第59話王宮からの緊急招集、リチャードの運命が動き出す
アシュリンがインドに旅立ってからもリチャードは本宅に戻らずに森の別宅にいた。
料理長もだ。
アシュリンだけでなく、愛犬のジョンソンまで居なくなり、あきらかにリチャードは気落ちしていた。
「リチャード様、今日はなにか、その……食べたい物があれば、腕を振るいます。だからなんでもおっしゃってください」
料理長はリチャードの部屋にはいるとコック帽を握りしめて言った。
「いや……これといって」
「そうですか? マーサさんやヨハンさんも気にしておられます。リチャード様があまりにも冴えない表情でおられるので」
そんなに顔に出ているのか。貴族たるもの決して人前で表情を表に出さないというのが鉄則である。
リチャードは深くため息をついた。
「そうだな……料理長お得意の冷製スープでも夕食にだしてもらうか?」
その瞬間、料理長の顔がパァッとあかるくなった。
「料理長。ダイバダッタ老師もインドに行ってしまわれたのに、君は何故ここにいるんだ? 君の本当の目的は彼らの筋肉修行に混ざる事だったはずだ」
ダイバダッタ老師がアシュリンを連れてインドに行ってしまい、この別宅での筋肉修行はもう終わってしまった。ならば料理長の目的も終わったはずだ。目的がなくなったのなら、本宅の料理長である彼は、とっくに本宅へ戻っているのが普通である。それなのに、なぜまだここに居るのか。
「私はその……確かにそれが目的でした。アシュリンお嬢様の特訓の間にダイバダッタ老師様は私やヨハンさんに筋肉のトレーニングの仕方を教えてくださいましたからね。今はそのトレーニングをヨハンさんと一緒にやって……楽しくて仕方ないんです」
これにはリチャードも心の中でツッコミをいれたくなったが、彼は愉快そうに少し微笑んだ。
「そうか……」
「それでは……夕食は腕によりをかけて特製冷製スープをお作りいたします」
料理長はそう言うとコック帽を頭に載せてリチャードの部屋を出ていった。
パタン、と静かに扉が閉まり、部屋に再び静寂が戻る。
料理長のあの笑顔を思い返し、リチャードの口元にまだわずかな苦笑が残っていた、その時だった。
バタバタと廊下を駆ける、普段の別宅ではあり得ない慌ただしい足音が近づいてくる。
次の瞬間、ノックもそこそこに扉が勢いよく開いた。
「リチャード様!!」
息を切らせて部屋に飛び込んできたのは、本宅の執事であるセバスであった。
年長のヨハンよりも若く、普段は冷静沈着でスマートに仕事をこなすセバスだが、今は珍しく肩を上下に揺らし、額に汗をにじませている。その手には、ただ事ではない意匠の蝋で封印された一通の書状が握られていた。
リチャードの表情が、瞬時にいつもの冷徹な貴族のそれへと引き締まる。
「セバス……どうした、そんなに息を切らせて」
「は、はっ……! 本宅に、王宮より早馬が参りまして……! リチャード様へ、国王陛下からの『緊急招集』でございます!!」
「緊急招集だと!」
森の別宅にいるので、王宮でのここ最近の動向をリチャードは全く把握していなかった。
「多分、エドワード王子様の件でのことではないかと?」
「エドワードがいったいどうした?」
「それが……申し上げにくいことでありますが……借金のかたに、王宮を追われたそうでございます」
「……はぁ?」
リチャードは、自分が今、何を耳にしたのか一瞬理解できなかった。
だが、この緊急招集こそが――
彼の運命を大きく変える第一歩になるとは、この時はまだ知る由もなかった。




