第63話 勘違いの初恋令嬢と帰ってきた灰かぶり姫?
リチャードは朝から不快な思いをしなければならなかった。
ブラックウッド公爵本宅に、朝から訪問者が押しかけてきたからだ。
誰あろう、スティーヴン宰相の娘、イザベラである。
彼女は応接間に入って来たリチャードを見るなり、
「リィチャードォ」
と、わざとらしい甘ったらしい声で彼の名前を呼んだ。
リチャードの眉間に皺が寄る。
「人を訪ねる時間にしては随分と早すぎのようだが」
「まあリチャード! よい知らせというのは早くお伝えしなければいけませんもの。このはやる気持ち、わかるでしょう?」
「よい知らせ? 君が持ってくる知らせが、よい知らせとは思えないが」
「ん……まぁリチャードったら」
と言って、彼女は首を傾げて上目遣いでリチャードを見た。
嫌悪感が走った。
十代の頃なら、その仕草も愛らしく見えたのだろう。だが今の彼には、若さを演じ続けようとする痛々しさしか映らなかった。
「わたくし、何時でもウェルカムですわよ」
と言って、イザベラはすっと自分の左手を差し出した。
薬指をこれ見よがしに強調したその仕草――ようは、「いつでもあなたが贈ってくれる指輪をはめる準備はできていてよ」という、身勝手極まりないアピールだった。
その差し出された左手を冷ややかに一瞥して、リチャードは即座に声を張った。
「セバス!」
「はい、リチャード様」
影のように控えていた執事が、静かに姿を現す。
「私は、これから仕事に戻る。イザベラ嬢を玄関まで送ってあげてくれ」
普通なら、ここで顔を真っ赤にして恥じ入るか、怒り出す場面だ。だが、イザベラはまったく懲りてなどいなかった。
「まぁ……! リチャードったら、照れちゃって。いいわ今日のところはこれで失礼しますわ。それじゃあ、またねダーリン」
バタン、と静かに扉が閉まる。
嵐が去った静寂の中、リチャードは深いため息を吐き、ドサリと一人ソファに体を預け、
こめかみを抑えた。
かつての恋に悩んだ少年時代の自分を、今すぐ往復ビンタしてやりたい衝動に駆られていた。
同時に、はるか遠い灼熱の地で、今頃は自分などよりも遥かに強烈な何かと戦っているであろうアシュリンの姿が、脳裏をよぎる。
もう自分の気持ちに嘘はつけなかった。
(……アシュリン嬢が、猛烈に恋しいな)
玄関までイザベラを送って来たセバスが戻って来ると、リチャードは別宅に戻る事を告げて馬車の用意をさせた。
スティーヴン宰相が後ろだてを表明し、その娘が朝から押し寄せてくるのだ。これ以上ここにいては、どういう目にあうのかわかったもんではない。
ひとまずは別宅に避難するつもりだった。
ガタゴトと揺れていた馬車が、ようやく静かな別宅の前で止まった。
そして彼は気づいた。
別宅の庭に、ダイバダッタのあの鉄の鳥が置かれていたのだ。
光を浴びて、無骨に、しかし圧倒的な存在感を放って庭に佇むその異形の鉄塊。
それは間違いなく、はるか遠いインドの地へと旅立ったはずの、彼らの移動手段。
老師とアシュリンが、帰ってきた。
そう直感した瞬間、リチャードの胸は早鐘のように鳴った。
あのイザベラの甘ったるい毒気で澱んでいた胸の奥が、一瞬で熱い歓喜の血で満たされていく。
リチャードは馬車から降りるやいなや、公爵としての端正な身のこなしも忘れ、まるで恋焦がれた少年のような足取りで、別宅の扉へと駆け出していた。




