廃嫡にし、エカテリーナもルイも王位継承者には相応しくない。だからこそ、最後の望みであったのに…
自分の血を引く者が、王位を継承しない。
それは血の継承をなによりも大事にする王家として、最大の痛みだった。
しかし、彼も父であった。家よりも血よりも目の前の息子がこれ程懇願している事に、何故意義を唱える事ができようか。
「わかった…認める」
国王は力なくそう答えた。




