第83話 公爵様の妄想は止まらない
アシュリンは朝から終始、浮足立っていた。
その様子に比べて、リチャードは顔色を硬くし、緊張のあまり殆ど喋らない。
それもそのはずで、これから二人は、アシュリンの父であるルーカス伯爵に結婚の許しを貰うため、ルーカス伯爵家の田舎の領地へと向かっている最中なのだ。
ガタゴトと揺れる豪華な馬車のなか、向かいに座るアシュリンは窓の外の景色を眺めながら、「領地に帰ったら何を食べようか」と嬉しそうに胸を躍らせている。
一方のリチャードはといえば、膝の上で固く拳を握りしめたまま、何度も何度も脳内で挨拶の口上を反芻していた。
概ね、事前に書き連ねた手紙を送ってはあるのだ。アシュリンとのこれまでの経緯や、正式に求婚した旨も文面に認め、送ってある。今更ルーカス伯爵が反対するなどとは流石に思っていない。
思ってはいないのだが——それでも、実際結婚の許可を相手の父親に面と向かって乞うというのは、尋常ではない緊張を伴うものであった。
(……もし、ついた途端に『やはり娘は渡せん』と言われたらどうする……?)
出発前、アンドリューにニヤニヤしながら言われた言葉が、嫌なリアリティを持ってリチャードの脳裏に蘇る。
『世間の父親っていうものは、特に娘の父親というものは、娘を取られたっていう感情に囚われるらしいぞ! 挨拶した途端に、いきなりワインでもぶっかけられるかもな?!』
アンドリュー特有の冗談混じりの冷やかしだと分かってはいた。分かってはいたのだが、今のネガティブモードに入り切ったリチャードには、その軽口が余計に火をつけていた。
(……ワインどころか、いきなり剣を抜かれたらどう応対するべきだ……? 公爵としての威厳を保つべきか、それとも娘を奪う男として甘んじて斬られるべきか……?)
どんどんズレた方向へ深刻に悩み始めるリチャード。嫌な汗がじわりと額に滲んでくる。
そんなリチャードのガチガチな様子に気づいたアシュリンが、不思議そうに首をかしげた。
「リチャード? なにかお腹でも痛いですの?」
「……いや、痛くはない。……ただ、少し考え事をしていただけだ……」
重苦しい声で答えるリチャードに、アシュリンは屈屈のない笑顔を向けた。
「ルーカス家の田舎の領地ではイノブタラは出ないと思うけど、ワインは特産品ですの! だから、ワインにちなんだ物は出ると思うので、楽しみにしてくださいね」
(ワイン……あぁ、やっぱりいきなりワインぶっかけられる可能性がありか)
リチャードは自分がルーカス伯爵にワインをぶっかけられ、頭から赤く染まった己の無残な姿を脳内で鮮明に想像してしまった。
田舎特有ののどかな田園風景が続き、やがて馬車はルーカス伯爵家の領地についた。
王都にあるルーカス伯爵邸の采配は敏腕執事のハンスが振るっているが、ここ田舎の屋敷を預かり、伯爵の身の回りを世話しているのは長年彼に仕える老従者のバーナードである。
馬車が静かに停車すると、重厚な扉が外から開け放たれた。
「アシュリン様、おかえりなさいませ。そしてブラックウッド公爵殿下、遠路はるばるよくおいでくださいました」
恭しく礼を執るバーナード。その洗練された一礼に、リチャードはゴクリと唾を呑み込んだ。
「バーナード! ただいま戻りましたわ! お父様はお部屋に?」
「はい。旦那様はお部屋でお待ちかねでございます。……それと公爵殿下、旦那様より『お着きになられたら、まずは極上のヴィンテージワインでおもてなしするように』と仰せつかっております」
(来た……っ!!)
バーナードの口から出た「ワイン」という単語に、リチャードの背筋に氷を突きつけられたかのような衝撃が走った。
やはりアンドリューの予言は当たっていたのだ。ルーカス伯爵は、手紙では歓迎するフリをしつつも、娘を奪いに来た男にワイン攻撃を見舞う気満々なのだと、リチャードのネガティブな脳内変換は完全に完成していた。
リチャードはまるで処刑台へ向かう罪人のような足取りで、ルーカス伯爵の待つ応接室へと一歩を踏み出したのだった。
あの『ガラかめ』のマッスーみたいな、キングオブネガティブキャラにしてしまって、ゴメンね!リチャード(作者より)




