第49話灰かぶり姫は受けて立つ公爵は論破する
ヨハンからの報告を受け、リチャードは鋭い視線を応接室の方向へと向けた。
「アシュリン嬢、君は一度部屋に戻って着替えておいで。……あの男には、私が対応する」
守るための「客」扱い。その冷たい境界線に胸をキュウと痛め、消え入りそうな声で「わかりましたわ」と返事をしたアシュリンだったが――その足は、一歩も動かなかった。
「(……いいえ、待って。私は何を弱気になっていますの?)」
ドレスの裾を握りしめていた手が、自然と力強く握り拳へと変わる。
元はと言えば、あのエドワード王子が勝手に勘違いをして自分を追い回しているのが原因だ。リチャードが公爵としての義務や善意で守ってくれているのなら、なおのこと、居候である自分がその背中に隠れて、彼にばかり泥を被せるわけにはいかない。
それに、今の鬱々とした胸の痛みを吹き飛ばすには、全力で何かにぶつかるのが一番だ。
「リチャード」
アシュリンは凛とした声をかけた。その瞳には、さっきまでの上の空な切なさは微塵もなく、まるで決戦を前にした戦士のような鋭い光が宿っていた。
「私も、応接間へ参ります」
「なっ……ダメだ、アシュリン嬢。あの男が君に何を言ってくるか――」
「殿下が私に会いたいとおっしゃっているのでしょう? ならば、受けて立ちますわ! 逃げも隠れもしません。筋の通らない言葉には、私が直接、正面から鉄槌を下して差し上げます!」
「受けて立ちます」――およそ貴族の令嬢が口にするはずのない、果し合いのような勇ましいセリフだった。ドレスの袖から覗く前腕筋が、気のせいか「やる気」でパンプアップしているようにも見える。
張り詰めていたリチャードの顔から、ふっと険しさが消えた。
あまりにも彼女らしい強固なバルク(弁えと覚悟)の塊のような宣言に、胸の奥から愛おしさが込み上げ、思わず低く「クスッ」と声を立てて笑ってしまったのだ。
突然見せられたリチャードの極上の笑顔に、アシュリンの心臓がまたしてもドクンと跳ねる。
「わかった。ならば一緒に行おう。何があっても、私が君の盾になる」
リチャードはアシュリンの前に右腕をすっと差し出した。
アシュリンはその引き締まった前腕筋(先ほど湖畔で鑑賞したばかりの、服の上からでもわかる極上のライン)に再び心臓を跳ね上がらせながらも、そっと自分の手をその腕へと絡める。
それは紳士と淑女として、至極当然の美しいエスコートの形だった。
こうして二人は、不思議な一体感を纏いながら、並んで応接室の重厚な扉を開けた。
「お待たせいたしました、エドワード殿下」
リチャードが声をかけ、二人が仲良く寄り添うように応接間へと足を踏入れた、その瞬間だった。
豪華な長椅子に踏んぞり返っていたエドワード王子が、弾かれたように立ち上がった。その目は、親密そうに腕を組む二人の姿に釘付けになり、嫉妬とショックで激しく見開かれる。
「リチャードッ!! 離れろ、今すぐそこから離れろォッ!!」
開口一番、静かな応接室にエドワード王子の怒声が響き渡った。
あまりの剣幕に、背後に控えていたヨハンがびくりと肩を揺らす。しかし、いきなり怒鳴られた当事者である二人は、何故そこまで王子の怒りのボルテージが上がっているのか、皆目見当がつかなかった。
「エドワード殿下、いきなり我が館で怒鳴り散らすとは……いくら王位継承権を持つお方とはいえ、一国の公爵に対して少々無作法が過ぎるのではないですか」
低く、地を這うようなリチャードの声には、修羅場をくぐってきた男特有の威圧感があった。
だが、嫉妬で頭に血が上っているエドワード王子には、その警告すら耳に入らない。彼は顔を真っ赤に染め、怒りでワナワナと指を震わせながら、リチャードの腕に添えられたアシュリンの手を指差した。
「黙れ! 誰が私の前でそんな破廉恥な真似を許した! なぜアシュリン嬢と腕を組んでいるんだ! 離れろと言っているだろう、私のレディからッ!!」
「私のレディ」――その傲慢な響きが室内に落ちた瞬間、リチャードの切れ長の目が、一瞬にして極北の氷河のように冷たく凍りついた。
「……私のレディ、ですか?」
リチャードは一度、エドワード王子を牽制するためにアシュリンを背後に隠そうと、組んでいた腕をゆっくりと解こうとした。
――その時だった。
アシュリンが、本能のままにリチャードの腕を強く掴み、彼の脇腹に自分の身体をぴたりと寄せたからだ。
リチャードは、表面上こそ冷徹な公爵の顔を保っていたが、掴まれた手首から伝わる確かな意思(とリンゴを握り潰せるほどの可愛い握力)に、内心ではインク瓶を何本もなぎ倒す勢いで大動揺していた。
しかし、彼はその猛烈な動揺を強靭な精神力で抑え込み、掴まれた腕をそのままに、エドワード王子を真っ正面から見据えた。
「言葉が過ぎます、殿下。アシュリン嬢は貴方の所有物でも、都合の良い飾り物でもないはずですが。彼女は自らの意志で動き、自らの意志で私の元に滞在している高貴な令嬢だ。それを『私のレディ』などと、さも自分の領有権であるかのように呼ぶなど、彼女に対する侮辱以外の何物でもありません」
「な、なんだと……っ!?」
「ここブラックウッドの領地において、彼女の尊厳を傷つける者は、たとえ王子であっても私は容赦しませんよ」
一歩も引かないリチャードの冷徹な正論。
その横顔を見上げるアシュリンは、彼が自分をこれほどまでに毅然と守ってくれる姿に、再び胸の奥がキュンと熱くなるのを感じていた。
と同時に。
守ってもらうだけではいけないという、実に筋肉モンスターらしい感情がその五臓六腑からハイドロポンプの如く湧き上がった。
「(もうこの際ですもの……はっきり印籠を渡さなくては。そうでなければ、この粘着ナルシスト王子には何も伝わりませんわ)」
アシュリンはリチャードの腕を掴んでいた手を離すと、凛とした足取りで一歩前へ踏み出した。
「エドワード王子」
アシュリンが名前を呼ぶ。
エドワード王子は、アシュリンが「自分に優しい言葉をかけてくれるのか?」と、期待にその顔をだらしなくほころばせた。次の瞬間、極大のハンマーが彼の顔面に振り下ろされるとも知らずに。
「……キモッ!」
その言葉は、王家主催の夜会が終わった翌日、ルーカス伯爵邸へ図々しくも求婚に訪れた王子へ、彼女が最初に叩きつけた罵倒と寸分違わぬ響きだった。
「なんなのですか、そのへんてこりんなちょうちんよりも巨大なパンツは! 足が細く見えるとでも思っていますの? カモシカ?いいえ貴方の足は針金ですぅ。そもそも、私が貴方のような粘着ナルシスト王子を好きになるなんて、百億光年先でもありえませんからぁ、残念!!」
「なっ……、あ、ありえ……っ!?」
王子は自分が今、何を言われたのか理解できず、顔を真っ赤にして口をパクパクと金魚のように動かした。
しかし、アシュリンの追撃はこれで終わりではなかった。
彼女の瞳が、突如として「鍛錬」への渇望と、軟弱なものへの純粋な嫌悪で狂気じみた輝きを帯びる。アシュリンはさらに距離を詰め、戦告の如くその言葉をエドワード王子へ真っ正面から突きつけた。
「ああ、なんてことでしょう……! この、守る価値のない、……針金のような軟弱な脚! 見るだけで私の身体が拒絶反応を起こしますわ! いいですか殿下、やはり世界は……もっと鍛え上げられた強固な筋肉で満たされなければいけないのですぅ!!筋肉こそが愛!筋肉こそが正義ですぅ!!」
「き、筋肉ぅぅっ!?」
物理的な暴力よりも恐ろしい、完全な拒絶。
そして貴族の令嬢が口にするはずのない「世界を筋肉で満たす」という得体の知れないマッスルな思想の暴力を至近距離で浴びせられ、エドワード王子はついにキャパシティを超え、発狂寸前の悲鳴を上げた。




