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第52話 灰かぶり姫は王子の夢を見ないのに、王子は都合の良い夢を見る。〜筋肉プリンスへの道〜後編

大鍋に放り込んだエドワード王子がグルグルと攪拌されるのを見届けた魔女は、自室に戻るとグースカ寝てしまった。


翌朝。

頭に薬草の葉っぱをくっつけ、全身が緑やら紫やらの不気味な斑点模様に染まったエドワード王子が、大鍋の外の床に虚無な顔で転がっていた。

五感のすべてが泥臭い薬草の味と遠心力の恐怖で麻痺し、指一本動かす気力も残っていない。

そんな行き倒れの不審者の顔を、上から覗き込む影があった。


「おはようございます、エドワード王子」

爽やかに声をかけてきたのは、今はルージュ(元赤ずきんちゃん)のパートナーであり、エドワード王子の元親衛隊だった。自分に仕えていた親衛隊だったというのに、王子は彼の名前をきちんと覚えていなかった。


「ん……君は? ええっと……コンスープ」

「コンラードです」

「そうそう、コンド――」

「王子、全年齢に配慮してください! その名前を最後まで言ったら、また大鍋に戻しますよ!」

険しい顔で言い放ったコンラードは、床に転がっているかつての主を、容赦なき力強さでガシッと抱え上げた。


「ひ、ひぃっ!? な、何をする、不敬だぞ!」

「魔女様の『特急仕上げ・ボディメイクプラン』の第2段階ですよ。さあ、健やかな朝の光を浴びながら、フルマラソン(42.195km)に出発しましょう!」

「は? ふ、ふるま……? 待て、私はまだ全身の骨がバキバキで、口の中が泥臭い薬草の味で――」

「甘えないでください! 特急仕上げで筋肉を作るんでしょう!? ほら、走る!」

「聞いてないぞぉ!!」

エドワード王子の情けない悲鳴が、再び朝の森に木霊した。


薄暗い朝の四時に叩き起こされて出発してから、じつに七時間以上。

コンラードに引きずられるように朝のフルマラソンを完走したエドワード王子は、 這々の体で魔女の館に戻ってきた。


太陽がジリジリと照りつけ始める午前十一時過ぎ、全身の水分を失い、頭の薬草も干からびて文字通り芋虫のように床を走……いや、這う王子を横目に、余裕のコンラードは額の汗を拭った。


「随分と遅かったわね、コンラード」

魔女の館のダイニングでは、ルージュが食卓に座り、にこやかな顔で彼らを迎えた。

「もう少し早く戻るつもりだったんだが、なにせ王子が……」

「まぁ仕方ないわよ。王子様なんて、馬に乗るか、馬車に乗るか、それぐらいの能力しかないんですもの。死ななかっただけでもよしとしなければ」

開口一番の容赦なき毒舌。這いつくばったままその言葉を聞いたエドワード王子は、「し、死ななかっただけ……?」と、かすれた声で恨みがましくルージュを見上げた。


しかし、今の王子には言い返す気力など一ミリも残っていない。何せ、胃袋が完全に空っぽで、餓死寸前なのだ。


「さあ、お腹が空いたでしょう。コンラードも王子も、席についてちょうだい。心を込めて作った『意識高い系マッスルフルコース』を運ぶわね」


ルージュが満面の笑みで席を立つ。

運ばれてきた料理は、見た目だけは一流シェフのフレンチのようだった。

しかし、盛大にお腹をすかせていたエドワード王子が、期待に胸を膨らせて料理を口に放り込んだ瞬間――王子の時が止まった。

それは、塩も砂糖も一切使わず、ただ素材を蒸してすり潰しただけの究極のマッスルメニュー。あまりの口に合わなさ、1ミリも味のしない無味の世界に、王子はあからさまに嫌悪の表情を浮かべてフォークを止めてしまった。


しかし、それを見たコンラードの目が、ギロリと据わった。

「王子……うちのルージュが心を込めて作った料理を完食しない、なんて事はないですよね?」

かつて実直だった元部下から放たれる凄まじい圧に、王子はヒッと肩をすくめた。


「完食できないって事は、腹が空いてないって事だろうから、またフルマラソン行きますか?」

「なっ……!? む、無理だ! この炎天下にまた走ったら、今度こそ私は本当に死んで――」

「あら、コンラード駄目よ」

助け舟を出したのはルージュだった。


王子が救いを求めるような目で彼女を見ると、ルージュはにこやかな笑顔でとんでもないことを言い放った。

「こんな時間に走ったら、貴方が倒れてしまうわ。そうね、スイミングにしたら? それがいいんじゃないかしら?」

「す、すいみんぐ……っ!?」

「レンガ屋敷の裏の川は流れが早いから、あそこはマズイわね」


しばらく考え込んでいたルージュは思い出したように、手をパチンと叩いた。

「そうだわ、森の奥の湖がいいわ」

と、妙案とばかりに言った。だが、コンラードは渋い顔をした。


「ルージュ、あそこの湖は、湖の底に女神様がいて、心の綺麗な人間はよいけど、少しでも腹黒い心がある人間は湖の底に沈めるって伝説がある、怖い湖だぞ」

「あら? そうなの。初めて聞いたわ。だったら川に流さずにエロ狼は湖に落とせばよかったわ」


ルージュはゾクリとするような笑みを見せた。

長年パートナーとして尽くしたのにも関わらず、歳をとったという理由でエロ狼に捨てられたルージュは、アシュリンと共にエロ狼を川に落とした過去がある。流れの早い川に落とすのではなくて、いっそ湖の底に沈めてしまえばよかったと言っているのだが、その恐ろしい真相を知らないコンラードは、彼女の言葉の意味を深く考えていなかった。それどころか、ただ彼女の妖艶な笑みにぼうっと見惚れてしまっている。


「まぁそうだな……泳ぐなら湖にするか。私の心には一片の曇りもないから、湖の女神に沈められる心配はないしな」


一方、心の中がリチャードへの醜い嫉妬心と腹黒さで完全に真っ黒になってしまっているエドワード王子は、恐怖にガタガタと震え上がった。

「……た、食べる! 食べるから、湖の話はするな……っ!」


もう好き嫌いと言っている場合ではなかった。死ぬ気で食べなければ、本当に物理的な死(水死)が待っている。

エドワード王子はボロボロと涙をこぼし、味のしない鶏胸肉のすり潰しとブロッコリーを、必死の形相で口へと猛烈に押し込み始めた。


エドワードがようやく完食したところで、大あくびをしながら魔女が食卓に入ってきた。もちろん、頭にはナイトキャップ、体はあの破壊力抜群の紫色のスケスケネグリジェ姿のままである。

彼女は、泥と涙でドロドロになったエドワード王子をみると、心底つまらなさそうに言い放った。


「なんだい全然筋肉がついてないじゃないか? 筋肉どころか、むしろ痩せてないかい」


当然だった。大鍋とフルマラソンを一度こなしただけで筋肉など付くはずもない。むしろまともな炭水化物も摂っていない今の王子は、目に見えてゲッソリとやつれていた。


「これじゃあ、今日も夜は大鍋だね」


その言葉に、エドワード王子は弾かれたように顔を跳ね上げ、食卓を激しく叩いた。

「なんだと……っ! 特急仕上げとは一体なんだ、ウソじゃないか!!」


昨日あれほど恐ろしい洗濯機地獄を味わい、朝から死ぬ思いで走ったというのに、今夜もまたあの地獄に逆戻りなど正気の沙汰ではない。


「人聞きの悪い言いがかりをつけるんじゃないよ。あたしゃ『特急仕上げ』とは言ったけれど、何日で仕上げるとは一言も言ってないよ!」

「な、何だと……っ!?」

「あんたのその貧弱な身体を筋肉に変えるんだ、それ相応の日にちと『料金』がかかるのは当たり前じゃないかい。さあコンラード、夜のお鍋に向けて、午後からも王子をみっちり『特急仕上げ』しておやり!」

「はっ、仰せのままに!」

「ま、待て! 話を聞け! ――待て……これの何処がメンズエステなんだ!? メンズエステとはボディマッサージとかじゃないのか!?」


絶望の淵で、エドワード王子は涙目でこの日最大の正論を叫んだ。

しかし、詰め寄られた魔女はナイトキャップを揺らし、スケスケネグリジェの胸元で腕を組んでニヤリと不敵に笑った。


「『来たれ(鍛えよ)メンズ!』ってチラシに書いてあっただろ! これがうちのメンズエステだよ!」

「な、なにいぃぃぃーーーっ!?」


王子の必死の抵抗も虚しく、再びコンラードの屈強な腕が王子の襟首を掴み上げる。

こうして、アシュリンへの歪んだ恋心と、超絶ポジティブなナルシズムが引き起こした王子の「都合の良い夢」は、魔女の館での終わらない無限マッスル地獄へと突入していくのだった。

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