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第47話 灰かぶり姫は公爵の大人の魅力に動揺する

「大人のメルヘンサロン」という、怪しげな響きを持つチラシをドレスの隠しポケットへと滑り込ませ、魔女の家を後にしたアシュリンは真っすぐブラックウッド公爵の別邸に戻らず、心地よい風に吹かれながら森を散歩し始めた。


すると、かつてシンシアスの言葉に傷つき、涙を流しながら辿り着いたあの静かな湖の前に出た。


「そういえばあの時、わたくしの尊厳はここで粉砕されかけましたわね……」


苦い、けれど今となっては少し懐かしい思い出に浸りながらアシュリンが湖畔に近づいた、その時だった。

「ワン! ワン! ワン!!」


草むらを激しくかき分けて、尻尾をブンブンとちぎれんばかりに振り回しながら、一匹の大型犬が走ってきた。

ジョンソンである。


「え! ジョンソン。どうしてここに?」


ジョンソンがいるということは、リチャードもいるということだ。

今朝、森に住む赤ずきんちゃんと魔女に会いに行くことをアシュリンが告げた時、リチャードは「気をつけて行っておいで」と笑って見送ってくれたはずだった。


「リチャードはどこなの? ジョンソン」


アシュリンが首を傾げると、ジョンソンは「こっちだワン!」と誘うように湖の方へと駆け、振り返ってワンと鳴いた。


誘われるままにアシュリンが視線を湖へと向けると――そこには、夕暮れ時の黄金色に染まる水面を割って、豪快に泳ぐ一人の男の人影があった。


ザパァァァン!!

美しい夕陽の残照を浴びて、水しぶきがキラキラと宝石のように飛び散る。


広大な森をジョンソンと共に駆け回って狩猟を楽しみ、彼はその火照った身体をクールダウンさせるために泳いでいた。


湖の奥まで泳いだ彼は、こちら側に戻ってきた。やがて彼は荒い息を整えながら、岸に上がって来る。


下は狩猟用のタフなレザーの乗馬ズボンを着用し、上半身は何もつけていなかった。

濡れた鹿革が強靭な太ももの輪郭にぴったりと張り付き、彼の男らしい脚のラインを際立たせている。


そして、露わになった上半身はまさに圧巻だった。

水滴を弾く分厚い大胸筋、引き締まった腹斜筋、そして濡れた肌の上で夕陽の陰影によってより一層際立つシックスパック。


淑女として目を逸らすべきだと頭では理解していても、アシュリンの「筋肉脳」がそれを全力で拒否する。服の上からでは想像もつかないほど「完成された」大人の男の肉体美が、そこにはあった。


アシュリンの鼓動が、ドクドクと不条理なまでの大音量で胸の奥を打ち鳴らす。

それは、どれほど過酷なトレーニングで己を限界まで追い込んでも経験したことのない、激しく切ない高鳴りだった。


「(あぁ……どうしましょう……どうしたらいいの……。なんで私の心がこんなに乱れるの……っ!?)」


いつもなら「素晴らしい大円筋ですわ!」などと脳内で筋肉の分析を始めるところなのに、今の彼女にはそんな余裕は微塵もなかった。ただただ、夕陽に照らされたリチャードの姿から目が離せず、顔が火を噴くように熱くなっていく。


これが、無自覚な恋の芽生えによる動悸だとは、筋肉脳のアシュリンにはまだ気づく由もない。


しかし、ハッと我に返った。

いくらそんなつもりではなかったとはいえ、木々の隙間、うっそうとした木陰に身を隠しながら男性の生肌を凝視しているなど、変質者以外の何者でもない。


「(い、いけませんわ! 今ここでリチャードに見つかっては、わたくしの淑女としての尊厳が今度こそダストになってしまいますわ……!)」


リチャードに気づかれてはいけない。

アシュリンは、鍛え抜かれた大腿四頭筋とハムストリングスをフルに稼働させ、極限まで腰を落とした。


貴族の令嬢らしからぬ、地面を這うような中腰の姿勢のまま、ガサゴソと情けない音を立てて茂みの奥へとバックステップで逃げようとしたのだ。心の動揺のせいで無駄に低くなったそのフォームは、どこからどう見ても間抜けな図でしかなかった。


しかし、運命の女神はアシュリンに逃走を許さなかった。


「ワンッ! ワンワンッ!!」

草陰で超低空飛行を続けていたアシュリンの姿に、何か楽しい遊びを初めたと思い込んだジョンソンが、絡んできたのだ。


「ちょ、ちょっとジョンソン、静かに……っ!」


「……ん? 誰だ? ……ジョンソン、何を騒いで――ッ!?」

犬の声に気づいたリチャードが、濡れた漆黒の髪をかき上げながら、アシュリンのいる茂みへと視線を向けた。

そこには、ドレスの裾をたくし上げ、シダの葉を頭に引っ掛けたまま、中腰姿勢でガチガチに凍りついているアシュリンの姿があった。


「ア、アシュリン嬢……?」


上半身を惜しげもなく晒し、水滴を滴らせたまま、目を丸くして立ち尽くすリチャード。

中腰のまま、顔を真っ赤に染めて石像のように固まるアシュリン。

夕暮れの湖畔に、あの初めての運命的な出会いとまったく同じ、けれど攻守が入れ替わった、実に致命的にマヌケな展開であった。


アシュリンとリチャードの間に奇妙な沈黙が流れ出した。


その沈黙に耐えかねて、アシュリンの口から飛び出したのは、もはや言い訳の体をなしていない、歴史的な大自爆宣言だった。


「ち、違います……私そんなつもりじゃあ……ち……痴女ではありませんわ……ッ! あんまりにもリチャードの身体が素敵すぎて、ただ単に鑑賞してしまっただけですぅ……!!」


「……は、はいぃっ!?」


己のプライドと淑女の尊厳を自ら粉砕クラッシュしていく最悪の言い訳に、公爵の綺麗に裏返った悲鳴が、夕暮れの静かな湖畔にいつまでもこだましていた。



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