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第45話 灰かぶり姫の力の制御修行第二弾「火渡り」に公爵の乳母は仰天する

深い緑に包まれた道を抜けると、木漏れ日の差す広場に、石造りのこじんまりとした屋敷が姿を現した。

本邸のような豪華さはないが、手入れの行き届いた庭には色とりどりの花が咲き、煙突からは穏やかに煙が立ち上っている。


馬車が石造りの小さな屋敷の前に止まると、玄関の扉が勢いよく開き、エプロン姿の老婦人が小走りで駆け寄ってきた。リチャードが馬車を降りるなり、彼女は慈愛に満ちた笑顔を浮かべた。


「まぁ、まぁ! 坊っちゃま、お帰りなさいませ」


乳母のマーサである。リチャードは少し肩の力を抜き、実家に帰った息子のような表情を見せた。


「しばらく厄介になるよ、マーサ」

「何を仰いますか! 坊っちゃまが帰ってきてくださるのが、私と夫にとっては何よりの喜びなんです。万事、このマーサにお任せくださいな。最高のおもてなしをさせていただきます!」


腕をまくって張り切るマーサに、リチャードは苦笑しながら、宥めるようにその肩を叩いた。


「ありがとう。だが、張り切って倒れてしまっても困るから……マーサ、ほどほどでいい。今回は人数も多いし、食事の支度は本邸の料理長がやってくれることになっているから」


リチャードが後ろに控えていた料理長を示すと、マーサは「あら、それは心強いわ!」と朗らかに笑った。マーサは、浮世離れしたオーラを放つダイバダッタや、大事そうに特製ダンベルを抱えた料理長に対しても、全く物怖じすることなく、慈愛に満ちた笑顔を向けた。


「まぁ、アシュリンお嬢様もお久しぶりですわ。よくぞいらしてくださいました」

「マーサさん、お久しぶりです。今日からお世話になりますね」


マーサはアシュリンの傍に寄ると、その腕を優しくさすりながら、心底感心したように頷いた。


「まぁ、アシュリンお嬢様。以前より、その、さらにお身体が『充実』されたようですわね。この張りのある肩、そして逞しい腕……。若さの輝きですわね、とっても素敵です!」

「ふふ、気づいてくださいました? 実は少しばかり、自分の筋肉と向き合っておりますの」

「素晴らしいですわ! 私、アシュリン様のそういう生命力に溢れるところが大好きですのよ。さぁ、主人が温かいお茶を準備して待っておりますわ。どうぞ中へ!」


マーサの夫が淹れてくれた香りの良いハーブティーを飲み干し一息つくと、庭の中央では、ダイバダッタが竹杖で薪を均し、赤々と熱を帯びた「熾火おきびの道」を完成させていた。炎こそ落ち着いているが、そこから立ち上る陽炎は、触れればただでは済まぬ熱量を物語っている。


「……さて、乙女よ。茶の時間は終わりじゃあ。一音たりとも鈴を鳴らさず、この火を渡りきってみせい」

「はい、老師! 筋肉の耐熱限界を突破してみせますわ!」

とアシュリンが足首に鈴を装着しょうとしたその瞬間。


「ちょっと待ったぁぁぁ!!!」

庭に響き渡る絶叫。

お茶のトレイを放り出し、エプロンをなびかせて猛然と突進してきたのは、マーサだった。彼女はアシュリンを庇うように火の道の前に立ちはだかり、リチャードを指差して吠えた。


「マーサ、どうした?」

「なんなんですか、坊っちゃんまこれは?うら若きお嬢様に、お肉を焼くような真っ赤な炭の上を歩かせるなんて! 正気ですか!? もし、あの真っ白で綺麗なお足が火傷でもしたらどうするんですの! 今すぐ中止です、中止!」

「ま、マーサ、これには深い訳が……」

「訳もへったくれもありません! 坊っちゃまともあろうお方が、何故、こんな事を黙認されているのです! 情けない、本当に情けない!! 淑女レディの危険を全力でお守りするのが紳士たる者の役目ではありませんか!!」


普段は温和な乳母からの、魂の叫びともいえる叱責。

「紳士失格」の烙印を押され、リチャードが言葉を失った隙を見逃さず、マーサはアシュリンの手をガシッと掴んだ。


「さぁ……アシュリンお嬢様、お部屋に戻りますよ!」

「あ、あの、マーサさん? 私、鍛えたいのですけれど……きゃっ!」


あの筋肉モンスターのアシュリンが、抗う間もなくズリズリと引きずられていく。小柄なマーサのどこにそんな力が隠されていたのか。まさに火事場の馬鹿力ならぬ、愛の絶対拘束力。アシュリンは呆然としたまま、屋敷の中へと強制連行されてしまった。


修行は一時中止となり、別宅の一室でリチャードによるマーサへの「説得」が始まった。


「いいかい、マーサ。アシュリン嬢には、自分の内なる力を完璧に制御するための修行が、どうしても必要なんだよ」

「力……制御? そんなもの、制御なんてしなくてもよろしいのでは?」

「よくないんだ! 実際、彼女は、ルーカス伯爵邸を物理的に破壊してしまったんだ。そのせいで修理費がとんでもないことになっていてね……」


具体的な被害額を出せば納得するだろうというリチャードの読みは、マーサの豪快な一言で粉砕された。


「まぁ、たったそれだけのことですの? 破壊して修理だなんて……そんなものぼっちゃまならなんとでもなりますでしょうに!」

「……えっ?」

「よろしいですか、坊っちゃま。坊っちゃまがアシュリンお嬢様を今すぐお嫁に迎えれば、実家の修理費だろうがなんだろうが、公爵家の資産で一瞬にして解決いたしますわ。そうすれば、お嬢様が無理に力を抑える必要もなくなりますし、万事解決ですわよ!」


マーサといい執事のハンスいい、アシュリンを自分の妻にするよう勧めてくるのは、何故なのか。そんな考えを張り巡らせ前に、リチャードはまた激しく動揺した。


「な、な、なぜその理論になるんだ、マーサ! 私は彼女の安全のために……!」

いつもの落ち着いた低音の喋りではなくて、裏返った声で反論するのが精一杯だった。


「まぁ、照れちゃって! いいですか、坊ちゃま、お嬢様がどれだけ暴れて家を壊そうとも、公爵家がすべてを包み込んで差し上げれば良いのです。愛ですわ、愛!愛は全てを救うのです!! 財力という名の愛で、すべてを肯定して差し上げなさいませ!」


マーサの自信満々の力説に、リチャードが頭を抱えた、その時だった。

「マーサさん……。それは駄目ですわ」


「えっ……アシュリンお嬢様?」


「愛は、財力ではありません。私は、そんな愛ならいりませんわ」

アシュリンの瞳には、一切の迷いもなかった。

「私は、自分の力で自分を律し、胸を張って立てる淑女になりたいのです。壊したものを金貨で埋め合わせるのではなく、壊さないだけの優しさと強さを身に着けたい。それが、私がこの身を鍛える本当の理由です」


静寂が部屋を支配した。アシュリンはさらに一歩踏み出し、泣き出しそうなマーサの手を優しく包み込んだ。


「私は修行して、力の制御を身につけたいんです。そんな私の気持ちを汲んで、あえて厳しい道を見守ってくださるリチャードには、感謝しかありません。……ですから、どうか私のために、リチャードを責めるようなことはしないでくださいませ。彼は、世界で一番の紳士ですわ」


その言葉に、今度こそマーサは決壊した。

「あ……あああ……っ! なんて……なんて尊いお方……! 坊っちゃまを庇い、自らの魂を磨こうとされるなんて」


マーサはハンカチを顔に押し当て、その場に泣き崩れた。


「坊っちゃま! 聞きましたか! やはりアシュリンお嬢様は素敵なご令嬢ですわ!!私の目に狂いはなかった!なんて素晴らしい」 


感動に震え、もはや修行の邪魔をするどころか「応援団長」に変貌したマーサと、決意を新たにするアシュリン。

二人の間に流れる「清らかな空気」に、リチャードはやれやれと肩をすくめつつも、その表情には隠しきれない幸福感が溢れていた。


その日の夜。

昼間の騒がしさが嘘のように静まり返った庭で、アシュリンは再び熾火おきびの前に立っていた。


月の光に照らされた彼女の横顔には、昼間の天真爛漫さはなく、ただ一筋の決意だけが宿っている。


「まぁ……」

屋敷の窓から、その姿をじっと見守っていたマーサが、ぽろりと涙を零した。


「本当に……。あのお方は、自分の力で美しくあろうとしているのですねぇ……」

その隣で、リチャードも黙って彼女の背中を見つめていた。

あんなにも真っ直ぐに自分を律しようとする彼女が、誰よりも気高く、美しく見えてしまう事を、もはやリチャードは否定できなかった。


「……参りますわ」

静かな宣言と共に、アシュリンは一歩を踏み出す。

――無音。

赤熱した炭の上を、彼女は静かに渡っていく。


物理的な熱さを、精神の強さがねじ伏せていた。足首の鈴は一度として鳴らず、焦げ跡一つ残さないその足取りは、まるで夜の森を歩く精霊のようだ。


アシュリンが渡り切ったあと、ブラックウッドの森に、チリン。と、一度だけ涼やかな音が響いた。

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