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第51話灰かぶり姫は王子の夢を見ないのに、王子は都合の良い夢を見る。〜筋肉プリンスへの道〜前編

「……大人の、メルヘンサロン……ッ!」

夕闇が迫る林道の真ん中で、エドワード王子は風に舞ってきた怪しげな紙切れを握りつぶさんばかりに凝視していた。


そこに躍る文句は、今の彼のズタズタに引き裂かれたプライドに、あまりにも劇的に突き刺さるものだった。


『来たれ(鍛えよ)メンズ! 美しきボディを手に入れて、あのの心を狙い撃ち!! 特急仕上げ……要相談』


エドワード王子の脳裏に、つい先ほど別邸の応接室で浴びせられた、アシュリンのあの容赦なき罵声がリフレインする。


『なんなのですか、そのへんてこりんなパンツは! 足が細く見えるとでも思っていますの? いいえ、ただの針金にしか見えません』

『やはり世界はもっと……もっと鍛え上げられた強固な筋肉で満たされなければいけませんのよッ!!』


自慢の細く美しい脚を「針金のような軟弱な脚」と完膚なきまでに揶揄された屈辱。

そして何より、彼の心を最もどす黒く染め上げたのは、その後で目撃してしまった光景だった。


ドレスの裾に躓き、倒れそうになったアシュリンが、リチャードのあの広い胸の中に飛び込んだときの、あの心底嬉しそうな、うっとりとした恋する乙女の顔。

それはリチャードの肉体だからこそ、アシュリンがときめいているのだ、という厳然たる事実に、流石のエドワード王子も気づかなかった。いや、彼の超絶ポジティブなナルシズムが、都合よくその事実を遮断したのだ。


しかし、流石の彼もこれだけは察した。

「そうか……! アシュリン嬢は、筋肉バルクが好きなんだな……っ!?」


ならば答えは一つ。あの小癪なリチャードなどという国王の婚外子の肉体など、一瞬で置き去りにするほどの、極上の美しきボディを自分が手に入れれば良いのだ。そうすればアシュリンは、今度こそ私の胸へと嬉しそうに飛び込んでくるに違いない!


「待っていろよリチャード……。待っていろアシュリン嬢! 私はこれより、この『大人のメルヘン』とやらで、瞬時に世界最高峰の肉体を手に入れてみせる!」


「御者! 馬車を回せ! 今すぐこのチラシの地図が指し示す、魔女の森の奥地へと急ぐのだ!!」

「は、はいぃっ!?」


回頭した王家の馬車は、主の狂気じみた野望を乗せて、薄暗いの森の奥へと猛スピードで引き返していくのだった。


鬱蒼とした木々が夜の闇に溶け込み、不気味な静寂が広がる。

その奥深く、かつては茨に覆われていた一軒の館の前に、凄まじい馬蹄の音を響かせながら、一台の馬車が激しく急停車した。

この館の住人たちにとって、今は最も神聖な時間であった。


お腹の大きなルージュの身体を労るため、館では「早寝早起き」が鉄則。夜九時には全員が完全に就寝するという、至極健康的で静かな夜を迎えていたのだ。

全員が深い眠りに落ちていた、まさにその時、


バシャアアンッ!!

静寂を無惨に引き裂き、館の重厚な木製の扉が、乱暴な足蹴りによって勢いよく押し開けられた。


「おい! この『大人のメルヘン』の責任者はどこだ! 今すぐ私の前に出ろ!!」

夜風と共に飛び込んできたのは、狂気を孕んだ目で泥まみれのチラシを掲げるエドワード王子だった。


鼻頭を赤く腫らし、息を荒くする王子の姿は、ただの不審な襲撃者である。


「……んだよ、夜十分に。どこの不届き者だい」


奥の部屋から、地を這うような低い声と共に現れたのは、お馴染みの魔女だった。

しかし、その姿を見た瞬間、エドワード王子の思考は完全に停止した。


魔女の頭にはフリルのついたナイトキャップ。そこまではいい。問題は、そのボティだった。彼女が身に纏っていたのは、かつて「いばら姫」と呼ばれていた王女時代の名残なのか、あまりにも時代錯誤で妖艶な、紫色のスケスケネグリジェだったのだ。


薄暗いランプの光に照らされる、ネグリジェ越しの老婆の生々しいシルエット。

あまりの破壊力に、エドワード王子は息を呑んだ。


「(え……何だこれは、私はいま、とんでもなく悪いものを見てしまっているのではないか……?)」

という、かつてない恐怖と困惑が全身を駆け巡る。


だが、スケスケネグリジェ姿の魔女は、奥の目を細めて王子の顔を睨みつけると、呆れたように吐き捨てた。


「なんだい、夜中に不躾な男が乗り込んで来たと思えば……エドワード王子じゃないか」

「ん……私の事を知っているのか?」

「知っているのかって……あんたその年でもう健忘症かい? ここの地下牢を忘れたのかい?」

「ち、地下牢……?」


そこまで言われて、エドワード王子はハッと記憶の扉が開いた。

かつてアシュリンを追いかけて森に入り、媚人どもに騙されて突入し、そのまま「若くてハンサムな男」に飢えていた魔女によって、親衛隊ごとまとめて地下牢に監禁された、あの恐怖の思い出を。


「お、おのれ、あの時の忌々しい魔女か!!」

「やれやれ、ようやく思い出したのか?あんたみたいのが次の国王か……先が思いやられるが…まぁ、それはどうなるかねぇ」


魔女は不敵にニヤリと笑った。

実はこの魔女、館にある『魔法の鏡』を通じて、近い未来にこの馬鹿王子が引き起こすであろう「とんでもない騒動」と、その先にあるあやうい運命をすでに視てしまっていたのだ。


そんな含みのある物言いをされたものの、今の王子は嫉妬とマッスルへの渇望で頭がイカれている。フンと鼻を鳴らすと、信じられないほど尊大な態度で胸を張った。


「ふん……あの時の事は水に流してやる。私の寛大な心に感謝しろ。それより老婆、このチラシに書かれている『特急仕上げ』とやらは本物だろうな!?」


王子が泥まみれのチラシを突き出すと、魔女はナイトキャップを揺らし、スケスケネグリジェの胸元をはだけるようにしてニヤリと笑った。


「本物かどうかなんて、施術をうけた者しかわからないからね。受ける気なのかい?」

「当たり前だ。受ける気もないのに言わない。今すぐ施術を開始しろッ!」

「ほう。特急仕上げは要相談って書いてあるけど……いいんだね? それは料金も含めてと言う意味だよ」

「フン、金ならいくらでも払う! この私だと思っている」

「粘着ナルシストの健忘症王子」

「違う!次期国王様だ。だから私にできない事はないぞ!!」

「(やれやれこんな馬鹿をダーリンになんてしなくてよかったよ)」

と魔女は心の底から思った。


魔女はそのまま王子を促し、かつて彼が監禁されていた懐かしの地下へと案内した。

薄暗い施術室――もとい、元の地下牢があったその不気味な部屋には、大きな『魔法の鏡』が鎮座しており、その真ん前には、人間が何人も入れそうなほど巨大な大鍋が置かれていた。


魔女がおもむろにその大鍋へ木製の階段を取り付けると、不敵に笑った。

「さぁ……この階段を使って中に入りな」

「な……中にか?」

「そうだよ……嫌なのかい? 特急仕上げしたいんだろ」


そう言われてしまえば、後には引けなかった。

エドワード王子は促されるまま、言われた通りに大鍋の中へと足を踏み入れた。

大鍋の中は何やらわけのわからない、おどろおどろしい紫色と緑の液体に満たされており、怪しげな薬草が何枚もプカプカと浮いている。


エドワード王子が完全に中に入った、その瞬間。

スケスケネグリジェの魔女が、ナイトキャップを揺らしながら怪しげな呪文をブツブツと唱え始めた。


ゴゴゴゴゴゴゴ!!!


「な、何だ、これは……っ!?」

呪文が響くと同時に、大鍋の中の液体が、まるで最新式の縦型洗濯機の猛烈な攪拌かくはんモードの如く、凄まじい勢いでグルグルと渦を巻いて回転し始めた。


「う、うわあああああーーーっ!?」


もの凄い遠心力で鍋の壁面に叩きつけられ、液体と一緒に高速回転させられるエドワード王子。


容赦なく口の中に飛び込んでくる、苦くて酸っぱくて泥臭いわけのわからない魔女の特製エキス。

中の液体を思いっきり飲む羽目になった王子は、文字通りの断末魔の悲鳴を盛大に響かせるのだった。

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