第46話 灰かぶり姫と懐かしき人々の再開
「火渡り」の修行を終え、足裏に心地よい熱を残したアシュリンは、拳を握り締めながら次の修行を心待ちにしていた。しかし、そんな彼女にダイバダッタが告げたのは、意外な一言だった。
「今日一日、休息を取りなさい。明日からに備えるのじゃ」
「老師、どうしてですの? 私はまだまだ動けますわ!」
「次の修行の仕度に取り掛かる。これは大がかりになるからのぉ。……それにな、アシュリン。筋肉は鍛えるばかりでは駄目じゃ。時には適切な休息も必要。そうじゃないと身体が悲鳴をあげるからの」
毎日身体を鍛え続けなければ、せっかくついた筋肉が衰えて使い物にならなくなる――そんな強迫観念に囚われていたアシュリンにとって、「一日の休息」は戸惑うほどの贅沢だった。
せっかくできた自由な時間だ。
アシュリンは、今自分が滞在しているブラックウッドの森に住む、懐かしい人たちに会いに行くことにした。元赤ずきんと、元いばら姫だった森の魔女の二人だ。
まずは川岸にある元赤ずきんの家を訪ねた。
彼女は長年のパートナーだったエロ狼との関係を解消したあと、エドワード王子の親衛隊の一人だった騎士と同居している。
しかし、木造りの扉をトントンとノックしても、中から誰も出てくる気配はなかった。
「お留守かしら……?」
アシュリンはさらに深く、木々がひそひそと囁き合うような森の奥へと足を進めた。
今は開放的になっている魔女の家。
その扉を開けた瞬間、アシュリンは嬉しそうに声を上げた。
「まぁ! 赤ずきん先生と親衛隊さんも……こちらにいらしたんですね」
「アシュリン! まぁ、お久しぶりですわ。相変わらず身体のキレが素晴らしいわね!」
二人は駆け寄り、再会を祝して固くハグを交わした。過酷な修行を経て、よりしなやかに、より鋭く進化したアシュリンの筋肉の躍動を、元赤ずきんは抱きしめた身体越しに敏感に感じ取る。
アシュリンはハグを解くと、元赤ずきんの顔をじっと見つめて首を傾げた。
「あれ? 先生、なんだか少し……ふくよかになられました? もしかして、巷で噂の『幸せ太り』というやつですか?」
その言葉が落ちた瞬間、元赤ずきんの頬がぽっと林檎のように赤く染まった。
「ルージュはね、おめでたなんだよ」
赤ずきん――ルージュの代わりに部屋の奥から魔女がさらりと答えると、ルージュはさらに顔を真っ赤にしてうつむいた。
一方、アシュリンはパチクリと目を瞬かせるばかりだ。
「るーじゅ……? あの、ルージュさんというのは、どなたのことでしょうか。それに『おめでた』というのは……?」
あまりに真っ直ぐな問いに、部屋の中に一瞬の妙な沈黙が流れた。
「アシュリン……。ルージュというのは、私の本名よ。あまり呼ぶ人がいないから、教えていなかったわね」
「そうなんですね! 元赤ずきんちゃん、いえ先生の名前がルージュだったなんて……これからはルージュさんって呼びますわ! ……で、その、おめでた? ルージュさんが何か良いモノにでも当選された(当たった)のでしょうか?」
身を乗り出すアシュリンに、ルージュの代わりに、魔女がため息交じりに首を振った。
「あんたねぇ……そういう世俗のことにはホントに疎いんだから。いいかい、『おめでた』っていうのはね。ルージュのお腹の中に、新しい命が宿った……つまり、赤ちゃんができたってことだよ」
「えっ……。あ! 赤ちゃん!?」
ようやく言葉の意味と状況が頭の中で繋がったアシュリンは、驚きのあまり、無意識に「火渡り」で鍛えたばかりの足指で床をギュッと掴んだ。みしり、と床板が鳴る。
アシュリンの顔が、驚愕から一気に満面の笑みへと変わった。
「おめでとうございます、赤ずきんちゃん! ……いえ、ルージュさん! 私、そんな素敵なことだとは知らずに、なんてデリカシーのないことを……!」
慌ててペコペコと頭を下げるアシュリンに、ルージュは困ったように、けれど優しく微笑んだ。隣に立つ親衛隊の騎士も、照れくさそうに頭を掻きながら肩の力を抜いている。
「まぁ、そういうわけだからさ。あたしとこの二人は、今ここで同居しているのさ」
魔女がハーブティーのカップを並べながら言った。
「赤ん坊が生まれるんだもん、何かと女手は必要だろう? こんな老婆でも、あたしは一応女だからねぇ。それと」
そう言って魔女は、机の引き出しから一枚の紙を取り出すと、アシュリンの目の前に差し出した。
「なんですの? これ」
受け取った紙には、勢いのある文字でこう書き連ねられていた。
―来たれ(鍛えよ)メンズ!
美しきボディを手に入れて、あの娘の心を狙い撃ち!!
脱いだらスゴォ〜ィです!
脱がなくてもスゴォ〜ィです!!
・一ヶ月コース
・半年コース
・一年コース
・特急仕上げ……要相談
メンズエステ『大人のメルヘン』―
「あたしとルージュでね、エステサロンをやることになったんだよ。まぁ、それは宣伝用のチラシってやつさ。あんたは伯爵令嬢なんだからね、うちにどんどん上客の男たちを紹介しておくれ!」
「えぇ〜。でも、お高いんでしょう?」
アシュリンがじろりとチラシを見つめると、魔女は胸を張ってニヤリと笑った。
「良心価格だよ! ボッタクリなんかしないさ。……まぁ、その『特急仕上げ』とかいうのは、相談内容と仕込みによって、それなりにお高くつくけどねぇ」
不敵に笑う魔女の言葉に、アシュリンは「はぁ、そうですの……」と、いまいちピンと来ないままチラシをドレスに仕舞った。
この時、アシュリンが深い考えもなしに受け取った、お気楽な一枚のチラシ。
それが風に乗り、巡り巡って「あの男」の手へと渡り、とんでもない騒動の引き金になろうとは、この時のアシュリンはもちろん、魔女たちでさえも知る由はなかったのであった。




