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第44話 灰かぶり姫の森合宿。料理長まで筋肉(バルク)を求めて参加志願!?

次の鍛錬の場として、ダイバダッタは「ブラックウッドの森」を選んだ。

公爵邸の裏庭とは比較にならないほど濃密な緑と、人知れぬ静寂。そこは、精神と肉体を極限まで追い込むには、これ以上ないほど相応しい場所だった。


修行中の寝泊まりは、その森の深くに建つブラックウッド公爵家の別邸で行われることになった。


だが、別邸とは名ばかりで、実際にはリチャードを親代わりとして育て上げた乳母のマーサと、その夫である老夫婦がひっそりと守っているだけの、こじんまりとした屋敷である。普段から主が訪れることも稀で、気の利いた使用人と呼べる者は一人もいない。

これでは何かと不便だろうと判断したリチャードは、ダイバダッタとアシュリンの修行に自らも同行することを決めた。


「しばらくは本邸を空けることになる。その間、こちらの屋敷のことは頼んだぞ、セバス」

「承知いたしました、旦那様。万事、滞りなく守らせていただきます」


私室で執事のセバスに留守を預ける旨を伝えていた、その時だった。

控えめに、しかし力強いノックの音が響き、料理長が姿を現した。


「リチャード様。失礼いたします」

「料理長か。何か用か?」

「はい。不躾ながら、私めもブラックウッドの森にある別宅へ、同行させていただけないでしょうか」


思いもよらぬ申し出に、リチャードは眉を寄せた。

「……気持ちはありがたいが、今回は修行だ。別邸での食事くらいなら、私が自分で作るつもりでいた」


もともと、リチャードは別邸での生活に慣れている。華美な食事など必要ないと考えていたのだが、料理長は引き下がらなかった。

かつてアシュリンと「料理対決」という名の物理的激闘を繰り広げて以来、彼はアシュリンを「食と筋肉の深淵を知る師」として崇拝していたのである。


「恐れながら申し上げます。修行に励むアシュリン様には、理想的な栄養配分バルクアップ・メニューが不可欠です! 旦那様のジビエ料理も素晴らしいですが、師匠の肉体を支えるための『究極の一皿』を追求できるのは、この私をおいて他にございません!」


料理長の目は、かつてないほど燃えていた。

「師匠が新たな高みを目指されるのであれば、弟子として、その背中を食の面から支えたいのです……!」


「……分かった。そこまで言うのなら、お前の同行を許そう」


リチャードの許可が下り、迎えた出発の日。

公爵邸の勝手口は、さながら戦地へ赴く英雄を見送るかのような、悲壮感と熱狂に包まれていた。


「料理長ぉぉっ! 行かないでください! あなたのいない厨房など、火の消えた竈も同然です!」

「自ら険しい森へ向かわれるとは……。その料理人魂シェフ・スピリッツ、一生ついていきます!」


白いコック帽を被った弟子たちが、並んで涙を流しながら叫んでいる。中には、まるで形見でも受け取るかのように料理長の使い古したおたまを抱きしめ、嗚咽を漏らす若手までいた。


料理長はそんな弟子たち一人ひとりの肩を叩き、深く頷く。


「泣くな、お前たち。私は師匠の傍らで、さらなる『強さ』を学んでくる。……いいか、私が戻るまで、出汁の深みを忘れるなよ!」

「はいっ! 料理長ぉぉっ!」


颯爽と料理長が馬車のステップに足をかけたその時、荷物の隙間から、料理道具とは明らかに異質な「ある物」が滑り落ちた。

それは、重厚な鉄で作られた「特製ダンベル」だった。


カラン、と乾いた音を立てて転がる鉄の塊。

それを見たリチャードの目が細くなる。


「……料理長。なぜ鉄アレイを持っているんだ?」


料理長は一瞬だけ動きを止めると、額の汗を拭い、照れ隠しのように筋肉をピクつかせた。


「……いえ、その。食材を叩く……ミートハンマーの代わりといいますか。……実を言えば、師匠の修行を間近で拝見しているうちに、私自身の広背筋も『師匠のように輝きたい』と、むせび泣いておりまして……」


つまり、食事担当を口実に、自分もどさくさに紛れてダイバダッタの修行に混ざる気満々だったのだ。


「(やれやれ……。何ということだ)」

リチャードは深く溜息をつき、天を仰いだ。

筋肉の師匠、インドの老師、そして弟子入り志願の料理長。

本来は静寂に包まれているはずの自分の別邸が、今から騒々しい「筋肉の聖域ジム」に変わる予感しかしなかった。


ガタゴトと揺れる馬車の中、アシュリンは窓の外を流れる深い森を眺めながら、うっとりと頬を染めた。向かいには、泰然と目を閉じるダイバダッタと、荷物のダンベルを抱えている料理長が座っている。


「それにしても、料理長までついてきてくださるなんて……。リチャード、私、感激いたしましたわ」

「……ああ、彼は熱心だからね(別の意味で)」


リチャードが苦笑いで応えると、アシュリンは力強く拳を握りしめた。


「ええ! 私、この修行で力の制御を完璧に身に着けて、『シン・アシュリン』になりますわ!」

「……しん、あしゅりん?」

「そうですわ! 真の力を得て、新しく進化した、真の淑女! まさにシン・アシュリンですわ!!」


鼻息荒く宣言する彼女の背後には、威圧感オーラが立ち上っているように見えた。

制御を学んで「静か」になるはずが、なぜかさらにスケールアップして、世界を滅ぼしかねない何かになろうとしている彼女。


「(シン・アシュリン……。真の淑女というより、巨大怪獣か何かになるんじゃないだろうか!?)」


普通ならば、己の別邸や世界の平和を案じて頭を抱える場面だろう。

だが、リチャードの口元は、抗いようもなく緩んでいた。


「ふっ……。はははっ」

思わず漏れ出たのは、愉快でたまらないといった笑い声だった。


どれほど強大な力を得ようと、どれほど破壊的になろうと、彼女はどこまでもアシュリンなのだ。

そんな彼女の進化を誰よりも間近で見届けられる特等席にいることが、リチャードには誇らしく、そして愛おしくてならなかった。


「……期待しているよ、シン・アシュリン。君がどんな姿になっても、君は君だ!!」


「リチャード……! はいっ、私、精一杯パンプアップ……いえ、修行に励みますわ!」

斜め上の方向へ進もうとしているアシュリンと、それを全肯定して楽しんでいるリチャード。


馬車の中でそんな二人のやり取りを見つめるダイバダッタと料理長は、もはや入り込む隙すらない「別の意味での熱気」に、ただ静かに押し黙るしかなかった。

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