第72話 リチャードの腹違い妹は規格外だった
夕刻、三人の騎士が馬を連ね、ブラックウッド公爵の別宅へとやって来た。
出迎えたヨハンは、先頭の人物を見て目を丸くした。
「なんの前触れもなく、失礼するぞ。兄上は、おられるか?」
グリムロック王国の王女、エカテリーナだった。
リチャードとは腹違いの妹であり、後ろに控えている二人の騎士は、彼女の事実上の伴侶でもある。
「リチャード様はご自分の部屋に……その、少々雲隠れしておりまして」
「雲隠れか。仕方のない兄上だ」
エカテリーナは、さして気にした様子もなく鼻で笑った。
「兄上への挨拶はあとにするとして、こちらに居られるヒューイット大佐に会いたいのだが、ご在宅か?」
「ヒューイット大佐……アンドリューに、でございますか?」
ヒューイット大佐というのは、マーサとヨハンの息子のアンドリューのことだ。
王女自らがわざわざ足を運んでくるなど、嫌な予感しかしない。
だがヨハンは平常心の仮面を貼り直し、恭しく頭を下げた。
「もちろんでございます。どうぞこちらへ」
母のマーサが乳母となり、父のヨハンも側仕えとして仕えるようになってから、アンドリューは11歳までこのブラックウッド公爵の別宅で暮らしていた。
リチャードが「アンドリューの部屋はそのま前にしておいてくれ」と言っていたため、彼の部屋はいまだに一階の一角に昔のまま残されている。
ヨハンに案内されたエカテリーナは、その部屋の前で足を止めた。
コンコン。
「アンドリュー、お前に客だ」
「はーい」
中から、なんとも気の抜けた生返事が返ってくる。
客の正体がエカテリーナ王女だとは露ほどにも思っていないアンドリューは、行儀悪く寝台に寝転がったままだった。
もし母のマーサがこの姿を見たら、即座に耳を引っ張られて大説教が始まっていただろう。
「入るぞ」
ヨハンが扉を開け、アンドリューは面倒そうに顔を上げた。
そして——固まった。
「エ、エカテリーナ様!?」
アンドリューは弾かれたように跳ね起き、凄まじい勢いで佇まいを正した。
その間一秒。近衛大佐としての本能的な素早さだった。
その様子を見て、エカテリーナは口元に手を当て、
「クックッ……」
と、声を殺して楽しそうに笑った。
「エカテリーナ様、大変申し訳ございません。うちの愚息が……」
「いや、こちらこそ失礼した。休んでいたところを邪魔してしまったようだ」
ヨハンの謝罪をあっさりと受け流すと、エカテリーナは話を進めた。
「ところで、ヒューイット大佐。少し話がしたいのだが、よいだろうか?」
「も、もちろんでございます!」
断れる人間など、この場にいるはずがない。
アンドリューが恐縮しながら答えると、エカテリーナは部屋にあるソファへ優雅に足を組んで腰を下ろした。
その後ろには、二人の騎士が音もなく立ち並ぶ。
「ヒューイット大佐」
「はい!」
「私の趣味はご存じか?」
知らない。というより、知っているほうがおかしい。
アンドリューはエカテリーナの趣味など、これっぽっちも知らなかった。
ただ、一般的な貴婦人が好むようなお茶会や刺繍をことごとく嫌い、およそお姫様らしくないことばかりやる、相当に変わった王女だという噂だけは耳にしていた。
「そこまでは存じ上げませんので……申し訳ありませんが、わかりかねます」
「ほう。ならば、これから嫌というほど頭に叩き込むことだ」
「……はい?」
「なにせ当分、お前には私の相手をしてもらうことになるはずだからな」
一体、何を言われているのか。
アンドリューには、まったく話が見えてこない。
「ブラックウッドの森は狩場として最高の場所だ。お前がこの狩場の下見をしている間、私は当分この狩場に逗留して、趣味を満喫することにした。付き合え!」
「「……待て待て待て!!!」」
その場にいたアンドリューと、側に控えていたヨハンの心の声が、見事なまでに一致した。
「エカテリーナ王女様!」
アンドリューが思わず身を乗り出す。
「それは……国王陛下もご了承されていることなのですか?」
「父上か?」
エカテリーナは、いかにも面倒そうに息を吐いた。
「今の父上は王位継承者問題で頭がいっぱいらしくてな。こちらのことなど気にしている暇はない…もっともその問題がなくても私やルイの事にあまり興味がない方だからな、母上も同じだが…」
現国王陛下夫婦にはエドワード、エカテリーナ、そしてルイという子供達がいた。
エカテリーナは女子であるし、ルイは生まれた時から、身体が不自由だった。そのせいもあって、二人に関心を寄せる事がなかった。
「そうそう。その話もあって、今日のうちに足を運んだのだ。あとで兄上にも話しておかなければならないな」
二人のやり取りを聞いていたヨハンが、冷や汗を流しながら恐る恐る口を挟んだ。
「エカテリーナ様……『逗留する』とおっしゃいましたが……まさか、この別宅にお泊まりになると?」
「そのつもりだ」
エカテリーナはきっぱりと言い放った。
「何か問題でもあるか?」
ヨハンは絶句した。
そして次の瞬間——。彼は部屋を飛び出した。向かう先はマーサの所だった。
自分では手に負えない。
なんとしてもマーサに止めてもらうつもりだった。だか、エカテリーナが一度言い出したら、それは誰もとめる事等できない。それをこのあと、ヨハンもアンドリューも嫌と言うほど思い知るのだ。




