第71話 言葉足らずな男の受難
ブラックウッド公爵の別宅は非常に暗くて重苦しい空気が流れていた。
それもこれも、ララが提案した偽りの婚約計画をリチャードが拒否したせいだった。
受け入れる気満々だったアシュリンはショックのあまり、その後、言葉を失い、なんとルーカス伯爵邸に戻ってしまったのだ。
それからと言うもの、ララだけでなく、マーサまでリチャードに対する態度が棘々しい。
「おいおい、死んだ魚みたいになっているじゃないか?」
久々にブラックウッド公爵の別宅にやって来たアンドリューは、リチャードの私室に入ってくるなり、そう言った。
「死んだ魚の目にもなるさ。母上だけでなく、マーサにも散々、嫌味を言われる毎日だ」
「そりゃあ…おまえが悪いからだ。うら若き乙女を泣かしたんだから」
「人聞きの悪い事を言うな。私がいつ、女性を泣かしたと言うんだ?」
リチャードはアシュリンが帰ってしまった原因が自分にある事をわかっていなかった。
「やれやれだな。こんな朴念仁に育てちまって、乳母としてお袋は大失敗だな」
「わざわざ嫌味を言いにここまで来たのか? アンドリュー」
「まさか…俺がそんな暇人なわけがないだろ。ここに来たのは」
アンドリューは呆れたように息を吐くと、真面目な顔で声を潜めた。
「公務だ。今年の秋に開催される『近隣諸国合同の狩猟大会』の件で来たんだよ」
「……狩猟大会?」
「ああ。今年はグリムロック王国が主催でな。あろうことか、その狩場にこのブラックウッドの森が選ばれたんだ」
「私の領地が……?」
「まだ、本決まりではないがな。…事前視察に俺が選ばれたわけだ。だから当分別宅の厄介になるぞ」
「厄介になるも…お前もこの家で育ったんだ。ここはお前の家でもある」
「確かに俺は11までこの家にいたが…。この家の主人はお前であって、俺はただの乳母の息子でしかない」
11歳の時、アンドリューは才能を買われて王宮の騎士団見習いとして引き取られ、寮生活を送るようになって別宅を離れた。
それ以来、余程のことがない限り、別宅には顔を出さない。
マーサやヨハンが一人息子の旅立ちを寂しがった以上に、リチャードも唯一の幼馴染であり兄弟のような存在だったアンドリューが去ったことで、大きな寂しさを抱えていたのだった。
さて、アンドリューが帰って来た事で、ブラックウッド公爵の別宅の空気の淀みは少しばかり緩んだが、それでもララとマーサのリチャードへの風当たりは冷たかった。
昼時になり、食堂でアンドリューがマーサにお茶を淹れてもらいながら話しかけた。
「ララ様がご立腹なのはわかるけど…お袋までそんな態度じゃあ、リチャードは身の置き場がない。少し酷じゃないのか?」
「うら若き乙女に冷たい男なんぞ、身の置き場があるとでも?」
「こえーな。まぁ、俺はリチャードの気持ちがわかるけどな」
「なにがどうわかると言うの!」
「そりゃあ、自分の恋愛云々を人にお膳立てなんかされたくないと思うぞ、お袋」
「お膳立てされたくないなら、とっとと自分で告白するなりなんなりすればよろしい」
「まぁそうだろうが…あいつは一度手酷い目にあってるし、その後も公爵の地位狙いの女どもがひっきりなしによって来たからな。恋愛に関して、臆病になるさ」
ほう、とマーサは息を吐いた。
「そう、じゃあアンドリューお前が独身なのも、臆病になったからかい?」
「いや…俺は…」
「お前は結構派手に遊んでるって話を聞いたよ!全く、坊ちゃまとお前を足して二で割ればちょうどよかったのに。世の中上手く行かないもんだよ」
痛いところを突かれたアンドリューは言葉に詰まり、苦笑いを浮かべて降参するように手を上げた。
「とにかく、お袋もララ様もだが、余計な先回りをしすぎだ。リチャードはもう子供じゃない。あいつが本気なら、それなりに答えを出すだろ?それを見守るって事でいいと思うぞ」
マーサはアンドリューをジロリと見たが、
「本当に生意気な事を言うようになって」
「お袋、俺ももう30近いんだ。老いては子に従えだろ」
「な…何を言ってるんだい!!私はまだ老いぼれちゃいないよ!!」
「はいはい。とにかく、あいつが自分で腹をくくるまで静かに待ってやろうぜ。外からいくらつついたって、本人が納得しなきゃ始まらないんだからさ」
アンドリューがなだめるように言うと、マーサは不満そうに「ちぇっ」と小さく舌を打ったが、それ以上は何も言わなかった。
「……誰のために怒ってると思ってんだい。まったく」
そう呟いて厨房へ戻っていく母の背中を見送り、アンドリューは残りの紅茶を一気に飲み干した。
(さて……あいつはいつまで『死んだ魚の目』をしてるつもりかな)
チラリと、リチャードの私室がある二階を見上げる。
(本当にアシュリン嬢を大事に思ってるなら、逃げてばかりじゃいられないはずだぞ、リチャード)
幼馴染の意地と男の意地に期待を込めながら、アンドリューは静かにカップを置いたのだった。




