第53話 灰かぶり姫は虎だ!虎だ!虎になるのだ!!
次の修行の仕度のために与えられた、一日の休息を終えたアシュリン。
ダイバダッタに次の修行として案内された先は、巨大な木の前だった。
「アシュリンよ。このロープに足を縛り、逆さ吊りになりなさい。そしてその状態のまま、反動を一切使わずに腹筋だけで起き上がり、足元のロープを両手で掴むのじゃ!」
普通の人間なら、天地が逆転した恐怖と脳に血が上る不快感で、起き上がることすらできないはずだ。下手をすれば一度の挑戦で腹筋が断裂しかねない地獄のメニュー。
しかし、流石は筋肉モンスターである。
アシュリンにとって、この試練は「拷問」ではなく「新鮮な角度のクランチ(腹筋運動)」に過ぎなかった。
重力を敵に回した状態であるにもかかわらず、アシュリンは「グッ……」とまるで重力が存在しないかのように滑らかに、垂直に上半身を起こしてみせた。
そして、何気ない顔で足元のロープをガシッと掴む。
「脳に血が上って精神統一ができましたですぅ」
ぶら下がったまま、アシュリンはニコリと可憐に微笑んだ。
仕掛けた側として、あまりのあっけなさに内心「マジかよ……」と冷や汗を流したダイバダッタだったが、そこは百戦錬磨の老師である。すぐに不敵な笑みを貼り付け直した。
「ふふふふふふ……まだまだこれからが本番じゃあ。あれはウォーミングアップにすぎん!」
次にダイバダッタが杖で指ししめした先には、一頭の逞しい馬が控えていた。その胴体には、長いロープがだらりと垂れ下がっている。
「乗馬か? 何かですの?」
首を傾げるアシュリンに、ダイバダッタは目をカッと見開いて叫んだ。
「乗馬ではない! 走る馬との並走で、これから走るのだ!! 虎だ! 虎だ! お前は虎になるんだ!!」
ダイバダッタはそう言うと、手際よくアシュリンの身体をロープに繋いだ。
そして自ら馬の背に飛び乗ると、容赦なく馬にムチをくれた。
ヒヒーーーンッ!!
鋭い嘶きとともに、驚いた馬がブラックウッドの森の奥へと猛烈に爆走し始める。ピンと張り詰めるロープ。時速50キロ近い突進力に引っ張られ、普通の人間なら地面を摩擦で削られながら引きずられる地獄絵図が展開されるはずだった。
しかし、アシュリンの目がギラリと「虎」の如く輝く。
「素晴らしいわ老師! 馬のサラブレッド級の推進力に引っ張られることで、私の大腿四頭筋と大臀筋が、かつてない高回転でフル稼働していますわ! これぞ究極のオーバースピードトレーニングですぅ!」
引きずられるどころか、アシュリンは強靭な脚力でガシィッと大地を掴むと、完璧なランニングフォームで馬とのガチの並走を開始した。
ブラックウッドの森に、凄まじい風切り音と地鳴りが響き渡る。
ボロボロのドレスを激しく翻し、髪を野生的になびかせながら、一頭の馬と一人の伯爵令嬢が凄まじいスピードで木々の間を駆け抜けていく。
ふと馬上のダイバダッタが横(地上)を見ると、引きずられるどころか、馬の顔の真横を涼しい顔で並走し、筋肉のパンプアップに悦びを噛み締めているアシュリンと目が合った。
「(こんなに簡単にこなすとは虎仮面の主役も形なしじゃのぅ)」
ダイバダッタはアシュリンの筋肉モンスターたる身体能力に感心しつつ、馬を走らせたまま、早くも次のさらに過酷な修行を模索していた。
その時だった。
向こうから、何やら凄まじい絶叫と、泥塗れの奇妙な二つの影がこちらに向かって突き進んでくるのが見えた。
「ひ、ひぃぃぃ! 待てコンラード! 私はもう一歩も……一歩も動けん、死んでしまうぅぅ!!」
「甘えないでください王子! ほら、あと半分(20km)残ってますよ、走る!」
それは、コンラードに襟首を掴まれ、もはや足ではなく背中で地面を滑りながら、涙と鼻水で顔をグシャグシャにしているエドワード王子だった。頭の薬草の葉を飛び散らせ、緑と紫の斑点模様のままズルズルと引きずられていく姿は、もはや哀れな芋虫そのものである。
正面から時速50キロ超えで爆走してくる「馬&ドレス姿の筋肉モンスター(アシュリン)」と、向こうから必死の形相で迫る「元親衛隊&芋虫王子」。
「道をあけろぉぉーーーっ!!」
ダイバダッタの怒号が響いた瞬間、両者は凄まじい風圧と土煙を巻き上げながら、一瞬で交差した。
「ひぎゃああぁぁーーーっ!?」
アシュリンの巻き起こした猛烈な突風に煽られ、エドワード王子は文字通り木の葉のように宙を舞い、そのまま近くの茂みへと頭から突っ込んでいった。
一瞬の出来事に、アシュリンは爆走を維持したまま、怪訝そうに後ろを振り返る。
「……? 老師、今、森の環境音にしては随分と情けない悲鳴と、緑色の不審な物体が通り過ぎていったような気がしますわ」
「気のせいじゃ、アシュリン! 前を見て走らんか、虎になるんじゃあ!!」
「はい、老師!」
引きずられて宙を舞ったのが、まさか自分のストーカーであるエドワード王子だとは夢にも思わず、アシュリンは再び目の前の馬へと視線を戻し、さらに脚力を加速させるのだった。




